■襲う祐巳 
−チャオ ソレッラ! 閑話シリーズその5−


 がさがさと、紙袋の開かれる音がする。
 袋の空け口から光が差し込んで、『私』、は、袋の中から引っ張りあげられる。
 一面にパノラマで広がる、風景。
 ごく薄い桃色の壁紙に、漫画や文庫が納められた本棚。カレンダーは十月。どうやら雰囲気からして、女性の、それも十代の女の子の部屋だろうと、『私』は推測する。
「はぁ……」
 目の前には、髪の毛を両サイドで結んだ女の子が、ややぼんやりとした表情でこちらを見つめている。
「やっぱ、二人にお土産ってのは、まずかったかなぁ」
 カチカチ、カチカチと、『私』の一部分が、軽やかにノックされる。その感覚は、『私』にとって本能的が受け入れる。そうされるべく者……いや、『物』なのだ、『私』は。
「……今頃二人とも、どう思ってるのかなあ。私からのお土産なんて、想像もしてなかったって言う顔してたし」
 『私』には意味のわからない独白だった。
 目の前の少女は、とあるお土産屋で、『私』を一つ手にとった。その後少し迷って、もう二つ、『私』を摘み上げたのだ。そうして『私』は、彼女に買われた。
 三つのうちの一つはここにある。つまり、今の『私』だ。
 ならば残りの二つの『私』は、誰か別の人間の手に渡っていることになる。と、そこでようやく私は理解する。目の前の少女は、お土産として『私』を三つ購入し、一つは自分用として。もう二つを誰かに贈ったのだ。
「はぁ……」
 何をそんなに悩んでいるのだろうか。たかがお土産一つで、しかも一個百円足らずの『私』だ。一体何を悩む必要があるのだろうか。
「妹……か。私、あの二人のどちらかから選ぶのかな……。周りの人はそう思ってるみたいだけど、あの二人、私の妹なんてきっと嫌がるだろうしなあ」
 妹?
 妹という概念はよく判らないが、目の前のツインテールの少女は、どうやらお土産を贈った相手に嫌われていると思っているらしい。
 相も変わらず、不安げな表情。
 ツインテール少女(面倒なので、こう略す)は、『私』を持つと、なにやらノートの隅に書き込み始めた。
 鉛の芯がほんの少し削られる感触がして、徐々に何かの文字が書き込まれていく。
 細川可南子
 松平瞳子
 そう、ツインテール少女は、『私』を使って書き記した。
 当然だが見覚えはない。女性の名というのは理解できるが、はてツインテール少女とどういった関係の人物なのだろうか。
 ───!
 そこで、『私』は、そう遠くない距離に在る、同種の存在を感知した。
 『私』と供にツインテール少女の手に渡った残りの二つだ。
 きっと、「細川可南子」、か、「松平瞳子」、のどちらかに渡されたものだろう。
 『私』、いや、『私たち』は、意識のの共有が出来る。なぜならば人間とは違い、全てのものが同じ形、同じ機能、同じ用途を持ってこの世に創られるからだ。
 全く同じ存在であるのだから、意識が共有──いや、意識は一つと形容した方が相応しいのかもしれないが──ともかく、そういうものなのだ。
 興味を惹く。
 「細川可南子」、あるいは、「松平瞳子」、の手元にあるはずの『私』に、この意識をシフトさせる──。


 ──空気が一変した。
 さっきまでのツインテール少女のいた空間とは、まるっきり違う場所……でもない。今いるここも、どこかの部屋だというのは理解できる。
 先ほどの部屋に比べれば、それなりにシンプルだ。全体的に、物が少ない。本棚に納められている本も、おおよそ半分程度。
 そんな風景の中で、突然誰かの顔がドアップになり、『私』は、危うく大声を上げそうに……はならない。そもそも『私』には、そうすべき口がないのだから。
 『私』をじっとみつめるその瞳は、あくまでも真剣そのものだ。
 やや黒目勝ちな瞳、長くて綺麗な黒髪に、さきほどのツインテール少女とは頭一つ分ほどに差のある、長身。
 細川可南子か、松平瞳子のどちらかであろう人物。
「お土産なんて、いっそ、私にも瞳子さんにも買ってこなければ良いものを……」
 どうやら、こちらも悩んでる真っ最中らしい。何がそこまで、十代の女の子を惑わせるのだろうか。
「祐巳さま、あなたは全然判ってらっしゃらない」
 彼女は、『私』を胸に抱く。
「あなたの方から近付いてこられれば、期待せざるを得なくなる。私は、あなたから離れると、金輪際あなたには近付かないと、心に決めたのに……」
 なるほど、と、『私』は思う。
 贈り主の名……さきほどのツインテール少女は、祐巳という名らしい。今『私』を抱いているこの長身の少女は、何かしら理由があって、祐巳から距離を置いた、いや、置こうとしているか、その辺りだろう。
 だが、贈り物なぞされては──決して高価ではない、むしろ安物である『私』であろうと何だろうと──「お土産を渡す」、などという繋がりを作られては離れられなくなってしまうと、そういうことだろうか。
「はぁ……」
 ここでも溜め息。
「祐巳さま、あなたの妹にはならないと、紅薔薇さまにも公言したというのに……どうしてあなたは、こんなちっぽけなもので私の心を惑わすのか……」
 ここでも妹。
 妹とは一体なんだろう。実際の血の繋がりのある妹とは、若干ニュアンスが異なる印象を受ける。
 どうやらその、「妹」とやらがネックになっているらしいが、『私』にはそれが何なのか、皆目見当もつかない。
 ───。
 と、ここにきてまた、同種の存在の気配を感じ取れた。
 今『私』がいるのが、松平瞳子か細川可南子のどちらかだとして、この部屋の主でない方なのであろうが、行くべきか行かざるべきか。
「はぁ……祐巳さま……」
 そんなものは決まっている。ここまで来たのなら乗りかかった船だ。このまま次へ意識をシフトさせることに、なんの躊躇いもない──。


 ──そしてまた、世界が一変する。
 『私』は、机の上に転がされている、らしい。
 視点をぐるりと動かすと、何と、部屋の隅に膝を抱えてうずくまっている少女が一人。少々時代錯誤な縦ロールと大きな瞳が印象的な、小柄な少女だ。
 おそらくは、松平瞳子か細川可南子、どちらか。
 部屋はわりと古風な佇まいで、畳張りに障子と、とにかく和を重んじる性質らしい。
「はぁ……」
 まただ。また、似たような溜め息が聞こえる。
「判らない。あの人が一体どういうつもりなのか」
 判らない、判らないと、誰も彼も、現状を判ってないらしい。
「あの人は、瞳子のことを目障りと思ってるはず。なのに、なのにお土産なんて渡されるなんて……」
 「あの人」というのは、祐巳のことだろうか。縦ロールの少女は自分のことを瞳子と呼んだ。ならば、先ほどの長身の少女が細川可南子ということになる。
 で、どうやらこの瞳子という少女、祐巳に嫌われていると思っているらしい。
「……祥子お姉さまにくっついて、祐巳さまの邪魔してやったこともあったし、きっと梅雨時のアレは瞳子が原因なんだろうし……それなのに」
 こちらもまた、決して浅くない事情があるらしい。聞く分には、あまり祐巳との関係は穏やかなものではなかったらしい。祐巳の方は、まったくそんなそぶりは見せなかったが。
「あの人、もしかして瞳子のこと妹にしたいとか、思ってるのかなあ……」
 また、妹。一体それは何なんだろう。『私』の知識では、どうやってもカバーしきれないものらしい。
 ふと見ると、瞳子の表情がみるみる赤くなり、やたらと瞳は潤んで、わなわなと身体を震わせはじめる。病気?
 耳の先まで真っ赤にして、握り締めた拳まで赤い。瞳子はがばっと立ち上がり、なにかを振り払うように叫んだ。
「ありえないわっ! そもそもどうして瞳子があんな人の妹にならなければいけないのですかっ!?」
 あらん限りに激昂する。やや近所迷惑だ。
 直後、体の力全てが抜けてしまったかのように、へなへなと瞳子は尻餅をつく。壁に寄りかかり、自らを抱くようにして、火照ったような声で彼女は言う。
「だ、駄目だわ……あの人のこと考えてると、自分が自分でなくなってしまうようで……ああもう、ほんと、訳判らない人だわ、祐巳さまって……」
 そう言って俯く瞳子の頬は、まだ朱が差したままだった。
 何となくこの三人の全容が見えたところで、『私』は再び、元々あるべき場所、あるべき世界へと意識をシフトさせる──。


 ──シフト成功。
 見覚えのあるこの部屋の光景は、紛れもなく祐巳の部屋のものだ。
「はぁ……」
 と、既におなじみになった溜め息。
「私、間違ってたかなあ……。あの子たちにとって、ただ迷惑だけだったのかなあ……」
(そんなことはない。祐巳の気持ちは、あの二人に、それなりの覚悟と気持ちを持って、受け止められている。あとはあなたと彼女たちが、ほんの少し歩み寄ればいいだけの話)
 まるで『私』に問い掛けられているようで、つい心の中で返事をしてしまった。
 『私』……いや、『マーブル模様のシャーペン』は、祐巳の手の中でころころと踊った。
 『マーブル模様のシャーペン』は、黙して何も語らない。いや、語れないと言うのが正しいか。ともかく、この目で見てきたことを祐巳に伝えれば、あの二人が決して迷惑がってなどおらず、むしろ嬉しがっていることを伝えれば、少しは祐巳の気持ちは晴れるのかもしれないが。
 所詮自分は単なるお土産。しばらくすれば忘れられてしまう運命にある。そんな自分がしゃしゃり出たところでどうにもなるまい。
「ま、うじうじ考えてても、仕方ないかっ」
 祐巳は心機一転、急に晴れやかな顔になったかと思うと、やや急ぎ足に部屋を出て行った。『マーブル模様のシャーペン』ただ一人だけを残して。
(随分いい顔をするのね。あの祐巳という少女。あれじゃあ、瞳子と可南子が彼女に惹かれるのも無理はないのかもね)
 そうして、『マーブル模様のシャーペン』は眠りに就く。明日以降、いや、下手をすれば今日から、祐巳の宿題や、学校の授業で酷使されるのだ。今ぐらい眠らせてもらったってバチは当たるまい。
 ともかく、明日以降どうなるのかすら判らない三人のスリリングな関係は、『マーブル模様のシャーペン』の小さな心すら、妙に高鳴らせるのであった。


 了






▲マリア様がみてる