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■襲う祐巳 
−チャオ ソレッラ! 閑話シリーズその1−


 成田空港をたって、早や、四時間が経つ。
 日付変更線を通ったから、『時間が経つ』という表現は、すこしだけおかしいかなと思いつつ、私、福沢祐巳は、ぼんやりと窓の外を見やった。
 飛行機に乗るのは初めてではないけれど、やっぱり緊張して興奮するのは抑えきれなくて、ついつい祐巳は寝そびれてしまった。
 周囲はほぼ静まり返っており、興奮気味だったリリアンの生徒たちも、おしゃべりに興じトランプに興じ、やがてすっかりカラダがフライトに慣れた頃には、全身に睡魔が行き届いていたらしい。
 一人、二人と寝息をたてはじめ、今ではすっかり、静かで穏やかな空間へと、機内は変貌していた。
 寝そびれた祐巳は、ふと隣の席を見やった。
 備え付けのテーブルの上には、随分と見慣れた縁なしの眼鏡が置いてある。肝心の座席ので静かに寝息を立てているのは、眼鏡を外した、武嶋蔦子さん。
 高等部で得た初めての友人であり、祐巳にとっては、何でも話せる、よきアドバイザーという印象がある。
 いや、正真正銘同い年なんだけど、考え方が大人びてて、実は密かに尊敬してたりもする。
 座席に備え付けられた物置の上の、主から離れた眼鏡をそっと手に取り、何の気なしに自分にかけてみて、もう一度蔦子さんを見る。
「……蔦子さんって、結構」
 普段、『眼鏡美人』、という印象の在る蔦子さん。
 よくよく考えて祐巳は、眼鏡を取った蔦子さんを見るのが初めてだということに、毛布にくるまっている本人を前にして気がついた。
 隣で無防備に寝息を立てる親友。
 きらりと光る眼鏡に邪魔されて、彼女の本心、彼女の本音は実に読み取りづらい。いつだって颯爽として、祐巳のことを気にかけてくれる大人びた少女。知性的な眼鏡美人武嶋蔦子は、そこにはいなかった。
 僅かに震える長い睫毛と、色白で柔らかそうな肌。目を閉じて、童女のように眠る蔦子さんは、無垢で、あどけなくて、そして危ういほどに儚い。
「蔦子さん……」
 触れたい、と、思った。
 別にいやらしい意味でも何でもなくて、本当の本当に、一粒も後ろめたさの無い気持ち。
 いつだって恰好いい彼女の、無防備な部分に触れたい。
 誰も知らない、カメラの向こう側の世界を見たい。
「かしゃり」
「ひッ……」
「ふっふっふ。祐巳さん、こののっぴきらない状況はどおういうことかしら」
「こ、これはその!」
 さっきまでの寝息はどこへやら。蔦子さんは、「よいしょ」っと座席の上で体勢を立て直して、すこし寝乱れた髪を軽く撫でた。ことさら、『何か企んでいそう』、な表情で、こちらを覗き込んで来る。
「私の眼鏡をかけて、肩まで掴んじゃって。吐息を感じて目を開けてみれば、あわや貞操の危機。さしもの蔦子さんもどきどきよ。もう、祐巳さんったら、飛行機の中でなんて」
「つ、つたこさあんお願い……魔が刺しただけなの。お願いだから、みんなには秘密にしておいて。蔦子さんの寝顔見てるうちについ……」
「とりあえず、眼鏡返してね」
「え、ひゃ!?」
 蔦子さんの手が、毛布の中からにゅっと伸びてきて、まるで蔦のように祐巳のかけていた眼鏡を絡め取ってしまった。蔦が……じゃなくて、蔦子さんの手が微かに祐巳の顔に触れて、それだけで祐巳はどきりとした。
「安心しなさいな。カメラには収めてないから。これなら、不安がることも無いでしょう?」
「そ、そうかな……うん、そうだね」
「でも、眼鏡かけて頬を赤らめた度アップの祐巳さんは、しっかりと心のフィルムに納めておいてあげたから。そう簡単には忘れてあげないわよ。この写真は、私だけの専用ね」
「つ、つたこさあん……」
 抜け目ない親友の名を、情けない声で呟く祐巳であった。



──ローマ市内にある、とあるホテルにて。
「ふふふ」
「な、何よ蔦子さん。ヘンな声出したりして」
 蔦子と同室となった山口真美が、気味の悪い笑い方をするルームメイトを見て、恐れおののく。
 普段の蔦子のキャラクターが、『読めないポーカーフェイス』であるのを強烈に認識している真美だからこそ、ニヤニヤと嬉しさを隠しもしない蔦子を心底気味悪いと思ってしまう。
「これは失敬。ちょっと飛行機の中でね、イイコトがありまして。にじみ出る嬉しさ、って奴?」
「知らないけど……ハッキリ言って相当不気味。出来れば今、これっきりにして欲しい」
「うーん、もしかしたらそれ、無理な注文かも。ヘタすると、修学旅行中このまんま」
「ちょ、ちょっと待ってよ」
 真美はらしくもなく狼狽した。
 基本的に旅行中に利用するホテル、旅館の類は、すべて二人部屋。
 誰と組むかは完全に自由で、LHR一時間をまるまるかけて、二年松組の修学旅行中の部屋割りは、目立った不平不満もなく完了した。
 「ルームメイト、どう?」、と誘ってきたのは蔦子からであった。その時、正直真美はほっとした。
 それなりに気心が知れてて、騒がしくもなく、立ち入ったことまで踏み込んでこない蔦子は、真美にとって、理想の人間関係を築ける人間だったからだ。
 その、『理想的な人間』であるはずの彼女が、どうしてこうもふにゃふにゃしているのかと、真美は尋ねずにはいられない。
 すると、蔦子はこう答えた。
「飛行機の中で、とびっきりの写真が撮れたのよ」



 了






▲マリア様がみてる