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■STAY外伝


 計画は失敗だった。
 やらなきゃよかった、しなきゃよかったと。目の前にいる二人の同い年の少女を眺めながら、二条乃梨子は大後悔時代真っ只中であった。
「乃梨子さんにお誘いの電話をいただきまして、こうして出てきてみれば。どうして可南子さんがいらっしゃるのかしら?」
「それはこっちのセリフよ。乃梨子さんと二人で、と聞いたから着たのに。なんで瞳子さんがいるのよ」
 相変わらずいがみ合いを繰り広げる二人から少し引いたところで、乃梨子は頭を抱えていた。
 ──ああもう、今日って超サイアク。
 軽はずみな行動をしてしまった自分自身の愚かさを心底呪いながら。


 それは、つい数日前のことである。
 薔薇の館に三々五々集まってきたお馴染みのメンバーたち。無論乃梨子も、その中の一人である。
 会議室への扉に手を掛けた乃梨子は、中が異様に騒がしいことに気付いた。
 これはおかしい。
 薔薇の館は言うまでもなく、リリアン女学園という場所はおしなべて、『おしとやかで荘厳で、可憐で清楚』 でなければならない筈だ。だとすれば、今の会議室の、公立中学における自習時間のような騒がしさは一体何なのだ。
 乃梨子は耳をすました。
「……ほらっ、志摩子さん。さあ早く吐きなさいっ」
「ちょ、ちょっと由乃さん……! そんな押さないでっ。い、いやっ。ちょ……痛いッ!」
「由乃さんっ、いい加減にしなよ! 志摩子さん嫌がってるじゃないっ」
「いやよいやよもイイのうちって昔の人が言ってたわよっ」
「んな、無茶苦茶な……」
 乃梨子は眩暈にも似た感覚を覚える。な、何がどうなっているというのだ。
 ただ一つはっきりと理解できるのは、大好きなあの人が、心無い暴走特急の愚行により絶対絶命のピンチ、ということだけ。
「ほらほら、吐いちゃえば楽になれるわよ。これ以上意地張るっていうなら、志摩子さんの大事な大事なココをこうしてこんな風に……」
「い、いやっ! そんなとこ触らないでッ……!」

 ──そんなところってどんなところだよっ!!

 我を忘れた乃梨子は、会議室と廊下を繋ぐ扉を勢い良く開いた。
 余談ではあるが、このビスケットのような形をした扉は、今、扉を開く際の加速度においてリリアン女学園高等部史上最速を記録した。
「あ、ごきげんよう乃梨子ちゃん。ご、ごめんね。今ちょっと、取り込んでて……」
 申し訳なさそうに言う福沢祐巳さまの声は、しかし半分も乃梨子の耳には届かない。乃梨子の意識はただ一点に向けられていたからだ。
「の、乃梨子……」
「悪いわね乃梨子ちゃん。今、ちょっとだけあなたのお姉さまを借りてるわ」
 借りてる、って……。
 由乃さまが志摩子さんの上半身ををテーブルに押し付けて、その上になかばのしかかっているような恰好。二人羽織、とでも形容するのが適当だろうか。一体これは、どういう状況だ。
「大事なココ……って」
「へ? ああこれのこと?」
 由乃さまは、志摩子さんの柔らかな髪の毛をひと房掴んでいた。それを志摩子さんの鼻先へ近づけていってこちょこちょっと……。
「ふぁ……ふぁ……」
 くちゅん! と、志摩子さんの可愛らしいくしゃみが、会議室に響く。
(な、なんだよ。大事なトコって、鼻のことか……)
 知らず、脱力してしまう乃梨子である。
「だって志摩子さんが強情なんだもん」
「だもん、って言われても。ねぇ」
「そうだよ。下級生と運命的な出逢いを効率よく執り行う方法なんて、志摩子さんだって知ってるはずないじゃない」
「桜の木の下で夢遊病者してればいいの? それとも性格もっと柔らかくしたほうがいい? それとも髪型を……」
「祐巳さん、たすけて」
 どうやらこの三人(乗り気なのは一人だが)、相当にくだらないやりとりを交わしていたらしい。全く、仲がいいのか悪いのか。
(いや、実際は仲いいんだろうなぁ、とても。 ……うらやましいな、こういう関係って)

 はしゃいでる三人を眺めながら、乃梨子はぼんやりと考えていた。
 目の前の三人の関係は、本当に、仲の良い三人組という形容がぴったりと嵌る。気安くて気心の知れた関係。由乃さまだって、相手が志摩子さんだから、こんな無茶な絡み方してるわけだし。祐巳さまにしたって、本気で由乃さんを志摩子さんから引き剥がそうとはしてないし。
 それは、三人がとてもとても親しい間柄だからに他ならない。
(はぁ……)
 それが、素直に羨ましい。
 目の前の三人を三人組と称するならば、自分たち──松平瞳子と細川可南子と、この私、二条乃梨子を含めた三人も、三人組と称されて差し支えない筈ではあるのだが。
 あるのだが。
 あるはずなのだが……。

 島津由乃さまと福沢祐巳さまと、そして藤堂志摩子さん。
(……三人娘)
 そう、三人娘だ。例えばこの三人を看板娘とするお店があったち仮定するならば。きっとその店は、押すな押すなの大繁盛間違いなした。無敵の三人娘。三人揃えば、恐いものなど無い。何だって乗り越えて、明るくて、騒々しくて、そしてどこまでも楽しい。
 それに引き換え自分たちときたら……。
(単なる凸凹トリオ)
 まるでお笑いである。
 そのとき、乃梨子の脳裏に閃くものがあった。自分たち三人を形容するに相応しいイメージを鮮やかに思い描いたのだ。
(……ああなんだったっけなあアレ。凸凹な連中。三人組でああもう言葉が出てこないど忘れしちゃったぜちくしょう思い出せないよ。三人組、三人組。アルフィーだっけ、いやいや違うポルノグラフィティ? いやそれも違うポルノは一人どっか行ったしそういうバンドじゃあないんだよもっとこう俗っぽいというかアホっぽいというか滑稽というか何と言うか。思い出せ思い出せ二条乃梨子答えはすぐそこだ)

 そのとき、不意に閃いた。まるでマリア様からの啓示の如く色鮮やかに。
(わかった!)








 ダチョウ倶楽部だ──!!


 
 乃梨子はがっくりと項垂れていた。長考の末に辿り付いた結論が、あまりにバカらしくて。けれどあまりに自分たちにピッタリなイメージだったからだ。
「乃梨子、どうしたの? 何をそんなに気落ちしているの?」
「ほっときなさいよ志摩子さん。そういう年頃なのよ」
「私たちと一つしか違わないじゃん」
 好き勝手言い放題の三人を尻目に、乃梨子は陰鬱とした気分を背負っていた。
「乃梨子、困ったことがあるのならいつでも言ってね? 私じゃあ、大して力にもなれないかもしれないけれど」
「……ううん。ありがとう、志摩子さん」
 心配してくれる心優しき姉の言葉を噛み締めながら、乃梨子は密かに決意していた。

 自分たちも、変わってみせる。忌まわしきイメージからの脱却を是が非でも計ってやる。この人たちみたいに、清楚で可憐で姦しくて。そんな三人娘に進化してやる──と。
 …………。
 ……。


「乃梨子さん?」
「乃梨子さんっ」
 自分を呼ぶ声で我に帰る。目の前には、明らかに「私、怒ってます!」的な表情を浮かべた二人の少女が。
「どうして可南子さんなんか呼んだのか、説明してくださらない?」
「どうして瞳子さんなんか呼んだのか、説明して欲しいわね」
──ああもう、誰か助けて後生だから。

 浅はかだったのだ。いくら二人が犬猿の仲だからって、結局は同い年の十代の少女。はじめは作り物でいい。やがて時間を共有しているうちに少しは打ち解けて、はじめに浮かべていた作り物の取り繕った笑顔は本物になる。
 要はきっかけ次第だ。
 なんて考えていた自分は甘すぎた。二人はやはり犬猿のままで、うわべだけでも仲良くするということさえしようとはしない。
 このままでは逆効果だ。頼むから二人とも、ちっとは大人になってくれよと、乃梨子の中にも言いようのない怒りが込み上げ始めた時だった。

「乃梨子……? それに、瞳子ちゃんと可南子ちゃんも」
「うわ、珍しい。何してるのこんなとこで」
 何と、現れたのは志摩子さんと由乃さまの二人である。乃梨子ら三人を見とめて、二人とも目を丸くしている。
「志摩子さん。志摩子さんこそ、一体」
 乃梨子としても意外だった。志摩子さんと由乃さまが二人、という事実が。割合山百合会二年生の三人は、祐巳さまを主軸に据えて、両サイドが志摩子さんと由乃さま、という印象を漠然と抱いていたからだ。
(祐巳さまなしでも、全然仲いいんじゃん、このお二人)
 またしても気落ちしてしまう乃梨子。自分たちとの差をまざまざと見せ付けられて。

 志摩子さんと由乃さまは、これから祐巳さまの家に向かおうとしていたらしい。どうやら祐巳さまが今日は一人で留守番らしく、昼間はともかく夜は流石に不用心で、ちょっと心配だから
、というのが口実らしい。

「そーいうこと。まあ不用心うんたらっていうのはオマケみたいなもんだけどね。単なるお泊り会よ。ちょうどいい機会だし、こういうのも悪くないでしょう?」
 由乃さまは、志摩子さんの方を向いて言う。志摩子さんは、柔らかく頷いた。
 その表情は無防備なまでに楽しそうで、三人でのお泊り会を、本当に楽しみにしているといった風だった。
「乃梨子たちも?」
 純粋な好奇心で、という感じで志摩子さんは問う。この場合、前後の脈絡から察するに、「乃梨子たちもお泊り会?」 という意味での問いかけなのだろうが。
 だが、しかし。
「いいえ。瞳子たちは単なる偶然ですわ」
「ええ。私たち三人でお泊り会なんて、そんなことありえませんもの」
 ──この二人。
「そうなの? まあ、好きにすればいいわ」
「乃梨子、がんばってね」
 そんな言葉を残して、二人は行ってしまった。取り残されたのは一年生三人。
 がんばってね、って言われてもねえ。
 三人の間に流れるいやーなムードを自覚しながらも、乃梨子はただ、途方に暮れるより他なかった。


  ◇


 あんなことがあった土曜日から数日が過ぎた。
 忌まわしい出来事を忘却するかのように、乃梨子は山百合会の仕事に精力的に取り組んだ。他の二人もあの日のことは、『なかったもの』 として処理をするに決め込んだらしく、再びあの日の話が蒸し返されることはなかった。
「ところで乃梨子」
「なあに、志摩子さん」
 薔薇の館への道すがら、唐突に志摩子さんは口を開いた。割と二人で居る時は、乃梨子から話を振ることが多かったから、志摩子さんが何を言い出すのか、純粋に乃梨子は楽しみだった。だが。
「あの日は結局、あれからどうしたの?」
 乃梨子の思考は固まる。封印されし記憶が、いやでもよみがえる。

 あの日は結局、流れ解散的なエンドマークを印すことになった。険悪だった雰囲気は、志摩子さんと由乃さまの登場により単なるしらけたものになり、とても「遊びに行こう」などと口に出せる雰囲気ではなくなっていたし。なにより乃梨子にその気がなくなっていた。
 それで終いである。
 だがそれをバカ正直に言うのもはばかられたから、乃梨子は適当にお茶を濁した。
「ふうん。でね、また瞳子ちゃんと可南子ちゃんを、集められるかしら?」
「……志摩子さんの名前を出せば、集まらないなんてことはないと思うけど」
「違うのよ。私ではなくて、あなたがあの二人を集めるの」
「???」
「……合宿をね、開いて欲しいのよ」

 ・合宿 がっしゅく
 多くの人が同じ宿舎で一定期間ともに生活して、共同の練習や研修を行うこと。また、その宿舎。
「大会に備えて―する」「―所」

 ……以上、エキサイト国語辞典より抜粋。

「がっしゅく……?」
 呆然と、乃梨子はつぶやく。片や志摩子さんはといえば、困ったような表情を浮かべつつも、あまり深刻そうではなかった。
 志摩子さんは無言で一枚の半ピラの紙を取り出した。それを乃梨子は、同じく無言で受け取る。それはプリンタで打ち出されたものであるようで、小さな文字で何やらびっしりと綴られていた。

 ”現在の山百合会の一年生の仲の悪さは、目を覆いたくなるものがある。仲の良し悪しで言えば先代の白薔薇さまと黄薔薇さまも昔は犬猿の仲だったと聞くが、あの二人はそれを超えて、親友という関係を築いた。
 だが今の一年生はどうだろう。
 松平瞳子と細川可南子はただ単にいがみ合ってばかりで、関係に発展性が全く感じられない。頼みの綱の二条乃梨子も二人を歩み寄らせるのに手を焼いている模様。
 こんなことで二年後の山百合会は大丈夫なのだろうか? いや、大丈夫ではない。だから、山百合会崩壊を招きかねない一年生たちの仲の悪さを解消すべく、私はひとつの打開策を提案したい。それは……”

「……何なんです、このイカレた文章は」
 文章はまだまだ続いている。が、ここまで読み進めて早くも頭痛がしてきたから、手っ取り早く志摩子さんに詳細を聞いてみることにした。
「その、ね。その文書にあるとおりなの。それを書いたのは……そうね、さる人、とだけ言っておくわ」
「さる人って、誰なんです?」
「さる、人よ」
 教えてくれる気はないらしい。だが乃梨子は感付いていた。こんな馬鹿げたことをしでかすのは今の山百合会にはただ一人。
 ──奴の仕業か。
 あの暴走特急が志摩子さんをけしかけたのだろう。一度言い出したら引き下がらない彼女の馬鹿げた提案を、志摩子さんと祐巳さまがしぶしぶ呑んだのだろう。あるいはどうせ自分事ではないという気安さも、二人を後押ししたのかもしれない。
「それで、合宿?」
 ふつふつと湧き上がってくる怒りをどうにか押さえつけて、乃梨子は聞いた。志摩子さんは頷く。
「いい機会だと思うのよ。由乃さ……ううん、さる人の言うとおり、確かに瞳子ちゃんと可南子ちゃんはあまり仲が良くないみたいだし。乃梨子に何とかしてもらいたいな、って」
「ふうん」
「引き受けて、くれるかしら?」
 合宿ねぇ。
 確かに、志摩子さんが、「合宿を開きなさい」 と言っていた、と件の二人に持ちかければ、乗り気とは言わずとも、とりあえずOKはしてくれるだろう。祐巳さまの言うことはあの二人、問答無用で反発するし。由乃さまに至っては、どうやらあの二人、出来るだけ関わり合いにならないようにしてるフシがある。だが、志摩子さんの言葉だけはあの二人は真撃に受け止める。
 まあそれは、乃梨子とて同じだが。
 だからこれは、確かに良い機会だ。黒幕が由乃さまであることは明白。だとすればそれに乗っかったフリをして……。
「うん、いいよ」
「本当?」
 志摩子さんの表情が、ぱあっと輝く。きっと由乃さまに無理強いされたのだろう。あのときといい今回といい、どうにも由乃さまは志摩子さんのことを舐めている。
 志摩子さんの不幸は、乃梨子の不幸でもあるのだ。
 だとすれば今、由乃さまを叩いておくことは、志摩子さんを救うためでもあり、同時に自分たち姉妹が永劫の平穏を得るためでもある。一年後の山百合会で、由乃さまが実権を掌握している、という最悪のシナリオだけは、何としても忌避しなくては。
 いわばこれは、ジハード(聖戦)である。
 負けは許されない。
 だとすれば、あの二人も早急に纏め上げる必要がある。由乃さまの圧政に対抗しうるレジスタンスとして確固たるものを築かなくては。
 あの二人とて、自分勝手で令ちゃん令ちゃんやかましい由乃さまには辟易してるはずだ。利害は一致した。共通の目的意識はおのずと協調を生み出すもの。これを機に自分たち三人が仲良しになれれば願ったり叶ったりだ。
(なかなか、いい感じに話が転がってきたじゃないか……)
 乃梨子は内心ほくそ笑む。だが、この謀略を志摩子さんに知られるわけにはいかない。志摩子さんには、出来るだけキレイでいてもらいたい。だから、手を汚すのは自分だけでいい。

「そういえばさ、志摩子さんはあれからどうしたの? 祐巳さまの家に行ったんでしょ?」
「ええ、楽しかったわ。でも夜中にお友達のところに行ってた祐麒さんが帰ってきてしまって……」
 なんでもない雑談を姉と楽しみながらも、乃梨子は沈着冷静な軍師のごとく、あれこれと作戦をめぐらせていた。


  ◇


 決行は次の土曜日。そのためにはまず、あの二人の了解を得なくてはならない。


「瞳子、合宿を開くわよ」
「はぁ?」
 開口一番、用件だけを簡潔に伝えると、予想通り瞳子は目を丸くした。まあ、瞳子がいぶかしむのも無理は無いと思う。
「その、合宿するのは別に構わないですけど。乃梨子さんの仰ることですし、何か意味があるのでしょう。でも……」
「うん。可南子さんも誘うつもりだけど」
「それならばお断りさせて──」
「一生のお願いなのよ、瞳子」
 乃梨子は、友人の手を力強く握った。突然のことに瞳子は驚き、そしてほんの少しだけ頬を紅くした。
 こっちは本気だ。以前のような軽い気持ちでは断じてない。その真意が、伝わったのか否か。
「……わかりました。そこまで言われては、断ることなんて出来ませんわ」
「ありがとう、瞳子」
「その、そんなに見つめないで下さいまし。恥ずかしいですわ」
 照れまくり、けれどまんざらでもなさそうな瞳子を眺めつつ、乃梨子は思う。
 
 まずは瞳子の壊柔は成功、と。たまに使うからこういうやり方は効果を発揮する。しかし次の相手はちと難易度が高い。色目を使ったって交渉が成功する可能性は低いだろう。
 さあて、どう責めるか。

 どこまでも腹黒い乃梨子であった。


「可南子さん、合宿を開くわよ」 
 これといった効果的な戦略も浮かばなかったため、乃梨子は真正面から可南子さんにぶつかることにした。
 しかし、意外なことに可南子さんはあまり驚きをあらわにしない。何となく予測していた。あるいはついにこの時がきてしまった、というような表情を浮かべた。
「……案外早かったわね。全てはあの人の思惑通り、か」
「由乃さまのこと? 大丈夫。もうこれ以上、あの人の好きにはさせない」
 可南子さんの表情はあまり変わらない。真意は読めない。
「まあ、なるようになる、か。ええ。そのお話、承ります」
「ほんと!?」
 可南子さんは頷く。これは乃梨子にとっては予想外。嬉しい誤算だった。何故かは知るべくもないが、一番の難敵は乗り気とはいかなくとも、少なくとも否定的ではない。
(運も、いいや、マリア様もこの私に味方してくれている。この戦い、いける!)
 相変わらず能面のような表情を浮かべる可南子さんを尻目に、乃梨子は一人、かつてないほどの昂ぶりを覚えていた。


  ◇


 そうして待ちに待ったり土曜日──。
 二年生の三人は、今日は志摩子さんの家でお泊り会だそうだ。まったく仲がよろしいことで結構結構。

「いらっしゃい、二人とも」
「素敵なお住まいですわね。ちょっと羨ましいですわ」
「お邪魔します」
 妹に根回しして、菫子さんには乃梨子の実家へと赴いてもらった。乃梨子には毒舌をあびせまくる菫子さんだが、どうにも我が妹に対してあの人は甘い。例えるなら、桃子にだけだだ甘くて、咲子に対してはそんな素振りすら見せない友蔵じいさんのような。
 まあ、そんなことはどうでもいい。
 寝間着などが入ってるであろう鞄をかかえている二人を、我が家へと招き入れる。よくよく考えてみれば、こうして誰かの家で学校の友人と会うというのも、随分と久し振りだ。
 あ、志摩子さんは別格。あの人と二人きりで会うのは、友人とプライベートで会うのとはわけが違う。れっきとしたデー
「乃梨子さん、にまにましてないで案内してくださらない?」
「う、はいはい、わかってますよー」

 二人をリビングへと通して、とりあえず乃梨子は人数分のお茶を入れる。乃梨子が台所に立っている間、リビングで交わされていた二人のやり取りは、ぽつりぽつりとしたもの。贔屓目に見ても盛り上がっているとは言いがたい。
 だがそれは予測範囲内。
「あ、どうもありがとう」
 二人の前にお茶を差し出して、そして乃梨子も同じテーブルにつく。さあ、ここからが本番だ。


「ところで」
 待ちかねたように瞳子が口を開く。
「今回の、その……合宿でしたか。一体どういう意味がございますの? 可南子さんは何か知ってらっしゃるようですが、教えて下さいませんし」
 そう言って瞳子はふくれてみせる。確かに、初めから訳知り顔だった可南子さんの事情までは乃梨子は知らない。
「私は乃梨子さんほど事情に通じてはいないわ。まあ、私のほうにも乃梨子さんとは別ルートで圧力がかかったってところね」
「そして可南子さんは、それに屈してしまった、というところでしょうか?」
 瞳子が茶々を入れる。
「……うるさいわね。私にとっては、こうやって合宿を開けなんてくだらない提案を飲むほうが、まだマシだったってだけの話よ」
 どうやら可南子さんは可南子さんで、いろいろとあるらしい。
「とりあえず、説明させていただくわ」
 乃梨子は立ち上がった。

「今回の一件、首謀者は……まあ予想済みだと思うけど、島津由乃さまよ。あの人が私たちに合宿を開けだなんて強要したことから、全ては始まったの。詳細は、これに目を通してもらえば納得できるはずよ」
 志摩子さんに貰った例の半ピラのコピー用紙。それを二人に渡す。
 そして数分後。
「くだらない」
 さも低俗だと言わんばかりに切って捨てたのは、可南子さんである。
「よほどの暇人ですわね、あの方も」
 瞳子も瞳子で、ここぞとばかりに毒吐きまくり。
(よしよし、いい感じになってきた)
 由乃さまを敵として想定させることで、犬猿の仲であるこの二人に、共通の目的意識を見出してやることに成功した。敵の敵は味方、という奴である。
「で、乃梨子さんはどうお考えなのかしら?」
「そうね。まずは乃梨子さんの意見を聞きたいわ」
 さあて、いよいよ腕の見せ所である。


 議題その1  現在の山百合会について

「……その前に、二人が今現在の山百合会についてどう思っているか、屈託ない意見を聞かせてもらいたい」
 二人は顔を見合わせた。いきなりの問題提起に、少し面食らっている、という風である。
 まずはあたりさわりのない話題から。核心に迫るには、まだ早い。
「そうね……別段私は山百合会の事情に通じてるわけじゃないのだけど。予想していたのとは、随分な差異があったわね」
「というと?」
「もっとこう、厳かな組織だと、漠然と予想していたわ」
 それは確かに最もだが、乃梨子とて山百合会の在り方に詳しいわけではない。その辺りの事情に最も通じているのは──。
「……そうですね。可南子さんの仰ることは最もですわ」
 二人の視線を受けて、瞳子は淡々と言った。

 乃梨子たちがまだ中学生、あるいは中等部の頃の山百合会は。
 一般の生徒たちにとっては、まさしく聖域と称されるに相応しいものだったらしい。迂闊に立ち入ることすら許されない。俗世間に穢れた身では、足を踏み入れることすら、許されない──。
 そんな、一種神々しいまでの存在感を醸し出していたらしい。

「祥子お姉さまから聞かせていただいたお話では、なんでも先代の薔薇さま……祥子お姉さまや支倉令さまの姉ですか、その方たちが、とても出来た方々だったらしく。高校生離れしていたというか。その方々の姉もまた同様か、あるいはそれ以上だったらしくて。薔薇の館の近寄りがたいイメージと言うのは、その頃、あるいはそれ以前のことだと思います」
 ふむ。
 まあ、あの祥子さまに、「高校生離れ」 などと言わせるほどの人物たちなら、確かに薔薇の館は近寄りがたくもなるだろう。
「逆に今は、そういったものは薄らいでますわね」
「祐巳さまと由乃さまのお陰で、ね」

 それ自体は悪いことではないと思う。あの二人の山百合会への影響力は今ではかなりのものだ。それ自体に不満などないのだが
「その所為で、あの方は少々調子に乗られているようですね」
 はっきりと可南子さんは言った。その方とは言うまでもなくあの──。


 議題その2  あの暴走特急をどうするか

「……悪い人ではないと思うけどね。少々我が強いだけというか」
 フォローを入れてみるテスト。
「その少々が、問題ですわ。祐巳さまと志摩子さまでは、いざとなったらあの方を止められないでしょうし」
「下級生に無茶を強要するような薔薇さまを、私は認めない」
 二人とも言いたい放題である。それだけ腹に据えかねていたというわけか。
「祥子さまと令さま……特に令さまは妹に甘いから。それが、あの方の増長を助長しているのです」
「でも、いざとなったら祐巳さまと志摩子さまは、由乃さまの味方をなさるでしょうし」
「だったら私たちが抑止力になるしかないわ」
 と、そこまで話した所で、とある人物に視線が集中した。
「ちょ、ちょっとお二人とも。どうして瞳子のことをじろじろと。み、見つめたって何も出やしませんわ」
 二つの視線を受けて、瞳子は明らかに狼狽した。
「いや、似たもの同士上手くいくかな、と」
「気の強さじゃあ、いい勝負でしょう?」
 ぶんぶんと瞳子は首を振る。まるで、おぞましいイメージを振り払うかのように。
「却下、却下ですわ。あの方と瞳子は確かに似ているかもしれませんが、だからこそ一緒にいては駄目なのです。やはり異なる個性をもつ人間をぶつけなくては」
 今度は別の人間に視線が集中した。
「いやよ。ああいう口から生まれたような人は。きゃんきゃん吼えられるのが目に見えてるし。気が強いのは結構。でも、強すぎは論外」
「……ちょっと可南子さん、どうして瞳子をじろじろと見ながら仰るのですか?」
「さあね。穿ちすぎよ、それは」
「誰が何を穿ってるって言うのですか!?」
 ああもう、また始まった。別段可南子さんは瞳子を揶揄していたわけではないのだが、やはり瞳子と由乃さま、似たもの同士感性的に惹かれるものがあるらしい。

 というか微妙に、論点のピントがずれてきてる。
 誰が抑止力となるかではなく、これではまるで、誰があの方の妹になるかを論じているようではないか。
 まあ、割と近いものがあるんだけどさ。


 議題その3  誰が誰の妹になる?

「……」
「……」
 今までとはうってかわり黙り込む二人。どうやら触れて欲しくない話題だったらしい。
「可南子さんに」
「いいや瞳子さんに」
 そして始まる押し付け合い。
「二人ともさ、こういうのは収まるところに収まるもんなんだから。由乃さまと親しい方が妹になるって相場は決まってるの」
「私別に、あの方と親しくありませんわ」
「右に同じ」
 むう。確かに言われてみればその通り。二人とも祐巳さまとはある程度打ち解けてはいるが、由乃さまとはどうにも距離が近いとは言いがたい。
「じゃあ乃梨子さん。あなたはあの方の妹になりたいって思うのかしら? すでに志摩子さまと姉妹の契りを結んでいる、ということをとりあえず置いておくとして」
「そんなの決まってるじゃん……」
 令ちゃん令ちゃんうるさい姉。
 無理難題をおしつける姉。
 負けず嫌いで意地っ張りな姉。
 きゃんきゃん吼える姉。
「却下」
「そらごらんなさい」
 うーん、やはり自分に嘘はつけないな。
「じゃあさ、祐巳さまと由乃さま、あの二人のどちらかの妹になるとすれば、どっちを選ぶ?」
「乃梨子さんと同じ意見ですわ」
「右に同じ」
 むむ、何を意気投合してるんだこの二人は。まあ、いいたいことは理解できるけど。
 
 これは結局由乃さまの考え一つで決まってしまうから、ここで論じても仕方は無い。いきなりこの二人のどちらかにロザリオを差し出すような突飛な真似をするとは思えないけど、だとすればあの方はどうするのだろう。
 妹作りに悩む二年生。立場的には同情されて然るべきものはあるが。
(まあ、なるようになるか)
 目の前の、『妹候補』 たる二人を横目に見ながら、乃梨子はぼんやりと思った。結局二人とも、「妹になるなら、是非志摩子さまの」 という結論に達したようだ。気持ちは狂おしいほどに理解できるが、それこそ大却下である。



 議論は果てしなく続いた。
 既に夜はどっぷりと更けて、そこでようやく夕飯を食べていないことに気付いた。三人でわいわい言いながら台所に立ち、夕飯の支度をする。(可南子さんの手際の良さには素直に驚いた)
 そして夕飯を食べながらもあれこれと話し合いは続く。どうやら二人とも、相当に色々溜まっていたらしい。ちょっと公に出来ないような雑言や、単なる愚痴など。とにかく乃梨子ですら予想外なほどに盛り上がった。わいわいやりながらの夕飯は、悔しいが相当に楽しかった。(何が悔しいのか知らんけど)
 結局、本日の命題である、『誰があの暴走特急の抑止力となるのか』 という点に関しては、やはり乃梨子が身を砕くより他ないような気配が濃厚だ。
 が、それは全然構わない。というよりも、抑止力うんたらですら、今日のメインではないのだし。
 瞳子と可南子さんが、少しでも仲良くなってくれたなら。それだけで今日は、大収穫である。

 その後は三人、交代でお風呂に入り、乃梨子の部屋へと引っ込んだ。別に問題などなかったが、あえて挙げるのであれば。
「その、可南子さん」
「なに?」
「ほ、ほんとにその恰好で寝るの?」
 可南子さんはさも不思議そうに頷いた。何かヘンかしら? と呟く可南子さんに対し、乃梨子と瞳子は首を縦にぶんぶんと振って答える。
 だって、可南子さんの恰好ときたら──!
「寝るときはいつもこういう恰好なんだけど私」
 上はTシャツ一枚で。
 下はショーツ一枚。
 そりゃないっすよ可南子さん。しかもTシャツの下は言うまでもなくノーブラである。(いないけど)青少年の目の毒だ。
 おまけに可南子さんたら、スタイル抜群だ。これは間違いなく祥子さまの上を行っている。運動をやっていたせいもあるのだろうが、出るトコは出てて、締まるトコきっちり締まってて。ほら、瞳子なんか顔がりんごみたいに真っ赤だ。
(……負けた。ていうか勝てる気がしねえ……)
 とまあ、そんなこんなで騒々しい一日は終わる。


 ……乃梨子はうつらうつらとしていた。
 久し振りに歯に衣着せぬトークを満喫したとあって、いまだ精神が昂揚しているせいだろうか。すでに時刻は夜中もいいところだろうが、どうせ明日も休みだから、すこしぐらい夜更かししたって一向に構わない。
 乃梨子は、今日という日を布団に潜り込みながら反芻する。

 喋り過ぎた。それが第一の感想。
 単なる遊びのために集まるというのは、この三人では無理がありすぎた。だからこそ合宿と言う言葉にかこつけて、一年生だけの会議という色を率先して前面に押し出すと、予想通りあの二人は乗ってきた。というか、ノリすぎ。
 由乃さまのことなど、二の次である。今日という日はこの二人──今は乃梨子の部屋の床に布団を二つ並べて眠っている可南子さんと瞳子──のためにあったのだ。
 幸い、二人はいくばくか歩み寄ってくれたらしい。
 これを成功と呼ばずに何と呼ぶ。

(ん……?)
 がさごそと、何やら音がする。なんだろう。少なくとも乃梨子ではない。
「……瞳子さんは、今日、どうだった?」
「まだ起きてらしたんですか……。どうだったって、聞かれても」
 私も起きてるぞ、と心の中で突っ込む。
 はっきり言ってこの状況はレアだ。自分抜きでの二人の生会話(?)が聞けるなんて。乃梨子は年甲斐もなくわくわくとしていた。
「私は、楽しかったわ。うん、こんなに楽しかったのは、中学の時以来よ」
「可南子さん……」
(ほう……)
 そう言ってもらえるなら、無い知恵を絞った甲斐もあるというものだ。
「瞳子さんはどうだった? やっぱり私なんかいない方がよかったかしら? 自分の境遇に甘えてるこんな私なんかが」
 一瞬だけ乃梨子の思考は止まる。乃梨子の知らない話である。可南子さんの事情を、乃梨子は知らない。
(知らないけどさ……頼むから瞳子、ヘンな意地張るんじゃないぞ。一言、「そんなことない、私も楽しかった」 って言えば全て丸く収まるんだからなっ)
 やがて瞳子はゆっくりと言う。
「……そんなこと、ありませんわ。私だって今日は、随分楽しめましたし」
(おっしゃ〜)
 乃梨子は一人、布団の中でガッツポーズ。もう今日という一日に思い残すことなど何も無い。
「私、誤解してましたわ」
「何を?」
「可南子さんってもっと、自分勝手な人だと思ってました」
「ふ、それは別に間違った認識ではないけれど」
「いいえ、いいえ」
 会話はまだ続いている。さて眠ろうかと寝る体勢に入っていた乃梨子は、あわてて眠気を振り払う。
「その、可南子さん。……そちらの布団へ行っても、よろしいですか?」
「……構わないわよ。さあ、いらっしゃい」
(おいおい……それってアリか?)
 がさごそと衣擦れの音が響く。何だこの展開は。
「何か、瞳子さんの身体、あったかいわね……」
「子供みたいでしょう? 少し緊張してる所為も、あるのですけど……」
「ううん、可愛いよ、瞳子さん」
「瞳子、って呼んでくださいまし」
「……可愛いよ、瞳子」
(おいおいおいおい。なに二人して百合ゆんゆんしてるんだ……)

 瞳子と可南子さんの吐息と、微かな衣擦れの音だけが、乃梨子の部屋を支配していた。
 (見えないけど、多分)二人は抱き合っていて。時折聞こえるついばむような水音は、二人が交わすキスのものだろうか。
 どちらにせよ、数時間前まで犬猿の仲だった二人は、今はお楽しみの真っ最中だ。
(あのさ……そーいう関係になるのを止めはしないけど、せめて場所をわきまえてくれよ頼むから……)
 ぐるぐるぐる。
 思考は回る。完全に二人の熱気に当てられている。
(ああもう、勘弁してくれ……)
 乃梨子は物音を立てぬよう布団を被りなおした。
 早く眠ってしまえ。乃梨子が起きてるのがばれたら、ただではすまない。早く眠らなくては。乃梨子はひたすらに、ただそれだけを願っていた──。



「……さん。 の……さん、」
「起きてください、乃梨子さんっ」
 すごい勢いで布団が剥がされて、乃梨子は覚醒した。寝覚めはいい方だから、寝ぼけるなんてはしたない真似は、この二条乃梨子にいたってしようはずもない。
 目を開くと、目の前にはお馴染みの二人の顔が。
「!?」
 がばっと乃梨子は跳ね起きる。そうだ、あのことを……昨晩のアレの真偽を問い質さなくては……!
「二人とも!」
 乃梨子の大声に、二人はびくりと身体を震わせた。一体なんなんだコイツは、という表情を浮かべている。
「なんなんですの、乃梨子さん」
「朝っぱらから大声、迷惑よ」
「……」
 しかし、問い質すって言っても、何をどう問い質せばいい?

 ”ねえねえ二人とも、ゆうべレズってなかった?”

 などとは口が裂けても言えるはずはない。
「なに? 言いたいことがあるのなら、はっきりと仰って」
「寝ぼけてるだけよ、きっと」
「……」
 言われたい放題である。
「その、二人ともさ。昨日の夜は、どうしてた……」
 おそるおそる聞くと、二人はさも不思議そうな顔をした。
「昨日は結構疲れてたから、すぐに寝ちゃったけど?」
「瞳子も同じですわ。可南子さんの隣というのは、少々不満でしたが」
「それはこっちのセリフよ」


 アレは夢か現か幻か。
 少なくとも、今の二人の様子から察するに、ゆうべのアレにはどうしても結びつかない。そもそも非現実的だ。この二人が、あんな行為に及ぶなどとは。
 乃梨子とてゆうべはゆうべで相当に疲れてて、尚且つこの二人のことが頭の大半を占めていたからこそ、あんなおかしな幻想を視たのだろう。
 うん、そうに決まってる。そうだそうだアレは夢だ。
 ていうか夢であってくれ、頼むから。


  ◇


 明けて月曜日──。
 いつものように薔薇の館へと赴いていた乃梨子は、すこぶる上機嫌だった。結局由乃さまをどうするか、という明確な対策は思い浮かばなかったが、あの合宿で乃梨子たち三人は少しは前に進めたはずだ。
 結果的に由乃さまの思惑通りに嵌ってしまったのかもしれないが、まさかあの方が本気で乃梨子たちを仲良くさせようとして、あの馬鹿げた計画をうちだしたわけでもあるまい。
 おおかた、上からの圧力が原因だろう。下級生の面倒一つ見れない人間に、妹なんて作れない、とかね。
 そんなことを考えつつ会議室の前まで来た乃梨子は、ふいに中からの話し声を聞いた。
 盗み聞きしようなどと考えたのは、それが不穏当なものであると予感したからだ。
 乃梨子は耳をすませた。
「……でね、これが計画書」
「やめなってば由乃さん。わざわざこんなものまで作って……。いいかげん、志摩子さん本気で怒るよ?」
「じゃあなによ、私にこのまま黙ってろって言うの? ふん、ばかばかしい。やられたらやり返すのが、ここでのたしなみよっ」
「相変わらず無茶苦茶言ってるし……」
 なんだ、この意味不明な会話は。察するに中に居るのは二人、由乃さまと祐巳さまだろうが、会話の内容がさっぱり掴めない。
「いい、もう祐巳さんには頼らない。短い付き合いだったわね祐巳さん。あなたのこと、嫌いじゃなかったわ」
「もう、なにがなんだか……」
「私は一人でもやり遂げてみせる。宿敵藤堂志摩子への復讐計画を!!」

 ──志摩子さんへの復讐計画だと!?

 暴走特急への怒りに我を忘れた乃梨子は、勢い良く会議室への扉を開いた。
 そして再び、扉は記録更新する。
「あ、ごっ、ごきげんよう乃梨子ちゃん。今日も可愛いね」
 取り繕ったように言う祐巳さまは、この際無視。
「由乃さま! 復讐計画とはなにごとですか!」
「ふん。おぬしのような小娘にはわからんわ。この私の忸怩たる思いなぞ」
「そんなもの狗にでも食わせてしまえ!」
「な、なんですって!?」
「ああもう、喧嘩しないでよ二人とも〜」
 ヒートアップする二人をよそに、祐巳さまは一人おろおろとしている。が、そんなことを気にしている余裕など皆無。
 志摩子さんに復讐などという戯れ言をのたまう由乃さまを、今、ここで叩いておかなくては。一年後の山百合会に、平穏はない。
「だいたいあなたは、やることなすこと自分勝手なんですよっ。志摩子さんの迷惑も、少しは考えてください!」
「ふん。口を開けば志摩子さん、志摩子さんと。相変わらずの、シスコンっぷり」
「なっ、自分だって、人目をはばからずに令ちゃん令ちゃん令ちゃんと」
「なによ!」
「なんだと!?」



 ……二条乃梨子と島津由乃は止まらない。さながら二人は、血に飢えた獣のように、元来の獰猛ぶりを露にしている。最早二人は、誰にも止められない。
 獣二匹と、ただおろおろとするばかりの福沢祐巳。
 そんな異常すぎる空間に、二人の少女が足を踏み入れる。
「ごきげんよ……げ」
「……なにしてるのよ、あの二人は」
 入ってきたのは、乃梨子と同じく一年生の、松平瞳子と細川可南子であった。二人は、目の前で繰り広げられる戦いを前に、ただただ唖然。
「あ、瞳子ちゃんと可南子ちゃん。お願いだから、あの二人を止めてよっ」
 祐巳の必死の訴えかけに、しかし二人は首を横に振る。こうなってしまってはもう、誰にも止めることは出来ない。
 そうして二人、瞳子と可南子は思う。
──乃梨子さん、それでは抑止力でも何でもなくて、単なる対抗馬。騒ぎが余計に大きくなるだけですわ……。
 どちらにしろ、平穏とは程遠い山百合会であった。



 了






▲マリア様がみてる