■やさぐれ由乃さん


「蔦子さん、例の件についてだけど」
「OK。じゃあ昼休みにでも」
 心得顔で頷きあい、そして何事もなかったかのように離れていく二人。
 ふちなし眼鏡の大人びた顔つきの少女が武嶋蔦子、もう一方の、長いお下げが印象的な少女の名を、島津由乃という。
 二人は先ほどの緊張感など微塵も感じさせない態度で、次の授業の準備をしていた。


──昼休み
「…それにしても随分なところに呼び出してくれたわね。まあ、確かにここなら誰にも邪魔されないでしょうけど」
「でしょう。ある意味ここほど秘め事に向いた部屋もないわよ。『使用中』の札下げておけば素人はおろか写真部の部員ですら、おいそれとは入られないわ」
 昼休みに由乃が蔦子に呼び出されたのは、写真部の隣にある暗室であった。当然、写真に興味のない由乃が、蔦子の部活に付き合って……などということはない。
 物珍しそうに辺りを見回す由乃。
 蔦子は、その間に棚の中から何かを取り出した。蛍光灯をつけてもさほど明るくない暗室だが、蔦子の取り出したそれは、光をゆるやかに反射していた。
「随分沢山あるわね」
「別に由乃さんのためだけというわけどはないですもの。あなたの依頼、私の趣味とも合致してるしね」
 写真の束を手渡された由乃は、一通りぱらぱらと眺めた後に、手近の椅子に腰掛けて一枚一枚吟味するように見始めた。
「これはまた、随分と」
「ご満足、いただけたかしら?」
 由乃の返事はない。が、食い入るように写真を見つめているその態度が、由乃の満足度を何よりも雄弁に物語っていた。
 由乃が蔦子に依頼したもの──それは、リリアン女学園一年生の、顔を視認できるほどに鮮明に写された写真。出来れば一人で映っているのが望ましい──であった。
 写真に写されている生徒たちは、皆が皆、あつらえたように整った顔立ちをしていた。美人、可愛い、と形容するに相応しいルックス。
 当然である。由乃の出した条件に、『一定以上のルックスを持つ者に限る』という項目もあったからだ。
 その目的とは──
「分かってると思うけど蔦子さん、このことはくれぐれも他言無用よ」
「承知。こんなこと知られた日には、祐巳さんや志摩子さんは卒倒ものでしょうしね」
 それにしても……と、蔦子は含み笑いを隠しもせずに続けた。
「一年生の写真が欲しいなんて、何事かと最初は思ったけどまさか……」
「悪い? どうやって妹を選ぶかなんて、他人にとやかく言われる筋合いはないわ」
「わかってるわよ。言ってみただけ」
「それに、何も、『顔だけ』で選ぶなんて誰も言ってないわ。まずは顔で選んで、それから話してみる。当然、生意気だったり、つまんない性格だったらパスするわ」
 そう、由乃は、妹選びのために、友人の蔦子に一年生の写真を集めてもらえるよう頼んでいたのだ。
 一枚、また一枚とじっくりと検分され由乃の手を離れていく写真たち。由乃の表情は、つとめて冷静そのものだ。
 由乃が現実主義で冷静で、洗練された客観的視点の持ち主であることを蔦子は前々から理解していたが、写真を眺めている冷たい表情と、福沢祐巳や藤堂志摩子と話しているときの、かしましい由乃とのギャップには、得も言わぬものを感じずにはいられなかった。
 表の顔と、裏の顔。
 同じような性質の持ち主として蔦子にとっては、今目の前にいる由乃は好感の持てる存在と言えた。
 やがてひとしきり写真を見終えた由乃は、椅子の背もたれに寄りかかって軽く伸びをした。机の上には、先ほどの写真たちが二つに分かれている。片方に九割方、もう片方は僅か数枚。今しがた行われた、『選り分け』の結果であろう。
「ありがとう蔦子さん。とても参考になったわ」
「いえいえ、どういたしまして」
 そうして訪れる沈黙。
 コトが済んだ後に思えば、今しがた由乃が没頭していた行為は、間違いなく異端と呼ばれるそれだ。多少特異な環境のリリアン女学園でさえ。普通の公立高校も含めれば尚更のこと。
 少なくとも一介の高校生に許される行為ではないであろう。
 異質。異端。異常。
 健全ではない自分。健全な友人たち。健全ではない行為。健全な仲間。
「私のこと、軽蔑する?」
「まさか。もし貴方を軽蔑するなら、私は自分自身も軽蔑しなくてはならなくなる」
 ただし……と、言葉を切って蔦子は続ける。
「これっきりにしておくことをお薦めするわ。でないと、どんどん心は汚れてゆく。あなたにはそんなの似合わない」
「そう……かな?」
「それにね」
 蔦子の言葉を聞いて、由乃は暗室を後にした。空気のこもったところにいたせいだろうか、廊下の澄んだ空気がことのほか由乃には心地良く感じられた。
 足取りは重くもなく、かといって軽くもなく。
「……そうね。あなたの言う通りだわ、蔦子さん」
 由乃は、さっきの蔦子の言ったことを反芻する。
──それにね、こんなことばかりしていたら、どんどん祐巳さんから離れていってしまうわ。彼女と距離感を感じるのは、貴方の本意ではないでしょう?
 とりあえず、もう暗室に来る機会はないだろうと、由乃は思った。


──数日後、薔薇の館。
「はぁ……」
「由乃さんどうしたの?溜め息なんてついちゃって」
 けだるげな雰囲気を纏った由乃に、隣に座っていた祐巳は声をかけた。しかし返された返事は祐巳にとっては予想したものではなかった。
「いいわねえ祐巳さんは。妹候補が二人もいて」
「妹決めるのが憂鬱なの? 気持ちは分からなくもないけど」
「妹候補の一人もいないってのは、これで案外退屈なものなのよ。妹候補に囲まれた祐巳さんには想像できないだろうけど」
「まあ、そうだけど」
 由乃のテンションは上がらない。憑かれたように一つの言葉に執着するのみだ。
「は〜あ、退屈だわ。退屈退屈。どこかに妹にしたくなるほど面白い一年生は落ちてないのかしら」
 そうやって退屈を憂う由乃は誰かに似ていると、祐巳はぼんやりと思った。


 了






▲マリア様がみてる