■松平瞳子の、『ああもう、今日って、ちょ〜厄日!!』
「ああもうっ、何たる不覚、何たる失態っ!」
リリアン女学園の校門を、風となって走り抜けた私──松平瞳子は、そう毒づいた。
時刻は8時38分。既にホームルームが始まろうかという時間。
つまり今の私は、絶望的なまでに遅刻寸前だったのだ。
ちなみに私、学生と言う名の肩書きを得てから、遅刻などというはしたなき目にあったことは一度もない。
日頃の生活を規則正しく、自分を戒めて生きていれば、かような目には遭うべくもない。
では何故、今日に限ってこんなにも必死に駆けているのか──。
昨夜、『ちょっとした少女小説』にはまってしまい、明け方近くまでかけてどっぷりと読みまくってしまったのだ。
そして、最後のページまで読み進めて気付いたこと、それは、「これ続きもんじゃん!」というその一点。脱力した私は、その直後崩れ落ちるように眠りについてしまった。勿論目覚ましをセットする間もなく。
そして案の定、寝坊した、と。
「あっ!」
「ぎゃ……!?」
突如激しい衝撃が身体を貫いて、私はその場に倒れそうになった。硬いアスファルトの衝撃を予想して、私は思わず目を閉じた。
「……?」
だが、予想した衝撃は、いつまでたっても私を襲うことはなかった。
そして理解する。倒れこみそうになった私の腰の辺りに、自分ではない誰かの手が添えられている。その手が、私の身体を支えているようだった。
「あ、ありがとうございます……」
「い、いいえいいえ、これくらい」
どこかで聞いた声だなあと、私は思った。
が、そんなことより、今はこの状況を何とかするのが先決である。だが、どうにかして足を踏ん張って地力で立とうとしても、寝不足で尚且つバス停からの全力疾走のワンツーパンチを食らっていっちゃう寸前の私の身体は、思うように動いてくれない。
もともと向こうがぶつかってきたのだから気にするほどでもないのだが、何せ傍にはマリア像が鎮座していらっしゃる。このようなはしたない格好を、いつまでも披露しておくわけにもいくまい。
「よいしょ……と!」
「きゃ!」
予想を上回る力で、私の身体が引っ張り上げられた。
ぐるんと視界が半回転してようやくいつもの視点を取り戻したところで、私は思わず叫んでしまった。
目の前……いや、相手の顔は私よりも随分上についているのだが、その長すぎて気味の悪い髪の毛、自分以外を小馬鹿にしたような憎らしい表情、そして何よりその栄養の使い方を間違えてるんじゃないかと疑いたくなるような長身!
見間違うはずもない。
「細川可南子……!?」
「げ……瞳子、さん……」
なんと、私にぶつかってきたのは、あろうことか憎むべき細川家の可南子。
しかもこの状況、私と細川可南子の身体が密着して、互いの吐息がかかりそうなほどのショートレンジ。というか、ゼロ距離。ああ、その憎き顔に牙突零式でも叩き込みたい。
「ええいっ、その手を離しなさいっ。汚らわしい!」
「ふん、言われるまでもないわ」
「なんっ……きゃ!?」
細川可南子の手が離れる。と、視界が急転する。
不本意にも憎むべき相手に支えられていた私の身体。突然支えを失ってガクリと
よろめいたとき、細川可南子の不敵な笑みが見えた。
「ふっ、それでは、ごきげんよう」
「あ、お待ちなさい! 私をここまでコケにしてただですむと思って……!?」
無様に地面にしりもちをついてしまう私。どうやら相当に私は消耗しているらしい。足ががくがくと振るえて、起き上がって細川可南子を追いかけることもままならない。
駆ける細川可南子。早い。速くて、疾い。
とても追いつけそうにない。
そういえば、こんな時間だ。彼女も遅刻寸前で急いでいたのだろうか。
「あ!」
と思ったが、もう遅い。
私の気も知らずに、始業のチャイムは鳴り響いてしまう。間延びした音が無性に腹立たしい。
細川可南子は、あのペースならばぎりぎりで間に合っただろう。それを思うと苛立ちもひとしおだ。きっと今の私は、苦虫を噛むつぶしたような顔をしていることだろう。
「……くッ、ああもう! 今日って……!」
──ああもう、今日って、ちょ〜厄日……!!
一年椿組の教室は、もぬけの殻だった。
何故なら今日は、一時間目が家庭科室での実習だからだ。
結局、HRには間に合わなかった。どうやら今の私は走ることもままならないくらい疲労が濃いらしく、結局じりじりと歩いてくることになってしまい──そして、このざまだ。
じくじたる気持ちで、準備をして、教室を出た。
「あっ」 「あっ」
面倒くさい奴に会ってしまった。それがお互いの、正直な感想だろう。
「……ごきげんよう、瞳子ちゃん」
「ごきげんよう。由乃さまも、教室移動ですか?」
目の前にいるのは、黄薔薇のつぼみ、島津由乃さま。
一見すると、清楚で儚げて、幸薄そうな線の細い美少女なのだが──。
「ええ。どうやらあなたも……家庭科室か。方向は一緒だけど、無理についてこないでいいわよ。お互い、朝っぱらから不機嫌な会話を交わすこともないでしょう」
「べ、別に構いませんわ。ご一緒させていただきます」
一瞬でも気を抜けないしたたかさと、抜け目の無さと、とんでもない気の強さを包含した、現山百合会の切り込み隊長なのだ。
こんな風に体調の悪い日には、出来れば相手をしたくない人物である。
「ふん」と、由乃さまは鼻を一つ鳴らすと、歩みを進めた。私もそれに習う。憎まれ口を叩く余裕は、今はない。
そういえば、由乃さまはお一人だ。いつもなら、同じクラスである友人方とともに行動することが多いはずなのに。
「……へぇ、今日はやけにしおらしいのね。心を入れ替えたのかしら……って、瞳子ちゃん。ちょっと待ちなさい」
「なにか?」
私は、出来るだけ不機嫌を装った表情と口調で返す。どうしてもこの由乃さまという人とは、反りが合わないのだ。
「顔色が悪い。瞳子ちゃん、あなた今相当無理してるわね。ちょっと、こっちいらっしゃい」
「え……な!?」
いきなり、、由乃さまのおでこが、私のそれにくっつけられた。ひんやりとした感覚と、度アップになった顔。由乃さまの長い睫毛がふるふると揺れているのがはっきりと判って、私は猛烈にドキドキした。
「ふむ、熱はないようね。そういえば、さっきよりも顔色がいい。私の取り越し苦労かしら」
「……」
「というか、今度はやけに顔色が良いわね。いいというか、紅い。もしかして、私の顔見てドキドキしたの? やめてよね、そういうの。少なくとも私相手には。」
「ッ……! もっ、もう! 急ぎますので失礼しますっ!」
私は逃げるように廊下を走っていった。(いつの間にか、体力はそれなりに回復していた)
(なんてことっ! あのような方に、一瞬でも心を奪われるなんて!)
疲れているのだ。きっとそのせいだ。ろくに反論できずに言い負かされてしまったのも、つい由乃さまの容貌に見とれてしまったのも。
「きっと厄日なのよ。そう。そうに決まってるわ……!」
忌々しい自分を振り払うように、私は走った。
「……厄日だわ、今日。絶対に……絶対に!」
家庭科が終わり、私は一人、手洗い場でエプロンを洗いながら、忌々しげに呟いた。
本気で忌々しい。
自分自身が。
家庭科の時間は、女子校らしいというか、なんというか、クッキーを焼いていた。そういう授業だったのだ。私は当然、お料理だってそつなくこなす。クッキーを小奇麗に仕上げた、味だって文句なしの出来栄えだった、同じ班の子たちの羨望の眼差しが、とても気持ち良いものだった。
だが、しかし。
出来上がったクッキーをお盆に入れて運んでいる時に、うっかり手を滑らせてお盆ごと床に落としてしまった。当然クッキーは全滅。しかもその拍子に、テーブルの上の調味料類まで引っ掛けて落としてしまい、それが見事、私のエプロンにスマッシュ・ヒット。いいや、あれはクリティカルと形容しても差し支えないものだったろう。
ともかく、私のエプロンはどろどろ。
同じ班の子たちの羨望の眼差しが、侮蔑と憤怒と嘲笑と哀れみのそれになったのは言うまでもない。
陰鬱とした気分のまま家庭科を終えて、今に至る。
「どうしてこのような目にあわなければならないのッ!」
そう叫んで、力をこめた途端、エプロンが裂けた。
お気に入りなのに。
完膚なきまでに、裂けた。
致命的な裂傷だった。
「〜〜〜〜〜!!!」
ビリビリと裂いた。
そうして、エプロンだったもののなれの果てをごみ箱に突っ込んで、私は一年椿組へと戻った。
恥辱にまみれた自分自身も、ごみ箱に突っ込んでしまいたい気分だった……。
四時間目の授業が終わり、私はぐったりと机に突っ伏した。
もう、ピクリとも動けないだろう。
「や、厄日よ。今日はどうしようもなく厄日なのよ……」
二時間目は歴史。私の好きな科目だ。
だが、全ては、今日私が日直だったことが悪魔的までにネガティブに作用した。
急ぎ足でやってきた歴史の担当教師。彼はこう言った。「日直の人、ちょっと手を貸してくれ、」と。
嫌な予感に苛まれながら教師の後をついて職員室まで行くと、なんとそこには、うずたかく積まれたわら半紙の山。
全て、今日の授業で使う資料だと教師は語った。「とても一人では運べないから手伝ってくれ」。
呆然と立ち尽くした私は、二十代中盤、まだまだ若いといってよいその教師に面と向かって、
「ちっ、若造が。舐めてんじゃねえ。てめえなんざどうせ、うら若き女生徒目当てでここに来たんだろうが」
と、言った。
あ、当然心の中でね。
しぶしぶ教師の言う事を聞いてプリントの束を抱えて教室へ戻る。手足の感覚はあまりなかったが、何とか耐えられた。
三時間目は地理。
教室に入ってきた地理担当の教師は。「今日の日直は誰?」、と言った。
なかばやけっぱち気味で教師についていくと、そこには巨大な地球儀があった。
勘弁して欲しかった。
目の前の教師に掴みかかって罵詈雑言を浴びせることをどうにかこらえた私は、とても我慢強い人間だと思う。
四時間目は体育。
長距離だった。
もう、語るまでもないだろう。
そして今は昼休み。ようやく安息の時を得た。
教室内は賑やかで、その喧騒に身を任せてうとうととしているのは、とても心地の良いものだった。
薔薇の館へ手伝いに顔を出しているここ最近。本来ならば彼の場所へ赴き、山百合会の方々と昼食を取るのがならわし。
だが、今日くらいは勘弁してもらおう。
ちなみに今日、あれから細川可南子とは顔を合わせていない。向こうから率先して合わせてくる事が無いからないから、こちらから顔を合わせないよう努力する必要も無い。楽といえば、楽だ。
「瞳子、薔薇の館行こうよ」
自分を呼ぶ声がした方を見やると、友人である二条乃梨子さんが、弁当箱の包みを片手に、小走りによってくる。
「!」
その時、頭の中でイエローシグナルが点灯した。
走り寄ってくる友。手にはお弁当。足元には鞄やらなにやらでそれなりに賑わっている。
黄信号が赤信号に変わったところで、私はとっさに身をかわした。体力の無い今、それだけの振る舞いが出来たのは、なかば奇跡に近い。
「あっ!」
今日は厄日。
どんな不孝が起きたとして、何ら不思議ではない。
まるで時間が止まったように感じられる。限界まで引き伸ばされた時間。水の中を、緩慢に動いているかのようだ。
机の脚につまずいて、転びそうになる乃梨子さん。
弁当箱の包みが、その手を離れる。
もともと包みは、解けかけていたのだろう。
空中で包みはほどけ、飾りッ気のない弁当箱が剥き出しになり、蓋が開く。
乃梨子さんが倒れこむ。
弁当箱が、私がいたところ、つまり椅子と机の中間辺りに落ちる。
そして時間は動き出す。
まず、机の上、椅子の上、床の上と、広域に渡り散乱した弁当箱の中身に、視線をくぎ付けにされた。無事なものなど、殆ど無い。
私は、立ち尽くしていた。
(厄日……だわ。本当に)
「……ひどいわ、瞳子さん」
「ええ。お友達を見捨てて、自分だけ安全なところで、のうのうと」
「え、ええ!?」
どうしてだろう。私は被害者の筈だ。なのに何故、彼女らに責められなければならない。
「乃梨子さんっ!」
倒れこんだ友人に手を貸して、なんとか助け起こす。転び方は派手そのものだったが、どうやら目立った外傷はないらいしいことが、せめてもの救いだった。
乃梨子さんと二人、散乱した弁当を片付けて、そそくさと教室を出た。
弁当は失ってしまったが、それでも乃梨子さんは、薔薇の館には行くという。
私は、彼女に避けてしまったことを詫びて、けれど疲れているから休みたいと正直に告白して、一人、ふらふらとさまよっていた。
「瞳子ちゃん」
全く今日は、ついていない。
朝っぱらから遅刻寸前で猛ダッシュを強いられて、マリア像付近で細川可南子と接触。多分あれが、運のツキだったのだろう。
そのあとは、あれよあれよと急転直下。
今日、確かに私は、『世界運の悪い人ランキング』で、上位に食い込んだことだろう。
「瞳子ちゃん」
そりの合わない由乃さまに言い負かされて、出鼻をくじかれた。
家庭科室では、せっかく上手く焼けたクッキーを床にまいてしまって針のむしろだった。おまけにエプロンも台無しにしてしまったし。
2,3時間目と、日直ばかりこき使う教師たちには閉口させられた。画一的な思考しか出来ない昨今の教師。教える側があれでは、学生の質の低下などと、世間に嘆かれるのも頷ける。
体育の授業にマラソンを組み込んだ人間は、学生に恨みがあったとしか思えない。
「瞳子ちゃん」
あまつさえ先ほどのアレ。
確かに乃梨子さんをとっさに助けられなかったのは私の落ち度だ。
だが、こっちはくたくたに疲れきっているのだ。いや、くたくたなんて生温いもんじゃない。こうして歩いているだけで、まるで雪山で遭難しているような錯覚に囚われる。
そんな状態の人間に、何を期待するというのだ。
私は弁当の直撃を避けた。
乃梨子さんも無傷でいられた。
それ以上何を望むというのだ級友たちよ。
ほんと今日は、徹底的なまでに厄日だ。
「瞳子ちゃん」
うるさいなあもう。少しは黙っててよ。
「うるさいなあもう。少しは黙っててよ」
「!?」
「あっ……!」
まずい。とっさに考えていたことをそのまま喋ってしまった。
しかもそのお相手は、
「祥子お姉さま! あ、あの、これには訳があって」
小笠原祥子さま。憧れの人。
私が、あと一年早くリリアン女学園高等部に入学していたならば、ぜひともロザリオを頂きたかった。お姉さまと呼びたかった。
だが
「……」
憧れの祥子お姉さまは、むっとした表情を隠そうともせずに、踵を返して去っていこうとした。
これはよくない。
祥子さまは慈悲深いお方。相手に非があれば、きちんとそれを論理的に諭して、是正させようとする、正義感に溢れたお方。
そんな祥子お姉さまに、無視された。それは、さじを投げられたと比喩しても差し支えない状況だろう。
名を呼び、追いすがり、許しを乞おうとする。が、足が上手く動かない。
そして、今更ながらに気付く。
普段よりも視界が狭まっているようにも感じられるし、そもそも、ピントが上手いこと合わない。大分昔にあった、妙に粘度の高い目薬をさした時みたいだ。
それでも追う。でも、だめだった。
みるみる祥子お姉さまは見えなくなり、身体の感覚も、同じように、見えなくなるように、失せていく。
(ああ……もうダメ)
『体力の限界』を超えた、更なる限界を、私は生まれた初めて感じた。
その時、目の前に何かが見えた。
そして、それが人だと理解した時は、全ては遅かった。
「──!」
天地がひっくり返ったような衝撃を感じて、私と、運の悪かった相手は、倒れ……違う。倒れているのは私だけ。きっと体力の残っていない今のだけが、ごみくずのように吹っ飛んでしまったのだろう。
「ちょ、ちょう……」
「超、厄日」と言おうとしたのだが、どうやら言葉を発するだけの体力も私には残されていないらしい。
「チョウ? ちょうさん?」
ああ、長さん。
あなたは逝ってしまった。
目の前のぶつかってしまった相手も、視界がはっきりとしないのだろう。訳の判らないことを言っている。
せめて相手が誰なのか、最後の力で目を凝らし……私は、絶句した。
(ゆ、祐巳、さま……)
なんとうこと。
よりによって、祐巳さまの前で……
「やっぱり今日は、ちょう、厄日……」
意識は、そこで途切れた。
「とっ、瞳子ちゃん!?」
そんな声を、どこかで聞いた。
◇
エイだが巨大ヒトデだかよくわからないが、とにかくそういう不気味なモノに押さえつけられる悪夢を見て、私は目を醒ました。
どうやら私は、どこかのベッドで寝ていたらしい。いや、寝かされていたらしい。
天井は白い。かすかな消毒液のにおい。明らかに学校の匂いではないが、ここは学校だ。つまり、ここは保健室。
起き上がろうとしてそれが叶わないことを知る。直後、その理由も理解した。
「……何やってるんですか、祐巳さま」
「あ、瞳子ちゃん、おはよ」
「何やっているのですかと、聞いてるんですっ!」
ベッドに寝かされている私の身体に、あろうことか祐巳さまは、上半身を覆い被せているのだ。ちなみに祐巳さまは椅子に座っている。
「……瞳子ちゃんが目の前で倒れて、私、どうにかして瞳子ちゃんを保健室に連れて行かないと、って思って。どうにか引きずってここまで連れてきたの」
「引きずって……?」
よもや、制服が妙に埃っぽいのは、そのせいではあるまいな。
「あ、あ、それは単なる比喩なんだけどっ」
ほんとかよ。
「とにかく、瞳子ちゃんをここまで連れてきたんだけど、誰もいなくって。先生も、保健委員の子も。だから、私がなんとかしなくちゃ、って」
「……げ」
なんと、時刻は2時30分。意識をなくしたのが確かお昼だった筈だ。
「祐巳さま、もしかして授業の方は」
「……だって、瞳子ちゃんの方が、大切だもん」
「はぁ……」
本当にこの人、私より年上なのだろうか。
「で、祐巳さままで授業をさぼったのは百歩譲って許すとして、私の身体に覆い被さっていたのは、どうしてでしょう」
「あ、それは……なんとなく、私の元気が、瞳子ちゃんに移ればいいな……って」
「馬鹿ですか、あなたは……って、どうしてあなたは泣いてるんですっ!」
「へ? あ、あれ、どうしてだろ。何か、瞳子ちゃんの憎まれ口聞いてたら、瞳子ちゃんの意識が戻って、良かったな……って、急に思えてきて、それで……」
「……」
気まずい。
何故かこの人は泣いてるし、私はベッドに寝かされたまま。そもそも、この人と二人きりと言うのは、はっきりいってどうしても慣れない。
暫くの沈黙の後、ふいに祐巳さまは、
「ねえ、瞳子ちゃんは、どうして山百合会の仕事を、手伝ってくれてるのかな……」
──祐巳さまには関係ありません。そもそも祐巳さまがそれを知る必要はありませんし、なによりお教えする理由がありません──
そう言って、切って捨てても良かった。
けれど、曲がりなりにも祐巳さまは私のことを介抱してくれた。なによりも、そんな辛辣なこと……昔の私だったら、きっと言ってたんだろうけれど。
今の私は、言えない。
今の祐巳さまには、言えない。
だから私は、
(あ〜あ、どうしてこんなこと言う気になったのかな。今日ってほんと……)
「……その涙の意味を、知りたいと思ったからです」
「えっ、ええーーー!?」
真っ赤になってうろたえる祐巳さま。
どうしてこんなロマンチックなことを言わなければならないのだろう。こんなこと言うような間柄じゃあ、ないのに。しかも、私の言葉如きでどうしてこの人は、こんなにもうろたえているのだ。
(今日ってほんと、厄日だったなあ……)
私は、しみじみとそんなことを思うのだった。
了
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