■修学旅行前夜



「んじゃ、これで準備の方は終了ね」
「うん。忘れ物はないと思う」
「結構、スムーズに終わったわね」
 黄薔薇のつぼみ、島津由乃さん。白薔薇さま、藤堂志摩子さん。そして紅薔薇のつぼみの福沢祐巳は、俗に言う、『車座』になって、頷き合った。
 ちなみに今は薔薇の館でお仕事に精を出してるわけじゃなく
「でも、こういうのっていいよね。みんなで修学旅行前日に準備って。何か前夜祭……って感じで」
 というわけ。
 明日は、リリアン女学園高等部二年生たちの修学旅行。明日月曜日から金曜日までの4泊5日。前後が休日に挟まれているのは、旅行のための準備と、旅行の疲れを取るためという、リリアン女学園上層部の、生徒のことを考慮したはからいらしい。
 祐巳たち山百合会の二年生は、金曜日、「日曜にみんなで準備しよ!」という由乃さんの一声で、こうしてまみえることと相成った……って、何処の時代の人だろう、自分。
 三人が腰をおろしているのは、淡い色合いのカーペットの敷かれたごくフツーのフローリング。祐巳にとっては見慣れた六畳間。なぜならここが、祐巳の自室だからである。
 どういう経緯で祐巳の部屋になったのかは既に曖昧だけど、それほど頻繁に友人が訪れるわけでもない祐巳の部屋。部屋の主にとっては、親友たちの来訪は、諸手をあげて歓迎したいイベントだ。
 リリアン高等部に限っては、姉妹間では、比較的頻繁に両者の家にお邪魔したりお邪魔されたりといったことが交わされる。それは祐巳の周りの姉妹にも当てはまる。
 が、こと祐巳たち紅薔薇姉妹に限っては少々趣が異なって。
 祐巳の姉である小笠原祥子さまの家は、文字通りの、『邸宅』あるいは『お屋敷』と呼ぶにふさわしい豪邸。だから、祐巳ごとき小市民がちょっとお邪魔する、というわけには残念ながらいかないのである。
 また、祥子さまは小笠原家の令嬢という立場から、ちょっと出てくる、というわけには当然いかない。
 ほんと〜に残念だけど、祐巳と祥子さまが学校以外で会えるのって、実はかなりの難易度を要するんだ……って、話が思い切り逸れちゃった。
 時刻は四時。
 昼過ぎに集まって各々の持ち寄ったお弁当を、各々で分け合ったり取り合ったりしながらのランチタイム。
 その後のんびりとお茶を飲みながら、喋りながら駄弁りながら、ようやく旅行の準備に取り掛かる。が、皆それぞれ、準備は万端だったのだ。祐巳の家でしたことといえば、持ち物の確認。忘れ物がないかのチェックだけなのだから。
 つまり旅行の準備にかこつけて遊ぼーという、ある種一致団結した無意識が作用した結果が、今日だったりするわけ。
 しかし今日は
「修学旅行の準備はもう終わりましたの?でしたらどなたか場所を代わって頂けると」
「先に言われてしまいましたわね。私も同意見です。瞳子さんの隣でなければ、どこでも」
「…………ぅ」
 いかんせん人口密度が、高すぎる。
 なんとこの狭くはないが、かといってお世辞にも広いとは言えない六畳間に、祐巳由乃さん志摩子さんの他にも、実に三人もいたのである。
 うちわけは、志摩子さんの妹の二条乃梨子ちゃん、最近薔薇の館に期間限定のお手伝いとして顔を出してくれている、松平瞳子ちゃんと細川可南子ちゃん。
 六畳間に六人だから、ああなんと一人1畳。
 あえて言いたい、酸素が薄いと。
 祐巳たち三人が床、瞳子ちゃんと可南子ちゃんがベッドの上。乃梨子ちゃんは祐巳の勉強机備え付けの椅子。
 てきとー真面目に旅行の準備をしているさなかであったためか、瞳子ちゃんと可南子ちゃんは、邪魔しないようにと計らってくれたらしく二人でお話ししていた。
 が、この二人、基本的に仲がよろしくない。
 些細な行き違いが口論を呼び、しまいには互いに互いを我関せず状態に陥ってしまって。
 仲裁役を買って出てもよかったのだが、なんとなくしゃしゃり出るのも違う気がして。祐巳的には、一年生三人のことは、一年生三人に解決して欲しかったりする。
 と、ここにきてちょうど一年前のあの事件、『黄薔薇革命』の頃に、まだ高等部に在学中だった先代薔薇さま方が、率先して事態の解決に乗り出さなかった気持ちがほんのちょっと理解できた祐巳である。
 それはさておき、バランサーはどうしたバランサーは。
 言うまでもないが山百合会においては、人間関係のバランスを保つ、すりあわせをする、というスキル保持者は、その才覚をいかんなく発揮せねばならないという鉄の掟がある(のかなぁ)。
 現山百合会三年生では、勿論支倉令さま。
 二年生では、うぬぼれじゃなければきっと自分。
 そうして机の方を見てみると、乃梨子ちゃんが祐巳の少女漫画を読みふけっている。わき目も振らずに、一心不乱に。というか少女漫画キライじゃなかったのかおーい。
 さっき乃梨子ちゃんが微かにうめいたように聞こえたのも、漫画が劇的な展開を迎えたからだろう。彼女、見かけによらず感受性が強い。
「ちょっとアンタたち」
 見かねたのか、由乃さんが立ち上がった。
「せっかく祐巳さんの家にお邪魔させてもらってるってのに、バクテリアも食わない冷戦始めてるのはどういう了見よ」
 バクテリア云々って、誰かが言ってた気がする。誰だったかなあ。
 しゃしゃり出る島津由乃。というか、『しゃしゃり出る』って、由乃さんのためにあるような言葉かも。逆に、志摩子さんの辞書に、『しゃしゃり出る』という言葉は存在しまい。
「いい? あなたたちの相性が良かろうと悪かろうと、薔薇の館で肩を並べて仕事してんだから、せめて普通に会話ぐらい成立させなさい。でないと卒業するまでそのままよ」
「別に。瞳子たちは正式な薔薇の館の住人ではありませんし。黄薔薇のつぼみにそこまで言われる覚えは」
 瞳子ちゃんが言い終わる間もなく、由乃さんは、瞳子ちゃんにずいっと詰め寄る。その迫力たるや中々のもの。けれど瞳子ちゃんも、勝ち気さでは由乃さんにひけを取らない。
 そのまま睨み合う事数秒。
 由乃さんが不敵な笑みを浮かべ、瞳子ちゃんは怪訝な表情でそれに答える。が、直後にその表情は凍りつく。
「関係者に、なってみる?」
 由乃さんの伸ばした右手に握られていたそれ。深翠色に光る貴金属。
 いつぞや返上された、しかしそれ以上の想いを持って、再び由乃さんの首にかけられた、リリアン女学園高等部のシンボルの一つ。
「そんな──」
 絶句したのは瞳子ちゃんばかりではない。
「由乃さん、ちょっと」
 つつつと寄って行って由乃さんを諌める。いい加減傍観してるのも限界だ。
 それが親友の、『本気』ならば、祐巳は何も言うまい。信頼する人間の選んだ道だから。だけどこれは、あまりにも。
「何よ祐巳さん。あなたも、早くしなさい。丁度いい機会じゃない」
 由乃さんが、自分より頭一つ分はゆうに上背のある可南子ちゃんを、袖を掴んでずいっと引き寄せる。
「まさか由乃さん」
「祐巳さんも、今ここで可南子ちゃんを妹にすればいい。そうすれば晴れて、この二人も山百合会の関係者よ。さあ早く」
 可南子ちゃんを見る。というか見上げる。彼女は反射的に目を逸らした。まさか可南子ちゃんにその気はあるまい。だって祐巳はある意味、彼女の期待と信頼を、裏切ってしまったわけなのだし。
「いい加減にしてよ由乃さん。ロザリオの授受って、そんな軽いものじゃないでしょう?そんな売り言葉に買い言葉で姉妹の契りなんて、馬鹿げてる」
「その、『売り言葉に買い言葉姉妹』の見本が何言ってるのよ。いいからさっさと──」
「待って、由乃さん」
 それまでずっと黙っていた志摩子さんのストップサイン。
 その場にいる者全員の視線が集中する。漫画を読みふけってるけしからん奴を除いて。
「なぁに? 妹のいる志摩子さんにはあんまり関係のない話をしてるんだけど」
「関係あるわ。だって私、薔薇さまだもの」
 そうだった。誠に俗っぽい話だが志摩子さんは、この面子の中では一番偉い肩書きを持っているのだった。
「むっ。で、薔薇さまがつぼみごときにどういったお話?」
「まあまあ由乃さん、そうとんがらないで」
「別に、由乃さんに話、というわけではないのだけれど」
 志摩子さんは、可南子ちゃんと瞳子ちゃんに向き直り
「──では、あなたたち二人に宿題を差し上げます」
 しゅくだい〜? と、二人の声が微妙にハモる。
「私たちが修学旅行で薔薇の館をあけてる間に、『仲間』として、しっかりとした人間関係を築いておくこと。もしそれが出来ていなかった場合は──」
 ごくり、と、二人が唾を飲む音が聞こえた気がした。
「あなたたちを、由乃さんと祐巳さんの二人に、正しく導いてもらうことにします。あたりまえのことが出来ない人間には、当然の処置よ」
「それって、もしかして」
「姉妹の契りを結べと、そういうわけですか」
「そう。姉妹になりたい、と言うのなら、そのように行動すればいい。なりたくないのなら、その為に自分を戒めなさい。乃梨子も、瞳子ちゃんと可南子ちゃんのこと、しっかり見ててあげて……乃梨子?」
 志摩子さん、あなたの妹は大物だよ。だって、これだけ騒いでもあちらの世界から戻ってこないんだから。
 ぬっ、と手が伸びて、乃梨子ちゃんの持っていた漫画を引き抜く。勿論それは志摩子さんの白くて綺麗な手だ。
 突如現実に引き戻された乃梨子ちゃんは、きょろきょろと辺りを見回す。おかえりなさい乃梨子ちゃん。
「分かった? 乃梨子。しっかり二人のこと、フォローしてあげてね。二人とも、しっかり宿題をやってくれたなら、お土産も弾んじゃおうかしら」
 乃梨子ちゃんの返事はない。ただ、志摩子さんに取られた漫画に、夢遊病者の如く腕を伸ばすばかりだ。
「あー、うー」
「分かったの? 乃梨子」
「わ、分かりました」
 手に持っていた漫画雑誌で、軽く乃梨子ちゃんのおかっぱ頭をぽんとやって、彼女の手元に本を置いた。が、ぽんとやられたせいか知らないが、続きを読もうとはしなかった。白薔薇マジック?
「それじゃ、そろそろお暇しようかしら。ごめんなさいね祐巳さん、大勢で押しかけてしまって」
「それは、構わないけど」
「……白薔薇さま」
「なにかしら、瞳子ちゃん」
「先ほど、『お土産を弾んじゃう』などと言われてましたが、まさか由乃さまと祐巳さまのロザリオが、お土産だなんて言われませんよね?」
「あら、それもいいわね」
「げっ」
 あらら、瞳子ちゃんやぶへび。


 とりあえず駅までの道のりは同じだから、祐巳も見送りがてら皆に付いて行く事にした。
 前方を一年生三人、その後ろに二年生が続く。
 祐巳は、さっき気になっていたことを素直に聞いてみることにした。
「由乃さん、さっきのあれ、本気だったの?
 あれ、とは勿論、瞳子ちゃんをターゲットにした、『姉妹宣言』。
「んなわけないでしょ。私はね、生意気な子はキライなの。妹にするなら、志摩子さんみたいにおしとやかな子か、祐巳さんみたいに素直な子がいいわ」
 生意気な由乃さんはそんなことを言った。
 何だ、と思う反面、残念でもある。由乃さんが妹を決めてくれれば、いい意味で祐巳の背中も、その事実がきっと押してくれるはずだったから。
 まあ、しょうがないか。
 ふと祐巳は、前を歩く一年生三人組に目を向けた。
 見事なまでに、でこぼこ。
 それでも、さっきの親友二人の教えが功を奏したのか、一見小康状態を保っているようには見える。
 祐巳たちが修学旅行から帰ってくる間までに、何かが変わっているのだろうか。それを思うと不安でもあるが、同時に、とても楽しみでもある。
 イタリアへの修学旅行に思いを馳せて、さらにそれを飛び越えて、帰ってきた時のことにも思いを馳せる。どれもこれも、楽しみだ。
 楽しみが連鎖する山百合会。
 もしかしたら私は、それが目当てで薔薇の館に通っているのかなあと、ぼんやりと思ってしまう祐巳であった。



 あとがき

 半年振りくらいのあとがき。
 ちなみにこの、『修学旅行前夜』は、マリア様がみてる チャオ、ソレッラ!
が、楽しみで楽しみで仕方ない管理人が、半ば勢いだけで書き上げたものです。チャオ、ソレッラ!発売後に、あまりに本編と矛盾が大きいようだったら削除する予定です。
 というかマジで勢いだけなので物凄く散漫な内容。
 やっぱ、しっかりお話を組み立てないといいものは書けないのですね。

※ちなみに上のあとがきは、当時書いたものそのままです。矛盾が大きければ削除するという慎みを見せつつも偉そうなところが奇妙で笑えるw(2009年3月)


 了






▲マリア様がみてる