■依存症 
−チャオ ソレッラ! 閑話シリーズその3−


 リリアン女学園の二年生たちが、イタリアへの修学旅行に発って二日。
 登下校時の下駄箱のラッシュが妙に閑散としているのにも、二日も経てば慣れるもの。
 けれど私、二条乃梨子だってリリアンの生徒のはしくれ。
 姉に会えない寂しい思いを、せつなく募らせたりもする。
 毎日顔を合わせているあの人に会えなくて、声さえも聞けなく。そもそも飛行機で十数時間もかかる場所にあの人は今、いるのだ。
 白薔薇さまに会いたい。
 お姉さまに会いたい。
 藤堂志摩子さんに、会いたい──
 乃梨子は、志摩子さんに飢えていた。

「はぁ……」
 暗くて陰鬱な溜め息が、無人の薔薇の館の空気を、さらによくないものにしてしまう。
 「志摩子さんいるかな?」と、薔薇の館を覗いてみれば、そこには人の気配はなく。彼女の姿が見えないことに寂しさを覚え、そして現在どうやったって学園内でのうれしい遭遇はありえないことに気付かされて、より一層寂しさに拍車が掛かる。
 乃梨子はテーブルの上に鞄を放り出し、おおよそお嬢様とはいえないけだるい仕草で、どさりと椅子に腰掛けた。
 ある程度の予想はしていたのだ。
 志摩子さんが修学旅行へ旅立って、こうやって女々しくもふさぎ込んでしまう自分と言う構図を、ありありと。
 けれど、よもや自分のような人間が、『姉に会えないせつなさに苛まれる妹』になるなんてっことは、まかりまちがっても、と。
 なにしろ乃梨子は、中学までを公立共学の四文字を背負って、日々生きていたのだ、『女子校』なんてものはマンガアニメドラマの世界だけの異国語。
 郷に入っては郷に従え、という言葉はあるが、ここまで体を張って実践したくもない。机の上に突っ伏して、絞り出すような声で乃梨子は呟いた。「志摩子さん」、と。
 惚れた。
 悪いか? いいや悪いなんて言わせない。好きになってしまったものはしょうがない。
 あんなに綺麗な人は、雑誌の中でもテレビの中でも目にしたことはない。
 桜の木の下で偶然出会って親しくなって、なによりも志摩子さんの心が綺麗なことに乃梨子は驚いた。外見の綺麗さなど二の次、と言えるほどに。
 彼女は、乃梨子のことを求めてくれる。
 乃梨子が、そこに、『在る』ことを、あの人はことのほか強く望む。
 無欲で澄んだ心の持ち主だと思うのは今も変わらない。けれど、全てを求めない代わりに、あの人はただ一つを真撃に求める。それが欲深い罪なことだと、乃梨子は最近知った。そして知ると同時に、自分がそれをとても心地良く感じていることに気付く。
 気付いてしまえば、もうダメだった。
 そこに乃梨子がいるだけで、あの人は喜んでくれる。花が咲くように。陽の光を受けて、輝くように。
「待ってるから。帰りを、待っているから」
 だから伝えたかった。
 遠く離れていても、乃梨子がここにいるということを、強く。
 志摩子さんの近くにいることが殆ど全てだった乃梨子だったからこそ、たった二日間の別離でさえ冷たい風となって乃梨子に吹きすさぶ。
 しかもこれがあと四日間も続くのだ。それを思うだけで乃梨子は、自分が六日後にはどこかおかしくなってるのではないかと真面目に恐怖する。
「志摩子さん……しまこさ…ん……」
 俯いたまま何度も何度も想い人の名を呟く。磨り減った神経は、そこに産まれた僅かな睡魔に抗えるわけもなく、乃梨子は、薔薇の館のテーブルに突っ伏したまま眠ってしまった。


──数十分後。
 乃梨子は、違和感に目を醒ました。
 違和感の正体は頭。というか、髪の毛。
 こんなところで眠りこけてしまったのも十分に不覚だが、この感触だともしかして、ひどい寝癖がついてしまっているかもしれない。
 変な風に髪の毛が引っ張られたようになっているのが、何よりの証拠。
 大慌てで鞄の中から鏡を取り出そうとした乃梨子は、なんと目の前で優雅にお茶を飲む方の姿を見つけて、飛び上がって驚いた。
「ろ、ロサ・キネンシス!」
「あら、目が醒めたのね乃梨子ちゃん。ごきげんよう」
「ごっ、ごきげんよう」
 というか、呑気に挨拶をしている暇は無い。
 何故うたた寝なんて真似をしでかした乃梨子を叱らないのかとか、そもそもどうして紅薔薇さまが目の前にいるのかとか、疑問は山積みだったが考えるのは後回。
 今は、髪の毛が気になる。
 鞄の中から引っ張り出した手鏡をのぞきこんで、乃梨子は
「な、なんだこれは!」
 慟哭した。
 見慣れたおかっぱ頭はそこになかったから。
 とにかく驚いた。
 そりゃもう、いつぞやの白ポンチョ以上に。
 なんと、乃梨子の頭の左右で髪の毛がリボンで止めてあり、小さな髪房が形作られている。
 鏡の中の自分に、強烈な違和感がある。まるで自分ではないようだ。いったいだれがこんな舐めた真似を……と、そこまできてようやく乃梨子は事実を知る。
「ツインテール……」
 とくれば思い浮かぶのは一人しかいない。
 紅薔薇のつぼみ、福沢祐巳さま。
 いつもの平和で能天気な笑顔が、愕然とする乃梨子の頭の中で揺れていた。
「どうかしら、乃梨子ちゃん。その髪」
「……」
「あんまり気持ちよさそうに寝てるから、つい悪戯しちゃったわ。だって、丁度祐巳と同じくらいの髪の長さだったんですもの」
「……」
「あ、そのリボンはね、元々祐巳にあげようかとも思ってたんだけど、乃梨子ちゃんも似合うわね。もしよろしければ、受け取ってくれるかしら?」
「……」
「ちょっと、こっちに来てもらえないかしら乃梨子ちゃん」
「……」
「ほんと、我ながらよく出来たわ。ふふふ……こうやって髪の毛を撫でてあげると、あの子は本当に夢見心地のような顔をするのよ。幸せそうに、目を閉じちゃって」
 乃梨子の頭に生えてしまった髪房を左手で弄びながら、右手は乃梨子の制服のセーラーカラーを撫でている。
 なんだかもう、何を言う気にもなれず、半ばやけっぱち気味に乃梨子は目を閉じた。目の前の紅薔薇さまが目を細めて微笑んだのが、何となく判った。
(依存症に苦しむのは、どの色も一緒か……)
 不覚にも、紅薔薇さまとその奇行に、妙な親近感を覚えてしまった乃梨子であった。


 番外編その1

「ごきげんよう、可南子ちゃん」
「あ、黄薔薇さま。ごきげんよう」
 薔薇の館の入り口で、偶然であった支倉令と細川可南子。令は、妙な笑顔を浮かべながら、可南子に妙なことを切り出した。
「突然だけどさ、一つお願いがあるんだけど、聞いてもらえるかなあ」
「はあ……。黄薔薇さまのお願いとあらば、出来る限りのことは」
「あのさ、一週間だけでいいから、髪の毛、三つ編みにしてみない?
「はぁ?」



 番外編その2

「いやーーーーーっ!」
 絶叫を上げて、松平瞳子は布団を跳ね除けて目を醒ました。
 粗い息をつき顔面蒼白な彼女は、目を見開いて虚空の一箇所を凝視している。
「な、何たる、不覚……」
 瞳子は夢を見た。
 なんと、自慢の縦ロールが、朝起きたらどこかで見たことのあるツインテールに、変貌してしまっていた夢を。
 余りにお約束な夢を見てしまう自分に、心底嫌気が差した瞳子であった。 
 ……リリアン女学園に残された三年生と一年生の山百合会メンバーが依存症から立ち直るのは、まだ暫く先のことである。


 了






▲マリア様がみてる