■STAY


 ぴんぽ〜ん。
 
 鳴り響くチャイム。
 祐巳はとととと小走りに玄関へ急ぐ。お待ちかねの客人が我が家へ到着したようであった。
「は〜い、どなたですか?」
 けれど一応用心のもと。祐巳は玄関の扉越しに来訪した人物の正体を問う。
「ロサ・フェティダ・アン・ブゥトンとロサ・ギガンティアで〜すっ」
「ぐっ」
 喉を詰まらせつつも祐巳は玄関の鍵を開く。
 かちゃりと扉を開き、そこにあった見慣れた二つの顔を見届けて一言。
「……由乃さん、学園外で肩書き呼び合うのもどうかと思うんだけど」
「洒落よ、シャレ。深く考えなさんな」
「ごきげんよう、祐巳さん」
 福沢家に来訪したのは、他ならぬ祐巳の親友、島津由乃さんと藤堂志摩子さんである。

 今日は土曜日。学校はお休みで、今現在の時刻、午後の五時をちょっと過ぎたところ。
 四人家族にしてはやや広い、割とお洒落な雰囲気ただよう (と、近所で評判な) ここ、福沢邸。今現在福沢家の父親と母親は、仕事関係の人たちとの会合 (というか飲み会) に出席しており、不在。泊まりになるそうである。
 長男の祐麒は、学友である小林君のところへ遊びにいっている。翌日が休みとかこつけて、泊まってくるらしい。
 ということで、家には祐巳一人が残された。


「へ? じゃあ今、祐巳さん留守番? 一人で? 明日の朝まで?」
「う、うん」
 倒置法を多用する親友、由乃さんの素っ頓狂な声に、祐巳は受話器を握り締めながらこくこくと頷いた。
 土曜日の昼下がり、福沢邸の電話が鳴った。
 既に家には誰もおらず、祐巳が受話器を取ると、電話の主は島津由乃さんであった。
 お暇なら遊びましょうという彼女の誘いに、祐巳は今現在自宅を離れられない理由を告げた。理由は前述の通り。
「危険だわ!」
 響く由乃さんの声。受話器越しのそれは、正直言ってちょっと耳に痛い。
「祐巳さん一人で留守番……。しかも明日の朝までなんて。強盗にでも入られたらどうするつもり? 不用心だわ」
「う〜ん、そう?」
 ここいら一帯は比較的治安は良い。というか、かなり良い。アメリカじゃあるまいし、ここ日本でそれ程無茶をする人間がいるとも思えない。
 戸締りをきちんとすれば、それ程危険も無いのではなかろうか。
「甘い甘い。そんな甘っちょろいこと言ってると……」
 その後由乃さんによる防犯倫理から犯罪者の心理、ひいては清らかな乙女としての身の守り方という説明のプロセスを経て、「祐巳さん一人じゃ危ない」 と、由乃さんがもう一人連れて、祐巳の家へ赴くという結論にたどり着いた。
 それはいいとして。
 島津家の今月の電話代は、結構な金額になるであろう事実を、祐巳はちょっとだけ心配した。

 そんなやり取りを交わしたのが数時間前。
 由乃さんが言っていたもう一人というのは、(予想してたけど) 志摩子さんの事であった。二人とも我が家に来訪するのは初めてではない。「おじゃまします」 という二つの声の後、勝手知ったるなんとやらで二人は祐巳の部屋への向かった。
 ちなみに二人とも、中くらいの鞄を持っている。プライベートな品が入っていると想像する。女の子だから、泊りがけに身一つというわけにはいかないのだ。
 さっきの電話口で一人で留守番することの危険を訴えた由乃さん。ならばと祐巳は、「じゃあ泊まりにきて〜一人の夜は寂しいの〜」 と、ややおどけてのたまうと、「気持ち悪い……祐巳さん、レズ?」 なんて、心底不快そうに言われてしまった。
 ちょっと悲しい。

 とにかく。
 祐巳の訴えを聞き入れてくれた由乃さんが、『もう一人』 志摩子さんを連れてきてくれて、かくして突発お泊り会が決行されることと相成った。


「そういえばここに来る途中で、一年生三人に会ったわよ」
 祐巳の部屋で、薦めたクッションの上に座りながら由乃さんは言った。彼女の言う三人とはきっと、二条乃梨子ちゃんに松平瞳子ちゃん、それと細川可南子ちゃんの三人のことだろう。
「駅で会ったわ。乃梨子が二人を誘ったらしいの」
「へぇ」
 間違いなく三人のリーダー的存在である乃梨子ちゃんが、わざわざ反りの合わない二人を呼び出した理由はきっと一つ。
「なるほど。乃梨子ちゃんは二人に声をかけた。当然、『二人に声をかけた事』 を内緒にして、あの二人を誘ったわけね。さすがはやり手の二条乃梨子」
 うんうんと、したり顔の由乃さん。
 いつまでたっても平行線なままの瞳子ちゃんと可南子ちゃん。仮にも山百合会に身を置いているのだから、出来れば険悪な雰囲気は避けたい。それを憂いて、ああでもないこうでもないと策を弄する乃梨子ちゃん。
 どことなく先代の薔薇さま方を彷彿とさせる一年生三人組の関係の中で、間違いなく乃梨子ちゃんは、水野蓉子さま的ポジションである。
 いつまでたっても反りの合わない瞳子ちゃんと可南子ちゃんの首根っこを引っ掴んで強引に引っ張ってゆく乃梨子ちゃん、というビジョンを祐巳は思い浮かべた。
「乃梨子もこれから大変ねえ」
 ベッドにちょこんと腰掛けつつ志摩子さんは言う。
 なんというか、その、あまりに志摩子さんの言い方が実感がこもっていて、知らず祐巳と由乃さんは笑みを浮かべてしまった。
「???」
 笑いの意味が理解できずに目をしばたかせる志摩子さん。
「いやさ、蓉子さまも、あの癖の強いお二人を率いていくのは大変だったろうなあ、って」
「そうそう。やっぱり被るよね。先代の方々と状況がさ」
 やはり、考えることは皆同じ。苦労人二条乃梨子の長く険しい道は、まだ始まったばかりである。


 さしあたって夕食はどうしよう。そろそろ日は落ちて、夕食時である。
「祐麒と二人とか私ひとりだったら、出来合いのものを買ってこようかとも思ってたんだけど」
「その辺りは抜かりないわ」
 ごそごそと由乃さん、鞄を漁る。
「そういえば祐麒さんはどちらへ?」
「花寺の小林君のところ。こないだ会ったよね」
 志摩子さんは、ああ、マサムネ君ね、と。やはり印象的な名前だから覚えているものである。
「きっと小林君のところってのは方便よ。相手は女に間違いない」
 そう断言しつつ由乃さんは、テーブルの上にどん、と包みを置いた。「令ちゃんから差し入れ」 と言いつつやおら包みを開くと、そこにはトレーに整然と納められたサンドイッチや、タッパーのなかには卵焼きや揚げ物、また別の容器にはサラダが。
「これ、令さまが?」
「そう。みんなで食べて頂戴って。ほんと、気が利きすぎて我が姉ながら呆れ気味」
 由乃さんはそううそぶくが、祐巳の頭の中では、
──ああ、材料が丁度揃ってたからね。遠慮せずに食べてよ。
 にっこりと微笑むミスター・リリアンの頼もしい笑顔とスラリとした体躯が、確かな形を持って存在していた。
「材料が丁度余ってたから、なんて言ってたけど、わざわざこっそり買い出し行ってるのよね。私に黙ってさ。まあ、バレバレなのが令ちゃんらしいんだけど」
「令さまって恰好いいよね」
「ええ。優しさとか気の遣い方とか。すごく尊敬してるわ。私もああいう風に振る舞えたらいいな、って思うわ」
「ほんと、ほんと」
「あのねえ二人とも、あんまり誉めるとつけあがるからその辺で」
「令さまはきっと、優しさで人を導くことが出来るのよ」
「妹は厳しさで人を導くんだけどね」
「……ちょっと、話がおかしな方へ転がってるわよ」


「そういえば由乃さん。さっき気になること言ってたよね」
「──?」
 サンドイッチをぱくつきながら由乃さんは目線だけで問い返してくる。
「令さまが恰好いいということ?」
 代わりに答えたのは、サラダに箸を伸ばしていた志摩子さん。でも違う。
「乃梨子が苦労するということ?」
 それでは戻り過ぎである。祐巳は首を横に振る。
「妹が厳しいということ?」
 矢継ぎ早に志摩子さんは続ける。
「ちょっと志摩子さん、最後のはあからさまにわざとでしょう。祐巳さんが言ってるのは、祐麒くんの彼女についてよ」
 正解ではあるが、そんな断定事項のように言われると何だかなあ。少なくとも祐巳は、我が弟の傍に女性を感じ取った経験はない。「瞳子ちゃんが可愛い」 などと過去に発言はしていたが、直接的なコンタクトはあれっきりだと思うし。
「祐麒って彼女いたの?」
「私に聞いてどうすんのよ。姉たる祐巳さんが知らなければ私たちが知りようもないでしょう」
 そりゃそうだ。知ってたら恐い。
「けど弟君も祐巳さんに似て可愛いから、きっともてると思うのよ」
「ちょっとまって」
 生まれてこのかた、もてた試しなんてありはしない。少なくとも祐巳の知る限り。祐巳然り、祐麒然り。浮いた話なんて一つもなかったはずである。
「そ〜お? 弟君、祐巳さんと同じで年上受けしそうな感じなんだけどなあ」
「リリアンが共学だったら、もてていたのかもしれないわ」
「うーん。聖さまと祥子さまが黙ってないと思うけどね。祐巳さんに言い寄る男がいたら」
「じゃあ祐麒さんに言い寄る女の子がいたら、柏木さんが黙ってないのね」
「そうそう……って、んなわけないじゃない。そういうのはコスモス文庫だけで充分だわ。ねえ、祐巳さん」
「ははは」
 事実は小説より奇なり、である。


 令さまの手料理を心行くまで堪能した三人は、リビングでだらだらしていた。
「何だか、自分の家みたいに振る舞ってて、申し訳ないわ」
 だらだらしてても、やっぱり志摩子さんはどこか毅然としていて、しゃっきりしている。世襲制に近いとはいえ、祐巳たちより早い出世が功を奏しているのだろうか。
「何となく落ち着く。それでいてお洒落よね。さすが福沢設計事務所」
 ナチュラルにだらだらしてる由乃さんは、ソファに深々と腰掛けながら言う。
「そういえば、由乃さんのお父様は何をしてらっしゃるの?」
「へ? 話した事なかったっけ?」
 逆に問うてくる友を前に、祐巳と志摩子さんは揃ってこくこくと首を縦に振る。
 すると由乃さんは、「そうか……」 と呟いて、そのまま口をつぐんでしまった。はっきり言って気になる。
「どうしたの?」
「ま、いいじゃない。公にするほど大した親じゃないわよ。ちゃんと堅気の仕事に就いてる、どこにでもいる父親よ。志摩子さんのお父様ほどはっちゃけてもいないし」
 志摩子さんの瞳が色を失う。
 漫画的に形容するならば、白黒反転してるような。ともかくそんな感じ。
「さて、夜も更けてきたし。お風呂頂いてもいいかしら?」
「う、うん。志摩子さんも入るよね」
「ええ……」
「ちょ、ちょっと志摩子さん!?」
 心ここにあらずといった風に呟いた志摩子さんを、祐巳は泡を食って呼び留めた。
 やおら立ち上がった志摩子さんが、なんと上着に手をかけて脱衣のポーズを取リ始めたからだった。ちらちらと下着が見え隠れして、ある意味最強のシャッターチャンスである。
「志摩子さん、しっかりしてよ。こんなところで着替えたらフライデーされちゃうよ」
 と、いきなりきょろきょろと由乃さんは辺りを見回す。や、流石に冗談だから。眼鏡の人とか七三の人とかポニーテールの人とかは流石に……いないといいなあ。
「え、ええ。大丈夫よ祐巳さん。そんな心配そうな顔しないで。由乃さんもそんな心配……そんな呆れたような顔をしないで。そうだ由乃さん、一緒にお風呂入らない? 背中流してあげる」
「結構よ。わざと背中引っ掻かれそうだし」
 もしかしてこの二人、実は仲悪いとか?


 異変が起きたのは、そろそろ夜の10時を回ろうかという頃になった時だ。
 由乃さん、志摩子さん、そして祐巳という順番でお風呂に入り、洗面所で祐巳が髪の毛を乾かしている時のこと。

 ぴんぽ〜ん

 チャイムが鳴った。
「祐巳さん、どなたかいらっしゃったみたいだけれど」
 洗面所への扉越しの志摩子さんの声。
「多分親か祐麒だと思う。ちょっと待ってて」
 髪の毛はまだ途中だけど、取り合えず着るものを着て洗面所を飛び出す。居間には待ちかねたような表情の志摩子さんと由乃さんがおり、二人とも緊張をあらわにしている。
「もしかして、もしかすると強盗、って可能性も」
 由乃さんは厳しい顔で言う。
「取り合えず、玄関まで行ってみるよ」
 祐巳がチャイムの主が待っているはずの玄関に向かうと、後ろから志摩子さんと由乃さんもついてきた。
 何故か、手に手に物騒なものをしっかりと握り締めながら。
「……二人とも、それなあに?」
「決まってるじゃない、武器よ。身を守る武器」
 由乃さんは、ビール瓶を握り締めながら、ことさら真面目に言った。ちなみにビール瓶はまだ中身が入っている手付かずのものである。冷蔵庫から持ってきたのかなあ。
「……用心に越したことはないと思うの」
 声を潜めて言う志摩子さんの手には、父親愛用のどっしりとした灰皿。中身は数本吸殻が入ってたはずだけど、どうしたんだろう。わざわざ中身を捨てて、洗ったのかなあ。
「……心配してくれて、どうもありがとう」
 湯上りの女の子が鈍器を手に勇んでいる姿に、祐巳は生理的な恐怖を覚えながらも、辛うじて感謝の意を表した。

 ぴんぽ〜ん

 そうして、焦れたように再び鳴り響くチャイム。ぎくりとして一様に玄関の扉を凝視する三人。
 意を決して祐巳は一歩を踏み出した。
「……どなたですか?」
「俺。祐麒だよ」
 一同肩の力がどっと抜ける。やれやれと気を取り直して玄関の鍵を開いて、細めに扉を開ける。
 そこに突っ立っているのは、少し決まり悪そうにした我が弟、福沢祐麒その人である。
「どうしたのあんた。小林君のところにご厄介になるんじゃなかったっけ?」
「それがさ、のっぴきらない事情があって……って、由乃さんに志摩子さん……ど、どうしてこんな夜更けに我が家に?」
「私一人じゃ物騒だからって、泊まりに来てくれたの」
「そ、そうなの」
「こんばんわ祐麒君。お邪魔させてもらってるわ」
「ごめんなさい。私たちがいて、びっくりしたでしょう?」
 祐麒は曖昧に答えて、「まいったなあ」 とか、「うーん」 とか、「やばいな、こりゃ」 とか、しきりに何かをぶつぶつと憂いている。
「取り合えず、入れば?」
 祐巳が促すと、やや躊躇いがちに祐麒は我が家に入ろうとするが、心底腑に落ちない声で一言。
「……なあ祐巳。酒とタバコは、マリア様的にはOKなのか……?」


「で、どうして祐麒はここにいるの? この状況を狙って帰ってきたっていうなら、ある意味尊敬するよ、私は」
 居間のソファでテーブル越しに向き合って、早速祐巳は 『尋問』 を始めることにした。
「そ、そんなわけないだろ!」
 祐麒は赤くなって反論した。まあ、そこまで我が弟は軟派な人間ではないだろう。
「そうよね。祐麒君は真面目だもん。そんな不埒なこと、考えるわけないよね」
「私たちは祐麒さんを信頼してますから」
 そんなこと言いつつ、二人の言葉はまるで抑止力のような響きを孕んでいた。祐麒に対する牽制に他ならないだろう。
 二人とも、お風呂上りだ。
 由乃さんはいつもの三つ編みを解いたさらさらのストレートヘア。祥子さまよりも一回りほど長いそれは、祐巳にとっては羨ましいほどに綺麗だ。
 志摩子さんは、おなじみのふわふわの綿毛のような髪の毛を、後ろで自然に束ねている。丁度、三奈子さまのような髪型である。いつもと違い顔立ちや首筋がはっきりと確認できて、ちょっとまずいくらいに色っぽい。
 そんな全く見慣れない二人を見て、(祐巳にとってもそれほど見慣れたものではない。特に志摩子さん) ほんの少しだけ祐麒の目の色が変わったのを、二人はもとより祐巳も見逃さなかった。女の子は自分に向けられる視線には、ことさら敏感な生き物なのだ。
 まあ、単純に祐麒は驚いただけで全くの無害なのだろうが、万に一つも間違いがないとは限らないから、こうしてあらかじめ釘を刺しておくのである。
 とまあ、そんなことはともかく。
「……小林の奴に客人があってさ」
「こんな夜更けに?」
 祐麒は疲れたように頷いた。

 小林君の部屋でテレビゲームに興じていた二人。時刻は九時ちょっと前。
 ふいに、小林君の携帯が鳴った。
 どうやら電話の相手は小林君の家のすぐ前に来ているらしく、小林君はコントローラーをほっぽり出して急ぎ足に階下へと向かった。
 部屋の窓からは、小林邸玄関前が見渡せる。祐麒は好奇心から、そっと下を覗いてみた。
 そして祐麒は面食らった。
 同い年くらいの女の子が泣きながら小林君に寄り縋っており、小林君はその女の子をなだめ、落ち着かせようとしていたからだ。
 修羅場か? 祐麒はとっさに思ったが、少なくとも二人は険悪な雰囲気には見えなかった。
 やがて女の子は泣き止んで、そうして小林君は踵を返した。「ちょっと待ってて」 小林君が女の子にそう言うのが聞こえた。
 どどどと階段を駆け上る音が聞こえて、部屋の扉が開かれる。入ってくるなり小林君は床にへばりついて土下座。またしても祐麒は面食らう。
「すまんユキチ。今日は何も言わずに撤収してくれんか」
「判った。何も言わん。何も聞かん。俺はこのまま帰るよ」
「ありがとう、心の友よ」
「ただ一つだけ条件がある」
「何だ、なんでも言ってくれ」
「あの子、お前の彼女か? どこの誰だか出来るだけ詳しく教えろ」
「……やっぱ聞くんじゃねえかよ」
 小林君の弁明はこうだった。
 女の子はやっぱり小林君の彼女で、歳は一つ下。高校一年生だった。
 付き合い始めたのは夏休みの頃で、なんと出会いは例の祥子さまの避暑地だったらしい。そこで偶然お近づきになりそれなりに色々あって、それなりに親密な関係になったらしい。
 小林君曰く、「世間一般で言うナンパみたいな安っぽい出会いじゃない。もっと運命的で必然的なものだった」 ということらしい。
 女の子も旅行中の身だったらしく、なんと住まいは都内。
 そしてそれ以降、交際を続けていたらしい。

「へえ。小林君、割と手が早いのね。出会ってすぐ恋に落ちるタイプには見えなかったけど」
 由乃さんは楽しげに言う。
「そう。俺も結構ビックリしたんだけどさ。んで、なんで彼女が小林のうちにわざわざ出向いてきたかって言うと、どうやら彼女、女友達に吹聴されたらしいんだ。俺が来るからあらかじめ今日は会えないって彼女に小林は伝えておいたらしいんだけど、彼女の女友達が、『きっとそれは別の女と浮気してる』 って吹き込んだらしくて」
「それで不安になったその子は、いてもたってもいられずに飛んできたということね」
 感嘆したように志摩子さん。
「それであんたは追い出されたって訳」
「そういうこと。丁度奴の家も、あいつ以外留守にしててさ。その、つまり彼女と会うには丁度良いってこと。流石に状況的に気が引けてさ」
 へえ、と女三人。やや際どい話題だからみんな二の足を踏む。
「でも、その子も結構男心をくすぐるのが上手いわね。突然、「あなたに会いたくなった」 って出向いてこられたら、普通男はびびっと来るものじゃないの?」
「さあ? あいにく経験がないもので、何とも」
 悪戯っぽく言う由乃さんを、祐麒は無難にかわした。
「でも、その子はまだ高校一年生なのでしょう? 私なんて、男性とのお付き合いなんて想像もつかないわ」
「私だってそうよ。リリアンの生徒なんて、程度の差こそあれ似たようなものじゃない?」
「あー、その、ね」
 ばつが悪そうに祐麒は口篭もる。
「なによ祐麒。言いたいことがあるならはっきりと言いなさい」
 祥子さまを意識してびしっと我が弟を諌める。すると祐麒は申し訳なさそうに、
「その、小林の彼女って、リリアンの一年生の子なんだ」
「「「……」」」
 黙り込むしかない、リリアン女学園二年生の三人であった。


 何だかんだで時刻は深夜一時を回っており、さすがに箱庭育ちの乙女たちは瞼が重くなってきたように見える。まあ、祐巳もなのだけど。
「ふぁ……。俺も眠くなってきた。祐巳たちは部屋で三人で?」
「そのつもりだけど。まさかアンタ、俺の部屋に一人よこせなんて言うつもりじゃないでしょうね」
「……まあ、祐巳以外なら歓迎するけど」
「んー、ごめんねー祐麒君。私がもう少しスレてたらお相手してあげてもよかったんだけどねー」
「房事には疎くて……。ごめんなさい、祐麒さん」
 なんというか、爽やかさに欠けるボーイミーツガールである。
「はいはい失言でした。つーわけで俺は風呂入ってそのままここで寝るよ。朝まで二階には踏み込まないから。マリア様に誓います」
「別にあんたは自分の部屋にいても構わないけど。そこまで気にしないよ」
「いいっていいって。それじゃ、おやすみなさい」
 ひらひらと手を振って、そのまま祐麒は洗面所に消えた。
「……そんなに気にすることないのに。ねぇ?」
 姿が見えなくなったのを見計らって祐巳は二人に言った。
「いいじゃないの。今日は祐麒君の男気に甘えさせていただきましょう」
「でもちょっと、可哀想ね……」
 きっと祐麒の真意は、女三人には永遠に判らないのだろう。


 部屋のテーブルを廊下に移動して、二人分の布団を敷く。
 ごそごそと布団に入り、一人ベッドの祐巳が電気を消した。途端に暗闇と、耳に痛いほどの静けさに包まれる。
 どうやらまだ祐麒は眠ってはいないらしく、ほんのかすかにテレビの音が聞こえてくる。内容までは判別出来るべくもない。
「祐麒さん、まだ眠らないのかしら」
「明日も……既に今日だけど、休みなんだから夜更かししてるんでしょ。もしかして、ヘンなビデオでも見てるとか」
「ここに食べごろが三人もいるってのに、わざわざビデオ?」
「……由乃さん、あんたって人は」
 冗談冗談と、あくまで由乃さんは軽くかわす。
「でも、いずれ私たちも、男性とそういう関係になるのかしら。そういう自分が、全く想像できないのだけれど」
「なるのかしらって、自分のことじゃない。志摩子さんだったら、相応の服着て駅前でぶらぶらしてれば、向こうから相手がやってくるわよ。そりゃもうきっと、大量に」
「いやだわそんなの。だって、恐いじゃない。見知らぬ男の人と話すのなんて」
「じゃあ、祐麒だったらオッケーってこと?」
「え、ええそうね。祐麒さんだったら話し易いし……って、どうしていつの間にか私の話になってるのかしら」
 何だかんだ言っても、結局本人の心構え次第なわけだ。その気がなければ、何か起きようはずもない。
「彼氏、欲しいと思う?」
 祐巳は誰ということもなく二人に問うた。
「全然」
「思わないわ」
「……私たち、どこかおかしいのかなあ」
 親友たちの答えはなく、ただ目の前には薄暗い空間があるのみ。
 祐麒も眠ってしまったらしく、テレビの音は聞こえてこない。
 いつしか祐巳は、夢の中にいた。


 ──翌朝。

 目を覚ました祐巳は、取り合えず床に寝かせてしまった友人二人の姿を確認しようとした。
 が、誰もいない。
 二人分の布団が綺麗にたたまれて、部屋の隅に鎮座していた。
「……朝早いなあ二人とも」
 寝ぼけ眼で呟く祐巳。そんなとき部屋のドアが開いた。
「おはよう、祐巳さん」
「おはよ志摩子さん。やっぱり志摩子さん、朝早いんだね」
「ええ。でも、どうしてやっぱりなの?」
 何となくお寺の朝は早いのだろうなあ、という先入観に基づくものだから、祐巳は曖昧に誤魔化した。
「そういえば由乃さんは?」
 ああ、と、志摩子さん。けれど彼女の口から出てきた言葉は、祐巳を仰天させるに充分な破壊力を秘めていた。
「由乃さんなら、朝早くに彼氏さんが迎えに来て、彼氏さんの車で帰っていってしまったわ。祐巳さんによろしくって」
「そっ、そんな……!?」
(興味なんてないんじゃなかったの由乃さんっ。令さまべったりのあれは演技だったとでもいうのっ!?)
 一人頭に血が上る祐巳をよそに、志摩子さんは何でもないような顔を浮かべてこちらを見ている。
「志摩子さんはショックじゃないの? 由乃さんに彼氏がいたこと」
「ええ……だって私」
 そんな時、部屋のドアが鳴った。逸る心を抑えて祐巳はノックに答える。
「おはよ、二人とも──うわ、祐巳、お前まだ寝てたのか」
「ほっといてよ。あんたには関係ないでしょ」
「……なに怒ってんだよ。感じ悪いぞ祐巳」
 どうとでも言うがいい。誰にも祐巳の気持ちなんて理解出来ないんだから。
「まあ、別にいいけどさ。俺今日これから志摩子さんと出掛けるから。父さんと母さんが帰ってくるまで留守番頼むわ」
「……どうして、あんたが志摩子さんと出掛けるのよ。適当なこと言ってると私、怒るからね」
「あのね、祐巳さん」
 照れたように、志摩子さん。その表情はいつもの二割増くらいに可愛いものであったが、今の祐巳にはどうしてだか底意地の悪いものに見えてしまう。
 何か言おうとした志摩子さんをやんわりと遮って祐麒。
「今日から……いや、昨日かな? ん、時間的には今日か。今日から志摩子さんは俺の恋人だから」
 反射的に志摩子さんを見る。彼女はこくりと頷いた。まさか、そんな。
「祐巳と由乃さんはすぐ眠ったらしいけど、あれからまあ、いろいろあってね」
「……そんな、あけすけなこと言わないで祐麒さん。恥ずかしいから……」
 じゃあ何か? 祐巳がぐっすり眠ってる間に二人は急接近してハッピーエンド? そんなの──。
──そんなの、絶対私は認めない──!!
 そう叫んだ。いや、叫んだかどうかも判らなくて、ただどうしようもない怒りとやりきれなさが心の中で渦巻いて──



 そして祐巳は、夢から覚めた。
 布団をがばっと跳ね飛ばして、床を見るとそこには、二つの布団が敷かれており、親友二人がすやすやと寝息を立てていた。
「志摩子さん、由乃さんもっ。起きて、早く起きて。お願いだから今すぐ起きてっ」
 ベッドから転がり落ちるようにして祐巳は、ベッドの隣の布団の中の志摩子さんを激しくシェイクした。
 やがて志摩子さんはゆっくりと瞼を開いて、物凄い剣幕の祐巳をぼんやりと見つめた。
「う……ん、地震……?」
 今度は由乃さんだ。
 彼女の身体に馬乗りになって、ほっぺたを両手で揺する。なかなか由乃さんは目を覚まさなかったが根気よく揺する。
「なによ……一体今のは、なにごと……?」
 半分夢の世界の二人に、祐巳は切羽詰って訴えかけた。
「ねえねえ二人とも、彼氏って欲しいと思う? 今すぐ答えて!」
「だから昨日も言ったじゃない何聞いてたのよもう……全然、欲しくない……って。ぜんぜん、ね」
「ええ……私も同じよ……。欠片も、思わないわそんなこと。想像も、つかない……」
 それだけ言って二人は、再び布団を頭から被った。すぐさま寝息が聞こえてきて、再び部屋は静まり返った。

 祐巳はへなへなと脱力してそのまま、二人の布団の間にもぐりこんだ。
 今もそうだし、昔からもそう。そしてきっと、これからも。夢の中ではちょっとアレだったけど、二人といっしょにいると、いつだってこう思えるのだ。
 
──ほんと、同じ目線で語れる等身大の仲間って、いいもんだよなあ……って。



 了






▲マリア様がみてる