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■黄薔薇症候群


 ……で、黄薔薇症候群よね。
 ええ、私もそう思うわ。

「ん?」
 何だか気になる言葉を聞いた気がして、私、福沢祐巳は顔を上げた。
 朝のHRが終わり、一時間目の授業の準備をしていた祐巳だったが、その手を止めて、辺りをきょろきょろと見回す。
 近い席の者同士で交わされている雑談。
 どこから聞こえてきたのか、今では最早判別できない。
(まあ、私の聞き間違いかもしれないしね)
 由乃さんをちらりと見やると、どうやら祐巳と同じく、授業の準備をしているようである。
(由乃さんが気にしてないなら、ま、いっか)
 気を取り直して、授業の準備をすることにした。
 そして一時間目は終わり。
 祐巳は、由乃さんに物凄い勢いで廊下に連れ出された。
「黄薔薇症候群って一体何なのよ」
 ははあ、やはり気付いておいででしたか。
 鈍い祐巳が気付いたくらいだから、由乃さんが気付かないなんて、あるわけないとは思ってたけど。
 掴み掛からんばかりの由乃さんにやや押されつつも、祐巳はどうにか声を絞り出した。
「し、知らないよ私」
「しかも言うに事欠いて症候群って何よ、症候群って。これは我が黄薔薇が紅や白に比べて軽んじられている証拠だわ。さあ、早く教えて」
「だから知らないって言ってるのに……」
 由乃さんはすっかり熱くなって、いよいよ祐巳の肩に両手を置いた。
 そんな風に熱く迫られても、知らないものは知らないんだ。ないものは、出せない。
「本当に? 私のこと、担ごうとしてるんじゃなくて? 知らぬは本人ばかりなんてまっぴら御免だわ」
「そんなに気になるなら、聞けばいいじゃないの、さっきの誰かに。誰かは私も知らないけど、二年松組の誰かなんだから。誰か適当に捕まえて、聞いてみれば?」
「……何のために祐巳さんに聞いてると思ってるのよ」
「???」
 今更言うまでもなく、由乃さんは負けず嫌いだ。それは、自他共に認めるところだと思う。
 そんな由乃さんだから、
 『知らぬは本人ばかり』 
 なんて状況は、出来る限り、というか絶対に避けたい状況なのだという。
 だからこそ、秘密裏に内偵を進めたい。第三者に知られることなく、こっそりと目的の情報を仕入れ、何事もなかったかのように振る舞う。そう、黄薔薇症候群なんて言葉は、とっくの昔に知ってましたよ〜 てな感じで。
 では、何故秘密裏なハズなのに、こうして祐巳に相談しているのかと言うと──。
「……そんなの、決まってるじゃない」
 少し、顔を赤くして由乃さんは、
「親友だから。祐巳さんを親友だと思ってるから、こうして相談してるの。全部話しても、どんなことがあっても私の味方でいてくれるって思ってるから。だから安心して背中を任せられる」
 そう言って、祐巳を背に、あさっての方向に刀をぶんぶんと振り回す真似をした。ほんと、剣客モノ好きだなあ。
「ありがと、由乃さん」
「な、なに言ってるのよ。お礼を言うのは私の方なんだから」
 いやあ、ちょっとジーンって来ちゃったものだから。
「それでね、黄薔薇症候群という忌まわしい言葉の意味を調べるのに、手を貸してもらいたいの。それで、出来れば今日から動きたい。本当なら今からでも動きたいところだけど、さすがにそれは自重しとく」
「うん。私も出来る限り協力するよ」
「頼りにしてるわよ、相棒」
「うん、えへへ」
「ときに祐巳さん。一つ、言っておきたいことがあるんだけど」
「なあに?」
「今日私、剣道部の方に行かなきゃいけないの。全く間が悪いわ」
「あ、そうなんだ」
「山百合会の集まりは今日ないでしょう? ということは祐巳さん、帰宅部であるところのあなたは、六時間目が終わったら、後は帰るだけ。ヒマはたくさんあるはずよね」
「う、うん。多分」
「おまけに今日は、夜には島津家支倉家合同で、出掛ける用事があるのよ。だから、部活終わったらさっさと帰って、その準備をしなくちゃいけないの。だから私今日、とっても急がしいの」
「……ふーん」
「だからね祐巳さん、あなたに明日までの宿題。放課後に、『黄薔薇症候群』 という言葉の意味と、その発祥を調べて、明日までにレポートにまとめて私によこして頂戴。大丈夫祐巳さん。あなたならきっと出来る」
 ──そんな、バカな。


  ◇


「まったくもう、由乃さんたら無茶ばかり言うんだから」
 放課後、祐巳はぶつぶつと呟きながら廊下を歩いていた。
 今は図書館からの帰り道。由乃さんからの例の依頼の事に関して調べに行っていたのだが……。
「収穫ナシか。まあ、全然期待はしていなかったんだけど」
 図書館に備え付けてあるパソコンをたどたどしく駆使して、『黄薔薇症候群』 という言葉をググってみた。結果、
 ”黄薔薇症候群 に該当するページが見つかりませんでした。”
 という、無慈悲極まりない文章がモニターに表示され、それを見届けて祐巳は図書館を後にした。
「それにしても私って、やっぱりお人好しなのかなあ」
 確か以前、松平瞳子ちゃんに言われたことがある。
 祐巳さまは甘いとか、おめでたいとか、お人好しとか。やはりそうだったのかと今、痛切に自覚する。
「三奈子さまか真美さんにでも、聞いてみようかな。あの二人、耳の速さならリリアン女学園最速のツートップだし」
 正直言ってあまり気は進まないのだが、新聞部部室に顔を出してみようかなと考えていると、
「何かお困りですかな、紅薔薇のつぼみ」
「……蔦子さん」
 カメラを右手に颯爽と現れたのは、写真部のエースこと、祐巳にとっては中々に長い付き合いとなる友人、武嶋蔦子さんであった。
「別に私、困ってないけど?」
「困り事っていういのは少々的を射てなかったわね。けれどね祐巳さん、今あなたの纏っている雰囲気が、そういう感じなのよ」
「そういう感じって、どういう感じ?」
「妙に今日は絡むわね。そういう感じってのはねえ、うーん、『何か無理難題を押し付けられて、あてもなく途方に暮れている』 そんな雰囲気を、今の祐巳さんはかもし出している」
 びしっと、突きつけてくる蔦子さん。ううむ、そんなにも祐巳は顔に出やすいのだろうか。これはひょっとすると由々しき問題かもしれない。
「……って蔦子さん、見てたんでしょう」
「バレたか。流石にそこまで祐巳さんの心を読むのは、聖さまクラスにならなきゃ無理ね」
 蔦子さんは続ける。
「ほら、一時間目の後、由乃さんに連れ出されてたじゃない。迫られて、キスでもしそうなほどに密着して。そこからの推理ね」
 眼鏡の奥をキラリと光らす蔦子さん。
 そうだ。新聞部サイドではなく、祐巳サイドにも、情報通はいてくれたんだ。道を歩いていたらマリア様に出遭った時のような気持ちで、例の件を尋ねてみようとするも、
「あら、祐巳。ごきげんよう。こんなところで奇遇ね」
「お、お姉さまっ」
「なあにそれは。まるで、悪いことをしてるのを見つかった子供みたい」
 いつものお姉さまの笑顔。
 妹にしてもらう前には、祐巳に笑いかけてくださることなんてなかった。
 妹にしてもらってしばらくは、それだけで祐巳の鼓動は高鳴っていた。ドキドキと、自分の心臓の音がうるさいくらいに。
 そして、妹にしてもらって一年が過ぎた今では、祥子さまの笑顔を見ると、胸に花が咲いたように暖かくなり、そして安心する。ああ、本当に自分は、この人のことが大好きなんだなあって思えるから。
「ごきげんよう蔦子さん。相変わらず、精の出ること」
「ごきげんよう祥子さま。なにせ、ライフワークですから」
 蔦子さんのカメラを見ながら祥子さまは言う。それを蔦子さんは、いつものポーカーフェイスで返す。
「祐巳は図書館で勉強?」
 そう言いつつも祥子さまは、祐巳のタイにすっと手を伸ばす。
 これでもう何度目だろうか。
 初めてのときは、まさしく絶息しそうなほどショックを受けた。
 今では、祐巳にとっては何か心の中のスイッチのようなものだった。そうされると心がほんのりと色づき、満たされる。
 あと半年で、祥子さまとは別れなければならない。そのとき二人の関係はどうなっているのか、今からでは予想もつかない発展を遂げているのだろうか、それともこのまま、穏やかに時は過ぎるのだろうか。
 いずれにせよ、あと半年。
 こうして祥子さまと向き合うたび、かけがえのない時間を大切にしたい、心に刻み付けたいと、強く強く思うのだ。
 そのとき、パシャリとシャッターの切られる音と、フラッシュ。
 いつものことだから(というか予想していた)祥子さまも、勿論祐巳も驚いたりしない。
 けれど、直後に蔦子さんの紡いだ言葉は、祐巳を仰天させるにふさわしいものだった。
「うーん、紅薔薇姉妹も、ここ最近はほんのり黄薔薇症候群」
 がばっと祐巳は身体を翻す。
 愚妹の突飛な行動に、祥子さまはびくりと身体を震わせて、反射的に手を引かれてしまった。
「蔦子さんっ!」
「な、何事よ!?」
 らしくもなく狼狽して驚いている蔦子さんは、カメラを両手に持って高く掲げるという意味不明な行動に出た。クセなのかなあ、これ。窮地に陥って、せめてカメラだけは取られまいとする無意識行動? って、そんなことは今どうでもいい。
「蔦子さん、今何て言った?」
「き、黄薔薇症候群……?」
「それ!!」
 祥子さまは、「なんなの?」 と、呆れたように呟いた。
「あまり、蔦子さんに迷惑をかけるのではなくてよ」
「はいっ、お姉さま」
 祥子さまはそう釘をさすと、スカートを翻して行ってしまった。
「な、何よ。もしかして祐巳さん、黄薔薇症候群を調べてたの? こんなの、調べるほどのものでも……」
「いいから早く教えてっ。私、これからレポート書かなきゃいけないんだからっ」
「意味不明だってばさ……」
 祐巳の剣幕に押されて、蔦子さんは高く掲げたカメラを戻すことも忘れて説明を始めてくれた……。


  ◇


「はい、これ」
 机の上に一枚のレポート用紙を置く。
 その机の主は、弾かれたように顔を上げて、祐巳の顔をまじまじと見つめた。
「レポートに纏めておいたよ。昨日の件」
「あ、あ、えっ?」
 どうやらとっさのことで頭が回らないらしいこの机の主──由乃さんは、
「ウソ……本当に? レポートなんてただの……」
「ただの、何なのかなあ? まさか冗談だった、なんて言わないよねえ由乃さん。親友にそんな酷い冗談を言うような人じゃあ、ないよねえ」
「うっ……そ、そうよ。当たり前じゃない。何言ってるのよもう、祐巳さんったら」
 げほげほと、わざとらしく咳払い。
「本当、ありがとう。祐巳さんのお陰で、令ちゃんととってもキレイな夜景を堪能できたわ。令ちゃんったら、はぐれないように手、繋ごうなんて言い出すんだもの。そんな、子供じゃあるまいし、ねえ」
 そう言いつつも由乃さんはとっても上機嫌そうだ。昨日、どちらへお出かけだったのかは想像するべくもないし、そもそもあまり興味はなかったから祐巳は曖昧に返事を濁した。
 黄薔薇姉妹のお惚気話は、すでに耳にタコ状態である。
「まあ、せっかくだから目を通してみてよ」
「んふふー。やっぱり、持つべきものは親友ね。ありがと祐巳さん、愛してるわ」
 軽口交じりに、由乃さんはレポートを読み始めた。


 『黄薔薇症候群 その発祥と位置付け』
                                     二年松組 福沢祐巳

 黄薔薇症候群。きばらしょうこうぐんと読む。
 その発祥は古く、ロサ・フェティダ・アン・ブゥトン、島津由乃が剣道部に籍を置いた頃にまで遡ることになる。
 島津由乃手術前は言うに及ばず、それ以降も、一年にしてロサ・ギガンティア・アン・ブゥトンの称号を得た藤堂志摩子や、まさしく電撃的でセンセーショナルだった(二年松組生徒Tさん、その他多数意見)福沢祐巳の山百合会入り。
 それらに隠れる形となった島津由乃という存在は、彼女が一年生時には、まさしくミステリアスなものがあった。
 黄薔薇革命というリリアン女学園史上に残る大事件を引き起こした張本人にもかかわらず、当事者たちの真意と事実が曲解した形で一般生徒の間に広まったことで、俗に言う 『由乃伝説』 と呼ばれる、妹にしたい下級生ナンバーワンの座は継続される形となった。
 清楚で奥ゆかしく控えめな薄幸の美少女島津由乃。一般生徒の見識は、あいかわらずそこに留まっていた。
 それが崩壊の兆しを見せ始めたのは、島津由乃が剣道部に入部してからだと断言して差し支えないと思われる。
 一般生徒たちへの露出が増えたことにより、それまで山百合会メンバーを含む一部の人間しか知りえなかった事実が、広く知れ渡ることとなった。
 姉である支倉令にべったりで、令ちゃん令ちゃんと馴れ馴れしくも姉のことを気安く呼び、いつでもどこでもいちゃいちゃとバカップル振り……もとい、熟年カップル振りをまざまざと見せ付けられた形となった剣道部部員たち(入部当時のちょっとしたいざこざは、部員たちは擬態として受け止めたらしい)。
 黄薔薇=いつもべったり、熟年カップル。
 という構図が成り立ち、単純に黄薔薇という単語がそれを意味するものとなり、発展完成形として、『黄薔薇症候群』 という単語が生まれた。
 黄薔薇姉妹のようにいつもべたべたとしていて、あたかも何年も連れ添った夫婦のような姉妹のありさまを指して、黄薔薇症候群と呼ぶ。
 主に二年生の間での認知度が広い。
 ということで、あんまり令さまとべったりして、妙な流行語を生み出すのはほどほどにしようね。
 あなたの親友より( ̄ー ̄)ノ


 ビリッ
 レポート用紙を裂く音が聞こえた。
「なんなのよこのオチはっ!」
 由乃さんはきっと、二つに裂かれたレポート用紙を祐巳に投げつけでもしようとしただろうが、事前に廊下に避難していた祐巳は無事、事なきを得た。
 黄薔薇症候群の内容についてはともかくとして。
 人使いの荒い由乃さんへの反省を促す意味もこめて、今回の一件を、志摩子さんにも細大漏らさず教えてあげることにした。


 了






▲マリア様がみてる