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■聖夜にあなたと


「はあ……」
 薔薇の館の会議室で一人、松平瞳子は溜め息をつく。
 ここのところ溜め息ばかりついている、と他人事のように思う。
 具体的に言うと十二月に入ってから。いっそ十一月が終わったら、タイムスリップみたいに31日間を飛ばして新年を迎えてもいいのではないかと。瞳子は半ば本気でそんな事を考えている。
 自覚はあるのだ、こんな事ではいけないと。
 だが自分の気持ちというものは、蛍光灯のスイッチみたいに上手に切り替わらない。

 その時のこと。会議室と廊下を繋ぐビスケット型の扉が、軽快なノックの音で鳴らされた。一瞬だけ心臓が跳ね上がったが、直ぐに平静を取り戻す。
 瞳子たち山百合会のメンバーなら、改まってノックをしたりはしない。ならばこんな日に客人なのかと、瞳子は慌てて身なりを確認した。別におかしな部分があるわけではないが、万が一のこともある。
 ごく小さく咳払いをする。あまり来訪者を待たせるわけにはいかない。
「どうぞ?」
「ちわーす。中華料理『莉々庵』でーす。ご注文のラーメンいっちょうお持ちしやしたー」
 がくっと全身の力が抜けた。不覚にも椅子から落ちそうになりながら立ち上がり、能天気な来訪者のためにビスケット扉を開けてやった。
 
 扉の向こうには一人の同年代の女生徒がいた。黒々と艶やかな髪を日本人形のように『おかっぱ』に垂らした少女だ。暇さえあれば悪戯小僧のように頭の悪いことばかりを考えている瞳子の友人。そして瞳子と同じ薔薇のつぼみという肩書きを背負う少女、二条乃梨子さんだ。
 瞳子の顔を確認すると彼女はにかっと笑い「ごきげんよう!」とピースサインを面前に突き出した。
 何故ピースなのか。何故笑顔なのか。何故そんなにテンションが高いのか。だが不思議と突っ込みを萎えさせるような憎めなさがあった。

 自分と正反対のテンションを保つ友人に対し、正直少し疲れたような気持ちが沸いてくる。だがこういう場合には徹底的にボケ倒すのがここでのたしなみだ。瞳子はなけなしの気力を振り絞る。
「いやー、こういう寒い日はラーメンに限りますわね。えっと財布財布。あら無いわ。どこへやったのかしら」
「それにしてもお客さん渋いですねぇ。聖夜にラーメンだなんて」
「ほほ、色恋にも疲れちゃって。最近はラーメン食べながらDVD見るのが一番楽しいわ。あら財布はあったけど小銭がないみたい」
「お、お釣りありますよ?」
「あらそう? っと、そういえば以前に頂いた割引券がありますの。ちょっと待っててくださる? 今探して参りますから」
「はっ早くしてくださいね」
「ええ急いで……ってラーメン屋のくせに勝手に入ってくるなぁ! 不法侵入で訴えてやるわよ!」
 悪戯小僧のような笑顔は徐々に引きつったそれになる。おまけにいよいよ青白くさえなりだした乃梨子は、無遠慮にもずかずかと薔薇の館に入ってくる。そして叫んだ。
「廊下は寒いんだよ! お前は! これは何かの嫌がらせかぁ!?」
「……ちっ。嫌がらせじゃ悪いのかよ」
「逆切れされた!?」
 恐々としつつも乃梨子は手に持ったオカモチ、ではなく鞄をテーブルの上に投げ出す。そして年代物の石油ストーブに抱きつかんばかりに密着した。分かってはいたが相当寒かったらしい。さむさむさむ……という呟きが念仏じみていて、少しだけ間抜けで微笑ましい。

 瞳子は会議室の照明を点ける。薄暗かった会議室を蛍光灯の光があかあかと照らし出した。先週末に薔薇の館の大掃除も終え、蛍光管もピカピカに磨かれている。だから今日の会議室は一際に明るい。
「あ、電気消してたんだ。何で?」
「時代はエコよ。仕事もしないのに電気点けておく理由がないわ」
「仕事しないって言い切っても良いものか」
 乃梨子はストーブの火加減を調整しながら苦笑する。本来彼女はとても真面目な人間なのだ。
 
 仕事をしないのは今日が二学期の終業式の日だからである。
 加えて今日はクリスマスイブ。瞳子や乃梨子はそうではないが、ここリリアン女学園はカトリック系のミッションスクール。家族ぐるみで熱心なカトリックの信者という生徒も結構いる。そんな生徒たちのために終業式が終わった後に毎年ミサが行われている。
 ミサは基本的に学園側により主催される。山百合会の人間は蚊帳の外、というかつまり一般参加者という立場である。
 基本的にミサは自由参加だが例年大勢の生徒が参加する。予定では瞳子も参加するつもりであり、それは乃梨子も同じはず。だというのに何故二人は薔薇の館でまったりしているのだろうか。ミサが始まるまでもう間もないというのに。

「乃梨子は行かないの、ミサ。白薔薇さまと一緒に行くって言ってなかった。もう直ぐ始まるわよ」
「うん。でも別にまだ間に合うでしょ。瞳子と喋る時間くらいはあるよ」
 程良く温まったらしい乃梨子はテーブルに着く。気楽な格好で椅子に座りながら、さも当たり前のようにくつろいでいる。いつの間にか紺色スクールコートも脱いで。気の抜けたコーラみたいな態度の乃梨子を見ていると、何故か胸が不健康にざわめき始めるのを感じる。
 不意に乃梨子は立ち上がり、信じられない事を言った。
「あ、お茶淹れるね。特製ミルクティーでいいかな」
「だから! ミサがもう直ぐ始まるって……」
 お茶なんてとんでもないと、つい瞳子は言葉を荒げた。
 彼女は姉である白薔薇さまを待たせているはずなのに、こんな所で瞳子と管巻いている。
 だというのに乃梨子は平然としている。どうしてそんなに落ち着いていられるのか。逆にどうして瞳子はこんなにも苛立っているのだろう。と、不思議と冷静に考え込む。すると荒波のようだった感情はみるみる萎えていった。

 少しだけ考える風に立ち止まった乃梨子。一人で肩をいからせる瞳子を見る目はあくまで友達を見る目だった。
 ちょっと待っててねと言い残し乃梨子は流しへ向かう。公言通りにミルクティを淹れているらしい彼女を、瞳子はただぼんやりと見送った。
 流しに立つ彼女の背は大人びている。まるで瞳子より三つも四つも年上の女性のように見えた。

 数分後に乃梨子は、湯気をただよわせるティーカップを二つ載せたお盆を持って、会議室の方に戻ってきた。特製ミルクティだ。二つのカップがテーブルに置かれる。乃梨子はテーブルに着くと早速ミルクティを一口だけすすった。
「我ながら美味い。瞳子もどうぞ」
「……」
 そういう気分でもないし、もうじきミサも始まるだろう。だが折角淹れてもらったお茶を台無しにしたくないし、何より彼女の特製ミルクティは美味しいのだ。瞳子はおとなしくテーブルについて湯気を立てるカップを手に取った。カップの淵から立ち昇る甘ったるい香りが、鼻腔をやんわりと刺激する。
「いただきます」
「どうぞどうぞ。あ、ちなみに志摩子さんには、ミサは瞳子と行くから先に行ってて言ってあるからゆっくり飲んでね」
「ぶっ」
「わ、大丈夫か瞳子!?」
 乃梨子が何気なく切り出した話題の内容にも驚かされたが、何よりもタイミングが良くない。肌色の熱湯が鼻の方に逆流して、瞳子は盛大にむせ返った。
 ようやく収まって落ち着けたのは一分後。飛沫の飛び散ったテーブルを乃梨子がタオルで拭いている。乃梨子はハンカチを取り出して瞳子の顔も拭こうとする勢いを見せたが、辞退した。それではまるで母親と赤ん坊ではないか。顔は自分のハンカチで拭いた。なんてザマだ。

「……で、白薔薇さまと行くのを止めたって。何故そんな馬鹿なことを」
 落ち着いたところで話を戻す。鼻からミルクティを吹いた後ではイマイチ締まらないが、仕方ない。
「別に馬鹿なこととは思わないけど」
「私と白薔薇さまじゃ釣り合いが取れないでしょ。その……明らかに天秤が向こう側に傾くというか」
「天秤の釣り合いとか、瞳子ってそういうこと割りと考えるよなぁ」
「茶化さないで」
 抗議すると乃梨子は残っていたミルクティを飲み干した。
 何だかんだと言い合ってはいるが、薔薇の館にずっと残ってるわけにはいかない。ミサが終わった後は次の予定が控えているも、その予定は二時間も先の話だ。薔薇の館でいつまでも待っているのは意味が無い。瞳子もミルクティを飲み干す。これは冷めても美味しいと思う。
「ほんとはヒマだったから来ただけなんだ。何となく薔薇の館に寄ったら人の居る気配がしたから。まあ瞳子かなあとは思ったけどさ。でも他意はないよ」
「ああ、そうなの……」
 何となく拍子抜けをした。別に乃梨子を待っていたわけではない。だがそうそう都合よく物事が回るはずはないと思わせる乃梨子の述懐である。
「じゃあ早くミサに行きましょう。白薔薇さまを待たせているんでしょう」
「いや、そうでもない」
 油断したのは一瞬だった。乃梨子の動きは特殊な歩法でも習得しているかのように滑らかで、運動神経にそれほど自信のない瞳子はそれに全く反応できなかった。気がつけば乃梨子に二の腕をがっしりと掴まれていた。
「へっへっへ。つかまえた」
 乃梨子は悪戯小僧のような笑顔を浮かべ、完全に勝ち誇っている。瞳子は反射的に腕を引いたがびくともしない。代わりに精一杯抗議した。
「何のつもり?」
「見ての通りだよ」
「だから、何のつもり?」
 乃梨子は瞳子の抗議に答える気が無いらしい。なかば強引に席を立つと、器用に空いた左手で自分の鞄とコート、そして瞳子の鞄とコートも抱えてしまった。なんて器用なんだ。
 そのまま瞳子はビスケット扉の前まで引っ張られたが、さすがに両手がふさがっているために、乃梨子は扉を開けられない。「ちょっと開けて」と顎で指し示されたため、仕方がないので扉を開けてやった。全く意味が分からない。
「任務だからね」
「誰からの指示?」
「私の指示に決まってるじゃん。瞳子を逃がさないように、って」

 二人の視線が、会議室のある一箇所に集中する。そこにあったのは、不気味な存在感を放つ段ボール箱だ。蓋の部分に黒マジックで『クリスマスパーティー用』と書かれている。瞳子の知らない筆跡であった。
「……何となくだけどね、瞳子はパーティーに乗り気じゃないみたいだった。去年みたいに」
「今年はそんなつもりはなかったんだけど。そう見えたかしら」
 乃梨子はうんと頷く。腕をつかまれているわけだから、顔と顔の距離がめっぽう近い。少し気恥ずかしいほどの距離だ。
 パーティーの飾りつけは例年ミサが終わってからという事だ。テーブルの上には何かのキャラクターをあしらった布バッグが置かれ、中には各自が持ち寄ったクッキーなどお菓子の類が収められていた。
「去年は色々あったかも知れないけど、今年はうまく行くって。パーティーも、あの人とも」
「もしうまく行かなかったら?」
「そんなことは有り得ないけど……その時はラーメンでもおごるよ。しかも今日ね。しかも今夜ね」
「今日!今夜!?」
 瞳子はびっくりした。今日しかも今夜女同士でラーメンを食べに行くのは、余りに空気が読めていない。だが乃梨子はやると言ったらやる子だ。それを知っている瞳子は身震いする思いだった。
「だからそんな風にならないよう努力する、って感じかな。さ、行こうぜ」
 最後だけ綺麗に纏めたなあという印象だが、敢えて突っ込まなかった。そんな暇が無かったとも言う。時間的にかなり切迫しているからだ。瞳子たちは薔薇の館からピンボールのように飛び出し、お聖堂へ向かった。


「……あ」
 だが重要なことを思い出して瞳子は急ブレーキをかけた。乃梨子も同じように止まる。
「ストーブ消し忘れた」
「バカ瞳子!」
「自分だって!」
 瞳子たちは再び薔薇の館に駆けて行く羽目になった。
 まったく。一人でセンチメンタルに浸るなんて慣れない事をするから、こんな目に合うのだ、きっと。


  ◇   ◇


 ミサは定刻どおりに始まった。
 遅刻すれすれでお聖堂に入ってきたのは二人の薔薇のつぼみ。しかもこの寒いのに薄っすらと汗をかいていて、しかも肩で息をしている。
 まったくもって締まらないと言ったらこれ以上ない。
 だが、一人で勝手に自分だけの入り口に鍵をかけて、ありもしない出口を探して袋小路をうろうろとしていた去年の今頃よりも余程マシではないだろうか。
「いやあ、非常にスリリングでしたな」
 隣の席で乃梨子が小声で言う。何故か楽しそうだ。
「なに面白がってるの?」
 瞳子は小声で返すが、だがそれほど楽しくないわけでもなかった。


  ◇   ◇


 それから二時間ほど後。山百合会メンバー全員が集まった薔薇の館では、急ピッチでクリスマスパーティーの準備が進められていた。
 『クリスマスパーティー用』と書かれたダンボールの中には、折り紙で作った輪を連結させた鎖や、ティッシュで作った花。あとは厚紙に金銀の折り紙を貼り付けた王冠のようなものが入っていた。
 わざわざパーティー用と銘打って保管しておく現実的な合理性と、その中身の幼稚舎的なラインナップのギャップが妙におかしくて、少し笑ってしまった。

「白薔薇さま。イカリング付けよう」
「ええ」
 藤堂志摩子さまと島津由乃さまが、折り紙の鎖の端と端を持って背の低い脚立に昇る。そうかあれはイカリングという名前なのか……。
「今年はケーキが無いんだよねぇ」
「……そうねぇ」
「白薔薇さまは、令ちゃんに去年習ってなかったっけ?」
「何度か予行練習はしたのだけれど」
「どうだった?」
「不味かったわ」
「そ、そうなんだ。来年は是非がんばってね。応援してるから」
「もちろんよ。期待していてね」
 というか、あなたたちに来年はありませんが……。

 少し離れたテーブル脇では、瞳子のお姉さま──福沢祐巳さまが、乃梨子にあれこれと指示を出していた。
「乃梨子ちゃんには、お客さんを呼んできてもらおうかな」
「がってんだー」
「みんな顔見知りの人達だし話も通してあるけど、仮にもお客様だから粗相のないようにね」
「しょうちのすけだー」
「……乃梨子ちゃんさ、実は去年のこと根に持ってるんでしょ」
「いえいえ、そんな滅相もない」
 去年の今頃は瞳子は未だ部外者であったために詳しくは知らないのだが、外部から招く客人に関して、祐巳さまと乃梨子が少し揉めたのだそうだ。
 それを当然覚えていて尚その役目を乃梨子に言いつける祐巳さまが凄いのか、それとも臆せずに役目をたまわる乃梨子が凄いのか……。
 
 去年少し揉めたというのが理由ではないだろうが、今年は割りと外部から招く客人を絞っている印象を受ける。
 写真部の武嶋蔦子さまと、新聞部の現部長である高知日照美さん。彼女の姉である山口真美さまも誘ったのだが、事実上部を引退しているということで辞退されたらしい。
 そしてあと一人、細川可南子さんが招かれる予定になっている。可南子さんに話を通すと「じゃあ私は体育部の代表として」と言って了承してくれた。彼女には彼女なりの筋の通し方がありそうだ。

「それじゃあ、瞳子には」
 あれこれと考えていると突然祐巳さまに呼ばれて我に帰る。
 てきぱきと仕事の割り振りをする祐巳さまを見ていて特に思うのだが、三年生になり紅薔薇さまという肩書きを背負うようになり、お姉さまは特に山百合会の仕事に関して『平等』の二文字を重んじるようになったと思う。
 同じ薔薇さまである志摩子さまと由乃さまには、当たり前だが指示は出さない。まだまだ山百合会の一員として日の浅い一年生には、経験を積ませるために簡単な仕事を任せる。
 そして一番使い勝手が良く、かつ来年を見据えた上で恐らく『最終調整』の段階を終えようとしている瞳子たち二年生には、良く言えばやりがいのある仕事を任せてくれる。
 何故それが平等なのかと言うと、おそらくお姉さま自身がそういう道のりを歩いてきたからだ。そう、あの『クリスマスパーティー用』の飾りつけを作った人達──小笠原祥子さまや支倉令さまより一つ前の代の薔薇さま方に接してもらったように、一年生である菜々ちゃんに接しているのだ、と思う。
 ……という風にでも解釈しないと、面倒な仕事ばかり命じられるこっちとしてはやってられないぞ、と。

「急遽打診があったんだけど、お菓子同好会から差し入れをもらえることになったの。たぶん、どこかから情報が漏れたんだろうね」
 お菓子同好会からの差し入れ。普通に考えて、主に気持ちとお腹が喜ぶフレーズであるが、何故かお姉さまの顔は晴れない。
「どんな美味しいものがいただけるんでしょうね」
「ケーキだって」
「ああ……」
 由乃さまと一緒にイカリングを取り付けている志摩子さまの背を見ながら、瞳子はなるほどと納得した。
「まさか被らないとは思うけど、もし去年と同じアレだったら瞳子がぜんぶ食べちゃってもいいよ」
「……本気ですか?」
 半分くらいは、と言ってお姉さまは笑った。
「じゃあそういう事でお願いね。菜々ちゃんは私と一緒にお姉さまの飾りつけのお手伝いしよっか」
「はーい」
(そういう事ってどういう事だ……。しかもあなたたちはどこの幼稚舎の保母さんと園児ですか……)
 さっきから突っ込みばかりが瞳子の中で上滑りしている気がするが、それはさて置いて。さて置いて……。

「さーて、ブッシュど…」
「瞳子!」

 瞳子の声はそれほど大きいものではなかったはずだが、お姉さまのそれを遮る声は背筋が跳ねるほど大きく、そして鋭かった。一瞬だけ薔薇の館がしんと静まり返るがそれは一瞬のこと。紅薔薇姉妹には紅薔薇姉妹にしか分からない問題があるのだろうと、周囲にはそう思われたに違いない。
 相変わらずイカリングをいじっていた志摩子さまと由乃さまは、何故かブッシュ大統領の話を始めていた。
「瞳子、行こう」
「それじゃ、行って来ますー」
 待っていてくれた乃梨子と一緒に会議室を出る。まったくもう、というお姉さまの呆れたような声が背中越しに聞こえてきて、何故か笑いがこみ上げてきた。かたや乃梨子は一人で不思議そうな顔をしている。
「さっきのは何なの? また祐巳さまとケンカ?」
「内緒」
 それにしてもさっきはお姉さまに遮られたが、あの反応の速さは予め予測していたとしか思えない。それこそブッシュ大統領に勝るとも劣らずの鋭い反応だった。
 姉とはかくも偉大な存在なのだと、瞳子は改めて実感したのだった。


 客人たちを迎えに行く乃梨子と別れると、瞳子は一人で調理実習室へ向かった。個人的には頂くものを頂いて撤収したかったのだが、数名からなるお菓子同好会の会員の方々に捕まってしまった。
 ぜひこの場で試食を、という強い勧めとともに差し出されたのは、恐らく瞳子たち山百合会への差し入れのケーキと同型のものの一切れ。瞳子の反応が芳しくなければ、これから作り直すのだと。とんでもないことを同好会の会長さんは当たり前のように仰った。すさまじい熱意である。
「食べていただけますか? 紅薔薇のつぼみ」
「……喜んで」
 同好会とはいえお菓子に関してはプロと言っても良いお菓子同好会のみなさん。彼女らが作るお菓子が不味いはずはないのだが、ただ美味しいと伝えただけでは信じてもらえない可能性があるのではないか?
 たかがお菓子の試食とあなどってはいけない。甘く見るとえらい目にあうかも知れないぞ(お菓子だけにね)。
 ここはすでに調理実習室ではない。食うか食わせるかの戦場なのだと、瞳子は気を引き締める。
「早く食べてください」
「あーはいはい。では失礼して……」
 差し出されたのは、お皿の上にちょこんと置かれたショートサイズに切り取られたケーキ。瞳子はそれに豪快にかぶりついた。



   ×   ×



 午後の三時頃から始まった山百合会のクリスマスパーティーも、校門が締め切られる午後の七時まであと一時間という所を迎え、宴もたけなわといった感じに盛り上がっていた。
 去年に比べて外部からの招待客をぐっと絞ったため、自己紹介やクジ引きでの席決めなどもざっくりと省いた。そのため一種ざっくばらんとした雰囲気で会は始まった。

 お菓子同好会から差し入れられたケーキは残念ながら(?)ブッシュ・ド・ノエルではないシンプルな生クリームケーキだった。
 事情を知らない菜々ちゃんは幸せ一杯という表情でケーキを頬張っている。対称的に事情の渦中にいる志摩子さまは、甘いケーキをほろ苦い顔で食べるという難しい技を披露していた。
 そんな志摩子さまにそろりそろりと蔦子さまがカメラを向けると、志摩子さまはパッとスイッチが切り替わるみたいにたおやかな笑顔を浮かべる。志摩子さんも随分と役者になったと、蔦子さまは満足げにうんうんと頷く。

 実はクリスマスパーティー皆勤賞なのだと控え目に豪語する武嶋蔦子さまは、過去二回のパーティーで撮った写真をわざわざ持ってきてくださった。
 先々代の薔薇さま方──つまり祥子さまや令さまのお姉さま方の写った写真が皆の興味を引いたが、何よりも一同が盛り上がったのが、当代の薔薇さま方、つまりお姉さまたち現三年生の一年生の頃の写真である。
 「若い」「かわいい」「小僧だ」と様々な風評が飛び交う中、主に乃梨子と可南子さんと、そして瞳子の三人で、妹にするなら誰がいい? というような荒唐無稽な話題で盛り上がったりもした。その時おめめをキランと猫のように光らせたのが由乃さまである。かつて、妹にしたい下級生ナンバーワンの座を獲得したのだと。えっへんと胸をそらせる由乃さまの態度はでかくて、とてもそうは思えない。
 以前お聞きしましたけどシンジラレナーイ、と乃梨子。
 知ってるんだけど信じられない、とお姉さまと志摩子さま。
 わあ、お姉さまが私の妹って素敵、と周囲の二歩先を行く菜々ちゃん。
 菜々ちゃんの好意的(?)な解釈だけでは自尊心が満足しなかったのか、一度白黒はっきりさせる必要があるようだな、と由乃さまはにやりと笑い腕まくりする。

 そのとき「それ証拠があります」と意外な急展開をもたらしたのが、新聞部現部長である高知日出美さんだった。蔦子さまに対抗というわけでもなく偶然だったらしいのだが、彼女も少しでも会を盛り上げようと、とっておきの小道具を持参していたのだ。
「おおおおおっ!?」
 一同の感嘆と驚愕を誘ったそれは、リリアンかわら版のバックナンバーである。その中から日出美さんが取り出したのは、二年ほど前の日付のかわら版。高等部の生徒を対象にしたアンケートの集計結果の結果発表が大々的に掲載されていた。
 『ベストスール賞』『ミスシンデレラ』『ミスターリリアン』『ミスクイーン』などに見覚えのある名前がノミネートされている中、「ここだ!」と由乃さまが指し示したのは、『妹にしたい下級生』の項目である。そこには島津由乃という名が一番上に記載されていた。瞳子たち下級生の由乃さまに対する認識が少し変わった瞬間だった。
 その号だけではなく、他のかわら版も皆の興味を大いに引いた。
「あの頃のリリアンかわら版って、今思うと狂ってたよね」
「ええ。だからここにあるかわら版の何枚かは、内容が不健全という事で没収処分を受けたはずだけど」
 苦笑しながら志摩子さまは言ったが、多分それは日出美さんを含め瞳子たち二年生が高等部に入学以前の話だ。おそらく何も知らなかった彼女は自分のミスに気付くと、これは自分の個人的な所有物です。没収の対象にはなりませんきっと、と苦しい言い訳をした。きっと新聞部の部室には処分されずに置いてあるのだろう。薔薇の館にとっての『クリスマスパーティー用』のダンボール箱と同じように。
 立場的に微妙なところだが、「見なかったことにしよう」というのが山百合会の統一見解であった。

「……紅薔薇さまなら何て言うかな」
 お姉さまがそう呟きながら手に取ったのは、蔦子さまが持ってきた沢山の写真の山の、上の方にあった一枚の写真。瞳子にとっては見覚えの無い女生徒が写されている。おそらく二年前、お姉さまがつぼみの妹だった頃の、紅薔薇さまだろう。
「イエローローズの時のスクープ写真は没収されたけど」
 蔦子さまは懐かしげだ。イエローローズはついさっき読んだ。面白かった。
「パーティーでのことなら大目に見てくれるよ」
 由乃さまはどこか確信めいている。
「だってこの部屋の飾りつけ、蓉子さまのお手製ですものね」
 志摩子さまが会議室を見渡しながら言う。
 瞳子も思う。この方と面識は無いが、おそらく大丈夫だろうと。さて言うか、言わないか、誰が言うか。誰か言ってくれ。

「──なんてったって王冠だもんね!!」

 満を持してという感じで乃梨子が指差し指摘すると、一同は待っていましたとばかりに爆笑となった。写真に写っている大人びた女生徒は、アルミホイルの王冠を頭に載せて、子供のように無邪気に笑っていた。


  ◇   ◇


 楽しい時間が過ぎるのはあっという間だ。
 パーティーというよりむしろ、日本語で忘年会と言うほうがしっくりと来るような雰囲気をかもした、山百合会主催のクリスマスパーティー。全員参加型のゲームやプレゼントの交換会など、いわゆるパーティーらしい企画などをばっさりと省いた会であったが、思いのほかの盛り上がりを見せた。身内である瞳子にとっても、少々予想外の展開といえた。
 時刻は今は七時に近く、楽しい宴もいよいよ終わりの時間へと近付いている。
「……少し外に出てお話しようよぅ」
 と、酔っ払いのように絡んできたお姉さまの誘いを受け、瞳子は姉と一緒に薔薇の館の外に出てきていた。去年の同じ日は夜を迎えちらりほらりと雪が降ってきたようだったが、今年は暖冬という話でその気配もなさそうだ。
 瞳子ならずとも思うだろう。今年は去年と正反対だったな、と。

 ──確か去年、瞳子はクリスマスパーティーを途中で抜け出し、誰にも気付かれずに出てきたつもりだったがお姉さまに気付かれてしまい、そして、その後色々とあったのだ。
「まあ、色々とあったけど、私は今はお姉さまと一緒にいます。おしまい」
「何だか強引に水に流されたような気がするね?」
「あなたの妹は、ダムのように強引なのです」
「あはは、なあにそれ」
 お姉さまと肩を寄せ合いながら、ウィンドウショッピングでもしているみたいに気ままに、ぶらぶらと歩く。あまり寒さも気にならなかった。
 目的地はあるのだが、取り合えず瞳子は校舎の方へと足を向けた。お姉さまもなんとなくついてきてくれた。
「忘れ物?」
「いいえ。ちょっと思うところがあって」
 ふうん、と答えるとお姉さまは話題を変えた。
「そういえば、お菓子同好会の人たちは何か言っていた?」
「ああ、それ! 大変だったんですよ」
 楽しいパーティーのせいですっかり忘れていたが、あれがなかなか大変だったのだ。
 さあ試食してちょうだいとケーキを差し出され、それを頬張りながら瞳子は、おおよそ手作りケーキに対するあらゆる賛辞の言葉を頭の中に浮かび上がらせた。ケーキを勢いよく完食し、さあ褒めるぞというところで同好会の人たちに先手を打たれたのだ。支倉令さまのケーキより美味しかったですか? と。
「あはは、すごい答えづらい質問」
「笑い事じゃないですよ。これはハメられたって思いましたもの」
「瞳子なら切り抜けてくれると信じてたから。それで、どうやって誤魔化したの?」
「……一休さんですよ」
「一休さん?」
 令さまのケーキより美味しいですかと問われ、瞳子は全身が総毛立ちつつも必死に策をめぐらした。そして答えた。
 仮に私が支倉令さまの妹であったなら、令さまのケーキの方が美味しいと言うでしょう。また、私が仮にあなたの妹であったなら、あなたのケーキの方が美味しいと言っていたでしょう。しかし私は、福沢祐巳さまの妹であり、常々お姉さまのようになりたいと考えているのです。だから私は思います。お菓子同好会の皆さまのケーキも、そして令さまのケーキも、とても美味しいかったです、と。
 そう答えたら同好会のみなさんは納得してくれたのだ。
「へえ。そのココロは?」
「祐巳さまほどの太平楽な能天気娘は、おそらくケーキの選り好みなんてしない……って、なんか痛いんですけどお姉さま!?」
「ふーん、よく言ってくれたね瞳子。へえふーん」
 お姉さまは情熱的に瞳子の手を握ってくれるが、その力がちょっと強すぎる気がする。まあ、何だかんだで偉大な姉の威光を借りる小物、それが瞳子である。
「別に私だってケーキの選り好みくらいするよ? 志摩子さんのケーキはちょっとなあ、って思っちゃうもん」
「問題発言きたー」

 程良く落ちがついたところで瞳子たちは校舎の中に入った。人気の無い薄暗い廊下を歩いて昇降口へ向かうと、瞳子は持っていた手提げ袋の中に自分の下駄箱から出した通学用の革靴を仕舞った。
 ぼんやりと瞳子の動作を眺めていたお姉さまを促して、校舎の外へ出る。銀杏並木の先にはマリア像と校門しかない。二人とも何となく話し疲れたのか、会話もぽつりぽつりと途切れがちだ。
「去年、お姉さまはここで私と別れた後、何を考えてました?」
「うん……確か、夕飯何食べようかな、って」
「……奇遇ですね。実は私も」
「そうなんだ」
 どことなくしんみりと歩いていると、気がつけば銀杏並木の途中のマリア像の前まで来ていた。
 伝えたいことは沢山あったが、今日大事なのは今日のことだ。マリア像を見上げながら瞳子はそう考えた。


「……今日はとても楽しかったです。私なんかがこんなに楽しんで良いのかな、って不安になるくらい」
「いいんだよ。今日だって、そしてこれからだってずっと楽しんでも」
「今日だけです。私には今日と言う一日だけで充分です」
「どうしても行くの? 私を置いて?」
「私は明日からお姉さまのことを忘れます。だからお姉さまも、私のことを忘れてください」
「忘れないよ、ずっと」
「……さようなら。この場所で、貴女に会えて良かった」
「忘れないからね!」


 始まりがあれば終わりがある。
 永遠に続く関係など人間にとってはせいぜい空想であり、出すぎた願望でしかない。そう、始まった瞬間に終わりも始まっているのだ。
 松平瞳子と福沢祐巳。二人の関係も、そんな人の世の理の一つだったに過ぎない。きっとただそれだけの事なのだ。


 楽しかったイブの夜に別れを告げて、私たちは歩いていく。
 それぞれの未来へと向かって──。





















 ……って。
「そんなわけねー! うおーっ!」
「きゃー! 瞳子ーっ! メリークリスマーース!!」
「メリクリ! メリクリお姉さまーー!!!」
 子猫と子猫がじゃれ合うみたいに、瞳子とお姉さまはひしと抱き合った。傍目にはおしくらまんじゅうとか、相撲とか、そんな感じに見えることだろう。きっとマリア様も呆れ果てているに違いない。
 え、さっきのは一体何なんだって?
 もちろん演出です(きっぱり)。

「行こう、瞳子。みんな待ってる」
「はい!」

 ひとしきり抱き合ってクリスマスを祝いあうと、瞳子はお姉さまと手をとって、来た道を逆方向に走り出した。
 昇降口を通り、誰も居ない校舎の廊下を走り抜け、二人は薔薇の館のすぐそこまで来ていた。
 薔薇の館の中からは、かすかに喧騒の音が聞こえてくる。パーティーはまだまだ盛り上がっているみたいだ。
 会議室で楽しんでいる人達のことを思い浮かべたら、瞳子はふと唐突こんなことを考えた。
「私、お姉さまの妹になって良かった」
「ふふふ。私を姉に選んでくれたことに、後悔させるつもりなんて無いよ」
 お姉さまはそう言って笑い、瞳子の方を向いた。
 薔薇の館をバックに、しぜん向き合う形になる。
 あるいは、二人をバックに薔薇の館がそこにある、とも言う。
「ちゃんとしたものは明日渡すけど。あ、これはこれで新品だよ?」
 お姉さまはツインテを縛っているリボンを取る。シンプルな赤いリボンだった。二つに纏められていた髪が落ちて、寝起きみたいな髪形になった。
「じゃあ私も。同じく、新しいものです」
 自分の髪を止めていた白いリボンを解く。紅薔薇のつぼみなのに白とは空気が読めていないが、理由のない選択はない。
 一組のリボンを交換する。お姉さまの手の中には白いリボン。瞳子の手には、赤いリボン。
「ふふふ。ロザリオじゃないけど、今年は受け取ってもらえて良かった」
「お姉さまったら、またヘビーなこと仰って。ほほほ……」
 明日いただけるという『ちゃんとしたプレゼント』は、それはそれで楽しみだが、こうした身近なものを交換しあうのもまた楽しい。
 髪形により、お互いにリボンは何組も持っている。交換するのも初めてではないが、貰ったリボンの数が少しずつ増えていくのは、ちょっと楽しい。また良い思い出にもなる。

 そのとき、何気なく瞳子の渡したリボンをいじっていたお姉さまが、あることに気付いた。
「……って、なにこれ瞳子。何か絵が描いてあるよ」
「ご存知ありませんか? それは未来から来た青い猫型ロボットです」
「それは知ってるけど。あれ、どうしてこんなものが?」
 瞳子が渡したリボンには、端の方にワンポイントとしてとあるアニメのキャラクターの顔がプリントされているものだ。瞳子はわざわざそれが見えないように縛っていたのだから、お姉さまが驚くのも無理はない。
「ふふふ、こんな事もあろうかと、リボンに仕掛けをしておいたんですよ。薔薇の館に戻る際は、ちゃんとそれ縛ってくださいね」
「こ、これを付けろっての?」
 狼狽するお姉さまの目前で、瞳子は頂いた赤いリボンを、手早く自分の髪に結びつけた。
「大丈夫です。ドラえもんを嫌いな日本人はいませんから」
「……へー。それってまるで私みたい」
「うわっ、お姉さまったらついに自分で言っちゃった!」
「あはははは!!」



 楽しい時間は終わらない。まだまだ終わらせない。
 乃梨子に指摘されたように、実は瞳子は当初、クリスマスパーティーに乗り気ではなかった。気後れしていたとも言う。去年のことがあるし、私はパーティーを楽しめるのだろうか、パーティーは私を受け入れてくれるのだろうか、と。そんな危惧があったのだ。
 だがフタを開けてみれば、ご覧の通りである。
 聖夜にあなたと大はしゃぎ。そんなクリスマスイヴも悪くない。

 ──メリークリスマス。

 ヘンなリボンを付けたお姉さまの手をとり、瞳子は目的地である薔薇の館へと戻っていった。


 了






▲マリア様がみてる