■新妻宣言 −チャオ ソレッラ! 閑話シリーズその2−
「由乃さん、お風呂の準備が出来たよ。入って」
部屋に戻って寝ている友の肩を揺すりながら、「私は新妻か」と心の中で自分に突っ込みを入れる。
や、新妻って、そんな。
確かに由乃さんのことは好きだけど、彼女の新妻に立候補したいかと聞かれれば、首を傾げざるを得ないだろう。
それに由乃さんには、祐巳なんかよりもしっかりとした、十数年前からの、『新妻候補』が、いるではないか。
そう、当代黄薔薇さま、支倉令さまだ。
家庭的で優しくて懐が大きくて。尚且つ、剣を持たせれば右に出るものはいないというミスター・リリアン支倉令。
令さまが由乃さんの隣にいる限り、仮に祐巳が由乃さんの新妻に立候補したとしても、あえなく予選落ちという辛酸を舐めさせられるのがオチだ。
だが、もし。
令さまから、「由乃のこと、お願いね」と、由乃さんのことを託されたとしたらどうだろう。
当然祐巳は遠慮するだろう。「私なんかより、令さまのほうが、ずっと」、と。
けど令さまは言う。「祐巳ちゃんなら安心して任せられるからさ」、なんて。
「そんなぁ、令さま、私なんてまだまだですよぉ〜」
無意味にしなしなした声が部屋に響く。
いけない。妄想をたくましくしたせいで、自我の境界線が曖昧になりつつある。
(けど、新妻かぁ……)
いくら清らかな乙女といえど、いや、清らかな乙女だからこそ、『新妻』という二文字の持つ響きは、ある種の幻想を抱かせる。
ここは一つ、自分の将来の展望のことを踏まえてシュミレーション的に、『自身の新妻像』というものを考えておいても損は無いだろう。
祐巳だって女の子。
「将来の夢は?」と聞かれて、「お嫁さん!」と何の疑問もなく答えていたあの頃の気持ち、完全に忘れ去ったわけではない。
それでは、さらに妄想をたくましくしてみる。
新妻といっても、祐巳は女の子で、由乃さんも当然女の子。
日本では同性同士の結婚は認められていないから、その辺りは適当に捻じ曲げて。
『同性同士の結婚が可能』という法案が国会で可決されたと仮定する。
きっかけは何でもいい。
「結婚、しよっか」
「うん」
そうして二人はゴールイン。
曲がりなりにもリリアンの卒業生だから、教会で式を挙げたりする。
女性同士の結婚。
確かに異端ではあるけど、一昔前までの差別的な扱いは、殆ど無くなったといっていい。
近頃では、ウェディングドレス同士、或いはタキシード同士の結婚と言うのも、頻繁に目にするようになってきたからだ。
結婚式が終わり、二人だけの生活が始まる。
家事は平等に分担して、きっと二人とも仕事に就くんだろうなあ。
何だかんだ言っても、由乃さんは、『元重病人』だから、あまり無理はさせられない。助け合って生きていくのが、夫婦だから。
祐巳の方が、たくさん働くようにしよう。
もしかしたら由乃さんは、そのあたりでごねるかもしれないけど、そうなったら二人して話し合って解決したらいい。
話し合って、助け合って、支えあって。
朝。
めでたく大学生活を終えて、この不景気の中、なんとか仕事も見つけて。
今日から二人とも、社会人一年目。
きっと祐巳は緊張するだろうから、きっと見た目より遥かに気丈な由乃さんが、叱咤激励してくれる。
「だいじょうぶ!社会なんかに負けちゃダメよ!」、って。
勝ち負けなんてあるのかなあ、なんてのんびり思いつつも、二人揃って家を出る。
あ、この際、どこかに部屋を借りて、二人住まいを始めたという設定で。
慣れない多彩な人間関係や、ぬるま湯だった高校、大学生活とはうって変わった厳しい世界。
新鮮だったけれど、疲労もかなりのもの。
なんとかかんとか家に帰ってくると、いい匂いがする。どうやら由乃さんが先に帰ってきていて、夕飯の支度をしてくれているみたい。
家に入ると、一人台所に立つ、エプロン姿の由乃さん。
見慣れないその恰好に、祐巳はどうしても見入ってしまい、「祐巳さん、今私に見とれてたでしょう」と、勘の鋭い由乃さんの突っ込みが飛んでくる。
慌てて首を振るも、実際そうなのだから隠しようもないし、よくよく考えて隠す必要も無いから、「えへへ」と、照れ笑いを浮かべる祐巳。
それを見て、何故か由乃さんまで照れる。「すっ、少しぐらい否定しなさいよっ。祐巳さんたら!」、なんて。
妙に甘ったるい雰囲気の中、夕食。
「はい、あーん」とかやるのかなあ。いやいや由乃さん、そういうベタなの嫌いそうだし。でも祐巳がお願いすればやってくれるのかなあ。
料理とかはあまり得意ではないと学生時代に公言していた由乃さん。
けれど祐巳が今口に運んでいる料理は、祐巳にはとても美味しく感じられる。
「由乃さん、お料理練習したの?」
「……まあね。二十歳にもなって料理の一つも出来ないってのも、情けないしね」
「えへへ〜。ありがと〜由乃さん」
「どっ、どうして祐巳さんがお礼言うのよ。わけわかんないわっ!」
「だって〜、それってつまり、私のため、ってことだよね。それともただの私の錯覚?」
「し、しらないわよっ。それに、例えそうだとしても、そういうときは黙って食べてあげるのが正しい気の使い方ってものよ!わかった!?」
「はぁい」
真っ赤になって膨れる由乃さん。
それだけで祐巳はご飯三杯いけます。
さて、夕食が由乃さんだったから、彼女が後片付けしてる間にお風呂の準備をしてしまおう。
部屋探しした時に、「お風呂が大きいこと」ってのを前提にしてたから。あ、当然お風呂とトイレは別々で
ん? ちょっと待て。
そもそも、どうしてお風呂が大きくないといけなかったのだろう。
確か言い出したのが由乃さんだったから、漠然と祐巳も、「お風呂が大きければくつろげる」と、認識していたに過ぎない。
だが、もしかしてもしかすると。
いや、今更こんなことくらいで恥ずかしがるのはお門違いというものだろう。なんたって祐巳と由乃さんは夫婦なわけだから。
そう、だから気にする必要なんて全然無い。
お風呂上がれば、あとは寝るだけだし。
……寝るだけ、なの?
「祐巳さん、お風呂いっしょに……」
「ひうっ!」
祐巳は我に帰った、
見回せば、数時間前にチェックインを済ませた、ローマ市内のとあるホテル。祐巳のルームメイトは親友由乃さんで、彼女の世話をかいがいしく焼いてる間に妄想に歯止めがきかなくなって。
ああもう、これではヘンタイ親父そのものじゃないか。頭の中で、「同類だね祐巳ちゃん」と、ほくそえむ某先代を押しのけて、妄想にピリオドを打つ。
「そ、そうだっ。お風呂にお湯はってたところだったんだ!」
大慌てでお風呂に入って、使い慣れないシャワーなどに戸惑いつつもひとしきりのことは済ませて、お風呂から上がって、そして。
そして祐巳は、後悔することになる。
兆候はあったのだ。
部屋に入ったときから由乃さんのレスポンスがいつもより悪くて、いやそもそも、ミラノからローマまでの飛行機の中でも、どことなく気分が良くないようであった。今になって思えば。
そんなことに気付かないで、何が親友だ、新妻だ。思い上がりも甚だしい。
「微熱よ。いつものことなの。濡れタオルでおでこを冷やして寝てれば、そのうち治るわ。だから」
「由乃さん……」
彼女は泣いていた。
頬を流れて落ちる涙を見て祐巳は、自分の能天気さ加減を心底呪うのであった。
了
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