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■愛のカケラ


 1

 この感情はきっと間違っている。
 例えばそれは、煙草のポイ捨てをするとか、駐車禁止の場所に車を止めるとか、夜中に大きい音量で音楽を聞くとか、そういう手合いの間違いとは、明らかに一線を画するものだ。
 俺はきっと、愛してはならない人を愛してしまった。
 人間が当たり前に持つ道徳心とかモラルとか、そういうものを越えてしまった。
 越えてはならない一線を、踏み越えてしまった。
 何故ならその人は、俺の姉という立場の人だからだ。
 生まれたときからずっと一緒で、同じものを見て、同じ事を考えて、同じように生きてきた。
 そういった関係に齟齬が生まれたのは、俗に思春期という時期を迎えてからだった。男は男、女は女で小集団を作り互いに意識をしつつも、つとめて交わらぬようする時期だ。
 きっとその時からなのだろう。俺の感情に小さな小さな間違いが生まれたのは。
 思春期という時期が男女の距離を離すのは、例え血を分けた姉弟とて例外ではない。
 同じ時を過ごす事を恥ずかしく感じるようになり、一つ屋根の下に暮らしながらも、会話する事はおろか、顔を合わせることすら滅多になくなってしまった。
 初めは何も感じなかった。ごくごく当たり前のようにして目の前の現状を受け入れたものだった。
 しかし一週間たち一ヶ月たち、そういう期間が一年を越える辺りになって、何かがおかしい事に気付く。
 距離が離れてしまった姉のことが気になって仕方が無い。気が付けば姉の姿を脳裏に鮮やかに思い描き、姉の事ばかりを考えている。
 やがて俺は気付く。俺が姉──ユミに対して抱いているこの感情は、詰まり、”愛”、と呼ばれる物ではないのだろうか、と。
 家族愛ではなく、姉弟愛でもない。それでは、しっくり嵌らない。それは、一人の男が、一人の女に向ける感情としか、言いようがなかった。
 …………。
 ……。



  *  *  *



 朝、いつものように登校して、いつものように二年松組へと足を踏み入れた福沢祐巳は、ちょっとした違和感に囚われて思わず足を止めた。
 教室のそこかしこに、数人で構成された集団が他愛のない雑談に興じているのは普段と変わる事のない光景だが、そのうちの集団の幾つかが、明らかに祐巳の方に意識を向けてひそひそ話しをしている。
 なんだろう一体。少しだけ癇に障る。

「おはよ、祐巳さん」

 違和感に胸をざわつかせながらも自分の席へと向かっていた祐巳に、挨拶をしてくる人がいた。同じクラスの友人の島津由乃さんだった。
 おはよう、と挨拶を返しながらも、祐巳は周囲の一部の人間の意識が自分の方を向いているのを気にしていた。
 噂話のネタになるような事を提供した覚えはないのだが、何か気付かぬうちに失敗でもしてしまったのだろうか。

「ねえ、由乃さん。今日の私って、どこかヘンかな? 顔にゴミとかくっついてる?」
「ゴミ? そんなのついてないけど……何で?」

 由乃さんの耳の傍まで口を寄せて、小声で伝える。クラスの皆に聞かれるのは余り得策ではない。
 気になっていた事を簡潔に伝えると、由乃さんはこっそりと周囲を見回す。
 未だにちらちらと祐巳の方を向いている視線がある。勘の良い由乃さんが気付かないということは無いだろう。

「……確かに、ね。何か気に食わないわね、この雰囲気。言いたいことがあるなら正面切って言いなさいよって感じ」

 なんだか由乃さんは、当の祐巳よりも怒っているみたいだった。少しだけ嬉しい、かも。
 やがて予鈴が鳴り、生徒たちは三々五々自分の席へと戻っていく。伴って祐巳へ向けられる妙な意識みたいなものも急速に霧散した。
 しかし事態は一向に改善されていない。原因を掴み何らかの対策を練らなければ、次の休み時間も、その次も。明日あさって以降も同じ事の繰り返しになるのだろう。
 それは、決して快い想像とは言いがたいものがある。薔薇のつぼみといえど、祐巳は聖人君子ではないのだから。不愉快な目に会えば、それなりに不愉快な感情を抱いてしまう。

「よっしゃ。他ならぬ祐巳さんの為だ。明日までに原因を調べといてあげる」
「ほんと? でも、何をどうやって調べるの?」

 そういえばと祐巳は思い出していた。
 こんな感じの成り行きで、由乃さんから調べ物を頼まれたことがあった。黄薔薇ナントカとかいう謎の言葉の正体だったような覚えが。

「ふっふっふ。蛇の道は蛇言いましてな。調べ物に関してはちょっとしたツテがあるから。まあ任せておきなさい」

 そんな感じで、妙に自信満々な由乃さんであった。



  ◇



 山百合会の仕事を終えて祐巳が家に帰ると、弟の祐麒が玄関に置いてある電話で誰かと話をしていた。
 ちなみに祐巳たち姉弟は、揃って携帯電話なるものを所持していない。
 姉弟とはいえ電話を盗み聞きするのはマナー違反なので、祐巳はなるべく静かに脇を通り抜けようとしたのだが、何故か祐麒はジェスチャーで、『ちょっと待ってくれ』、と伝えてくる。
 にしたって、受話器片手に、足でジェスチャーをするのはどうかと思う。見てるこっちの方が足がつりそうな今の弟の体勢であった。

「ふう。お帰り、祐巳」
「ただいま……ていうか一応確認したいんだけど、私に、『待っててくれ』、って言いたかったんだよね?」
「そんなの当たり前じゃないか。イチイチ確認するほどのもんでもないだろ?」
「そ、そうかな?」

 弟とは微妙に感性のズレがあるようだ。まあ、それは兎も角として、一体祐麒の私への用事とは何だろう。

「今は小林の奴と電話してたんだ」

 祐麒はそう前置いて、なにやら深刻そうに話し始めた。ちなみに小林というのは、花寺学院での祐麒のお友達である。祐巳とも何度か顔を合わせた事のある仲だった。

「実はな……」

 祐麒は語った。
 今朝いつも通りに花寺学院の自分のクラスへと登校した祐麒は、なにやら妙な違和感に囚われたらしい。クラスメイトの一部の子が、祐麒の噂話をしていたらしいのだ。
 何事かと祐麒が周りを見回すと、それは潮が引くように収束したらしいのだが、そこまで聞かされて祐巳は、何だか似たような話があったぞ、とぼんやりと思った。
 無論噂話のネタになることなぞ心当たりの無い祐麒は、小林君やアリスに、「俺何かやらかしたかな」、と聞いたらしいのだが、彼らにも心当たりという程のものは無かったらしい。
 ”噂話なんて下らない”と切って捨てる事が出来るのが男の子の特徴、だなんて思い込んでいた祐巳であったし、事実男の子は、女の子みたいに噂話に華を咲かせたりはしないのだろうが、しかし祐巳の弟はそこまで硬派な子ではなかったらしい。
 ぼちぼち調べてみようか、とい小林君とアリスの申し出を、祐麒は藁にも縋るような気持ちで受け入れたらしい。

「……だって、気になるだろ? 普通陰口叩かれて気分のいい奴なんていねえよ」
 言い訳するように祐麒はぶっきらぼうに言う。
 そりゃま、確かに気になりますがな。気にならいと言えば嘘になる。今日の祐巳は、特に。
 その噂話が陰口の類いであるかどうかは今は知る術はないだろうが、噂話=よくない噂、というのは祐巳にとっても大体同じイメージだった。

「でもって、ここからが本題なんだが」
「う、うん」

 今日の祐麒は妙に饒舌だった。普段家では口数の多い子ではないのに。

「……しかし、先ずはカシを変えようか。玄関先で長話も何だしな。俺の部屋に来てくれよ」

 というような祐麒の申し出を受け入れて、祐巳は弟の部屋へと向かう事になったのだった。
 それにしたって、着替えぐらいさせろ。コトを急ぐ男の子は女の子に嫌われるぞ、と祐巳はこっそりと心の中で弟に突っ込みを入れた。



  ◇



 久し振りに入った弟の部屋は、まあ、当たり前に弟の部屋だった。
 雑然としていて無骨で飾りっ気がなくて、なんというか、自分の部屋とは匂いが違う。家には家ごとの匂いみたいなものがあるらしく、勿論その家に住む人間は、その匂いには慣れていて、詰まり、”無臭”と感じるものらしい。
 しかし、この弟の部屋を無臭とは感じない。不快な匂いでは勿論ないのだが、何だか落ち着かないように思うのは気のせいだろうか。

 当り障りの無い場所を探し、結局祐巳は祐麒の学生服が脱ぎ散らかしてあるベッドの淵に腰を下ろした。ちなみに祐麒は、机に備え付けてある椅子に座った。
 そうして、待ちかねたように祐麒は口を開く。
「さっきの続きだ」
 返事の代わりに頷いて、弟の話の続きを促した。

「祐巳。最近お前、身の回りに違和感を覚える事は無いか?」
「……」



 ──十分ほど後。

「……やっぱそうか」
「うん。私も祐麒と同じように、今日の朝ヘンな違和感を感じたの。ひそひそ話されて、ちょっと気分悪かった」
「俺も今日の朝からだ。これは何か裏があるに違いない、と俺は直感したわけさ」

 ・今日の朝から
 ・福沢姉弟の二人が
 ・同じように、違和感を覚えた

 偶然が三つ重なれば、それは必然と捉えて然るべきだ、と良く云うが、果たしてこの符合は一体全体どうなっているのだろう。

「それでな。さっき電話で小林の奴と話してた事なんだが。どうも俺とお前の状況に、何らかの関連性があるらしいことが判った。詳しい事は未だ不明らしいがな、元凶は同じ所にあるらしい」
「元凶……ねえ。物騒なことじゃなければいいんだけど。それにしても小林君って凄いね」
「奴はあれで妙な人脈を多く持ってる奴でな、もしかしたら明日明後日には原因を掴んでいるかもしれない。とにかく油断するなよ。俺は別にどうってことはないが、お前に何かあったらシャレにならん」
「なんで?」
「……それぐらい自分で考えろ」

 祐麒は考えすぎだよ、と言いたい祐巳であるが、原因が全く見えていない現状に置いて、確かに油断は禁物かもしれない。

 それから少しして、祐巳は弟の部屋を後にした。長居したってお互いに迷惑になるだけだから、結局様子を見るしかないと判断を下した今、頃合と言えば頃合だった。
 去り際に、「気をつけろよ」、と言った祐麒の表情は真剣そのもので、祐巳は少しだけこの年子の弟のことを見直した。
 まだまだ至らない部分は多々だけど、割としっかり男の子してるじゃない、と。


 夕飯を食べ終えた頃に、由乃さんから電話があった。
 祐麒と小林君のやりとりを聞いたわけではないのだが、祐巳と由乃さんの間で交わされたやり取りは、彼らの間でのそれと大差ないものだったと思う。
 しかし、少しだけ妙といえば妙な事を聞かれた。

『ねえ祐巳さん』
「なに?」
『最近、弟君と二人で出掛けたりした?』
「え、祐麒と? うーん、夕飯の買出しとかに一緒に行く事はたまにあるけど……それを一緒に出掛けるとは言わないよねえ。というか、ここ数年、一緒に出掛けたとかそういう記憶はないよ。そんな感じ」
『まあ、それが普通よね。祐巳さんとこは別に姉弟仲は悪くないし、ていうか良いのが普通みたいな状況よね』
「??? まあ、普通って言えば普通かな。喧嘩とかしないし」
『そうよね。仲が良いのは当たり前だし。だとしたら、何でそんな当たり前のことを……』

 ぶつぶつと、電話口の向こうで由乃さんが呟く声が聞こえる。
 どうも彼女は彼女で何か掴んでいるらしいが、それは未だ彼女の中で漠然と形を成さないもののようだ。

『ま、明日か明後日までにはもう少し確かな情報つかめると思う。もうしばらく内偵を進めることにするわ』
「ありがとう……でも、無理しないでね。片手間でいいから」
『不確かな情報売るのは流儀に反するのよ。こうなったら最後の最後まで調べ尽くしてやるから。期待しててね?』
「う、うん。宜しくお願いするね」

 別に情報の売買をしているわけではないのだが、由乃さんは相当に乗り気の様子だった。こういう時の彼女に水を差すのは上手くないから、どうせなら徹底的に調べてもらう方が無難かもしれない。

 30分ほどして、電話を切った。
 部屋に戻り、ベッドに無造作に寝転がる。柄にも無く今日は色々と考えてしまう事の多い一日だった。見飽きた自室の天井をぼんやりと見上げながら、今日という一日を反芻する。
 何かが起きている。自分の預かり知らぬ何処かで、自分の事がひそひそと、こっそりと。さながら百鬼夜行の様に人目を忍んで着々と。

「ほんと、何なんだろ。ねえ祐麒?」

 壁一枚隔てた向こうの部屋で、同じようにベッドに寝転がっているかもしれない弟に、何となく小声で話し掛けてみたが、無論答えなど返ってくるはずも無かった。



 2

 私は今日も罪を犯す。
 昨日も今日も、そしてきっと明日も、私は同じように罪を犯すのだろう。
 無知は罪と良く云うが、しかしそれを知っていて知らぬ振りをするのもまた、それは一つの罪。
 果たしていつから私は、”それ”、に気付いていたのだろう。
 昨日? おととい?
 いや違う、そんな昨日今日のことではない。もっとずっと昔のこと。積み重ねられた罪が始まりの形を失い、圧倒的に変貌を遂げてしまう程に、月日は重ねられたのだ。
 しかし私は自分の罪から目を逸らし、彼にばかり罪を、重荷を背負わせてしまっていた。
 今だってそう、壁一枚隔てた向こう側から彼の気持ちが伝わってくるようで、それが嬉しくて愛しくて、苦しくて切なくて、私はベッドの上で一人身をよじらせる。
 ずっと一緒にいた。生まれたときから一緒だった。
 彼が私の隣にいることは当たり前で、しかし互いの気持ちが当たり前のものでなくなってしまったのは誰の所為?
 一緒に居る事は嬉しい事のはずなのに、それが狂おしいほどの切なさを伴うようになってしまったのは、誰の所為?
 わからない。
 ただ一つ判っているのは、理解せざるを得ないのは、彼と私が、同じ親を持つ血を分けた姉弟であるという事実だけ。
 その事実に甘え、頼り、そして今日も私は罪を犯す。
 世界中でただ一人私にだけ向けられる彼の想いに気付かない振りをして、罪を償う事を先延ばしにして、今日も彼──ユウキと私は、姉弟という関係を演じ続ける。
 …………。
 ……。



  *  *  *



 友人の小林稔が、意気も揚々といった表情で教室に入ってきたのは、ホームルームをあと数分後に控えた頃のことだった。
 それを見て、席についていた祐麒は直感する。何か決定的な事実を掴んだな、と。

「うっすユキチ。朝から湿気たツラしてるな」
「るせー。夕べは色々考えちまって寝不足なんだよ。お前こそその能天気なツラを少しは隠す努力でもしろ」
「へへへ。相変わらず手厳しいことで」
「お互い様だ」

 小林の屈託の無い軽口に、同じように軽口を返しながらも、祐麒の頭の中を占めているのはただ一つのことだった。早速祐麒はそれに関して水を向けてみるのだが。
「おっと、焦るなよ。確かに情報を掴んだ事は掴んだがな、掴んだのはついさっきのことなのさ。情報を整理する意味も兼ねて、少しは時間をくれ」
「少しって、どれくらいだ。明日まで待てとか言うなよ」
 勿体振る小林に軽く凄むが、しかし小林は動じた風も無く、呑気にあくびなぞ零している。ひょっとして俺以上に寝不足なのか、と祐麒は思った。
 結局小林の奴は、「昼休みまで待ってくれよ」、と言い、のんびりと自分の席へと向かった。

「ち、勿体つけやがって。半日待たされる身になってみろってんだ」
「落ち着いてよ祐麒。小林だって昨日は大変だったんだよ」

 こっそりと悪態をつく祐麒を嗜めるように声を掛けてきたのは、席の近いアリスだった。

「休み時間に方々に電話したり、放課後は放課後で電算部に篭りっ放しだったみたいだし。今日だってあんまり寝てないみたいだし」
「電算部? 電算部に何か関係があるのかよ」

 私が知るわけ無いでしょ、とアリスは短く言って、自分の席へと戻っていく。
 やれやれ、と祐麒は一人ごちる。アリスに当たったって何にもならない事は判りきっているのだが、事態の当事者の気持ちなぞ、本人にしか判らないだろう。
 やがて小林以上に眠そうな高田鉄が教室にのっそりと入ってきて、そして同時にホームルーム開始のチャイムが鳴った。


 
 昼休みに聞かされた小林の奴が掴んだ情報とは、にわかには信じ難いものであった。
 祐麒と祐巳を取り巻く現在の不穏な空気。それは、どうやら一冊の文庫本に起因するものらしい。
 祐麒と祐巳を知る者が読めば、間違いなくそれと判る人物描写。
 設定などに着目しても類似性は一目瞭然で、主要の登場人物である高校生の男女の二人、男の方は男子校に、女の方は女子高にそれぞれ通っている。おまけにその一組の男女は年子の姉弟という関係で、義理ではなく勿論血が繋がっている。
 極めつけはその名前。苗字は作中で明かされないらしいのだが、下の名前がそれぞれ、ユウキ、ユミというらしいのだ──。

「っていうかさ、それってパクリじゃん。そんなの市販されることが許されるのか?」
「パクリっつーか、こういう場合は肖像権の侵害って言うのが適当なんだろうけどな……。それでも、作者にしらばっくれられたらそれ以上突っ込むのは難しいだろうなあ」
「ばかやろう、そんな他人事みたいに言うなよ。このままじゃ噂が広がる一方だろうが」
「そんなこと言われても知らねえよ。現に出版されて大勢の人の手に渡っているんだ。いまさら俺ら普通の高校生にどうしろって言うんだよ」
「……この界隈に売られている分だけでも買い占める、とか」
「バカはお前だ」

 六時間目の授業を終えて、早速祐麒は、情報元である小林の奴を伴って、近場の蔦屋へと向かっていた。理由は言うまでも無く、その文庫本の正体を暴くためである。
 俺は情報を仕入れただけだ。後は好きにしろ、と他人の振りを決め込もうとする小林の奴を、半ば無理矢理に連れてきたのだが、眠気のためか小林のテンションは低い。

「……だりぃ」
「我慢しろ。お前を連れてきたのは、その文庫本の出版社もタイトルもわからねえって所にあるんだよ。これも調査の延長戦だと思え。不確かな情報は売りたくない、くらいの気概を見せろ」
「……俺は情報の質よりも、スピードを優先するんだよ」

 そう言って開き直る小林だったが、こっちはたまったものではない。”そういう文庫本があるらしい”、という情報だけでは、にっちもさっちも行かない。
 文庫本など、それこそ毎月星の数ほど出版されているのだろうと思う。祐麒は普段文庫本など読まないから出版業界の事情までは知らないが。
 せめて、どんな内容なのか、さわりだけでも判れば……。

「って、そういや肝心の内容について聞いてないぞ。内容さえ判れば、新刊ならある程度は的が絞れるだろ」

 しかし小林は目を逸らして、「知らね」、とぶっきらぼうに言うだけだった。
 本当に知らないのか? いや、そんなことは無いと祐麒の直感が告げている。コイツは嘘をつくときに、必要以上に素っ気無く振舞うクセがあるのだ。

「本当に知らないのか?」
「本当だって。だから俺はもう」
「知らばっくれるのもいいけどな、蔦屋に着いたら、文庫本のコーナーをしらみつぶしに調べることになるぞ。無論お前にも時間の許す限り手伝ってもらう。でもな、内容さえ判ればぐっと効率は良くなるだろうな」

 これは一種の脅迫だ。どちらにしろ面倒くさい道しか残されてはいないと突きつけて、しかし洗いざらい吐けば少しは楽になるぞ、と目の前で甘い餌をちらつかせる。
 そのとき人間がどちらを選ぶかなど、考えるまでも無い。

「……恋愛もの」
「はあ?」
「だから恋愛ものだって言ってんじゃねーか! 実の姉と弟の禁断の恋愛を描いた小説だ! 恋愛ものの大御所と言えばどこだ!?」
「こ、コスモス文庫か?」
「そうだよ! それしかねえ! だからとっとと探すぞこの野郎!!」

 恋愛もの、という単語に思考を釘付けにされてしまった祐麒を一人残し、小林はいつの間にか到着していた蔦屋の入り口へと、肩を怒らせて向かって行った。

 ──俺と祐巳が、恋愛?



  ◇



 ──それから二時間後。

 買ってもいないのに愛想良く、「ありがとうございましたー」、と声を掛けてくる店員の声をどこか遠くに聞きながら、祐麒と小林は蔦屋を出た。
 結局、収穫はゼロ。祐麒たちが得た物といえば、達成感という余韻とは無縁の、単なる疲労だけだった。

「……なあ小林よう」
「……何だ」
「本当に、そんな文庫本は存在するのか?」
「いや、もう、どうでもいいんじゃないか……」

 蔦屋に到着した祐麒たちが、先ず真っ先に向かったのが、今月の文庫本の新刊コーナーであった。多種多様な文庫本が平積みにされているスペースから、コスモス文庫を片っ端から読み漁る。現代を舞台にしたものだけではなく、異世界を舞台にしたファンタジーにも手を伸ばし、あまつさえ明らかにボーイズラブものと瞭然であるものまで調べまくった。他人の目が気にならないわけは無かったが、心頭滅却すればBLもまた涼し、の境地だった。
 しかし、それらしい文庫は見つからなかった。
 続けて、他所のレーベルの新刊にまで捜索範囲を広げるも収穫はゼロ。この辺りから祐麒たちにとっては、人の目など単なるガラクタに成り果てていた。
 こうなりゃトコトンまでの気概で、文庫本が並べられている棚をひっくり返す勢いで、一冊一冊取り出してはページを捲り、ハズレと理解してまた戻し、の繰り返しを延々と行った。
 新しい物から古い物。社会派から新本格、ライトノベルから文学まで、ありとあらゆる文庫本を調べまくった。
 そして、その結果祐麒たちが得た情報と言えば。

・コスモス文庫はボーイズラブが多すぎる
・ライトノベルはどれも同じに見える
・ミステリーは人が死にすぎる
・文学ってよくわからない
・京極夏彦という奴の本は厚すぎる

 という五点のみであった。

「……帰るか」
「ああ、そうだな……」

 既に時刻は夕飯時に差し掛かっている。今から駅まで戻って電車乗って……そう考えるだけで家までの帰路すらも億劫に感じられる。いっそ小林の家にでも今日は泊まらせてもらおうかとも一瞬だけ思ったが(小林の家はここから比較的近いのだ)、しかし今にも立ったまま眠りそうな小林の姿を見ていると、それもなんだか申し訳なく思えてしまう。
 結局小林の掴んだ情報がガセだったわけだが、ここまで付き合ってもらった事だけでも有り難い。
 耳に入っていたのかいないのか疑問だったが、小林に今日はありがとうと伝えて、祐麒は一人、とぼとぼと駅への道のりを行った。



 家に着く頃には、既に夜の八時を回っていた。
 ただいま、と玄関の扉を開けると、そこに見慣れない靴を見つけて祐麒は足を止める。正確に言うと、見慣れない靴ではない。それは姉が毎日リリアンへと通うときに履く、リリアン女学園指定の革靴だったからだ。
 祐巳のものは玄関の脇のほうに揃えて置かれている。だとするともう一足置かれているこの靴は誰の物だ?
 まあ普通に祐巳の友人の誰かが来ているのだろう。邪魔するのも悪い。なるべく静かに自室へ行こうかと、二階への階段を登ろうとした時だった、その声が聞こえたのは。

「お帰りなさい、祐麒君」
「ん、え?」

 祐麒が間抜けな声を上げて頭上を見上げると、階段の手すりから身を乗り出してこちらを伺っている、島津由乃さんが居た。
 彼女は握り締めた拳をぐっと突き出して、びしっと親指を立てる。そうして、自信満々という表情を浮かべ、こう言った。

「──掴んだわよ。最近巷を賑わしている、祐巳さんと祐麒君にまつわる、とんでもない秘密をね」
 


  ◇



 家に帰ると、何故か島津由乃さんに迎えられる現状に、祐麒は内心首を傾げつつも、彼女に急かされて姉の部屋へと赴く事になった。
 部屋に入ると、机に備え付けの椅子に座って、何かの書類とにらめっこしている祐巳がいた。

「……ただいま、祐巳。一体何を読んでるんだ?」
「あ、お帰り祐麒。うん、由乃さんからついさっき貰った、今回の調査報告書」
「ち、調査報告書だと?」

 思わず後ろにいた由乃さんの方を、まじまじと見つめてしまう。彼女は、「ふふん、これが私の実力よ」、と言わんばかりの顔をしていた。
 姉弟そろって考える事は同じという事か。祐麒は小林に、そして祐巳は由乃さんに、それぞれ情報収集を依頼していたらしい。

「すごいよこれ。ホンモノの報告書みたい。こんなに調べてくれるなんて思ってなかった。ありがとう由乃さん、ほんとに」
「不確かな情報を売るのは流儀に反するって、昨日言ったじゃない。情報屋島津をなめちゃいけないわ」
「……」

 おい、聞いたか小林よ。不確かな情報と判っていて売りつけるお前に、彼女の爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいよ。
 確かにスピードでは小林の方が上だったが、しかし、”確かな情報”、という事実を前に、スピードなど一体何の意味をなすのだろうか。なあ小林。

「ねえ祐麒も読んで見てよ……あ、もしかしたら読まない方がいいのかも知れないけ、ど、うん。そう、き、気が向いたら読んで見て」
「なんだそりゃ。気が向くも何も、読むに決まってるだろ。由乃さん、俺も読ませてもらっていい?」

 しかし由乃さんは、ニヤニヤと笑みを浮かべつつも何も答えない。代わりにその小さな顎をくいくいとしゃくり、例の書類を指す。早く読んでみろとでも言いたげな表情だ。
 苦笑いのような面持ちを浮かべる祐巳から書類を受け取り、早速それを読みにかかる祐麒だったが──。


「……こいつは」

 数分後、書類に一通り目を通し終えた祐麒だったが、しかし思わず感嘆の声を漏らさずにはいられなかった。
 報告書という体裁をきっちり保っていることや、細かく情報を細分化して判り易く揃えられている、というぱっと見の印象もさることながら、祐麒にとって驚きだったのは、その記述されている内容だった。

 小林の奴の情報は、決して的外れではなかったのだ。
 祐麒と祐巳をモデルにした文庫本が存在する、というのが小林の入手した情報であったが、実際はもっとアングラ的な要素を孕んでいた。
 確かにそういった小説は、非常に遺憾ながら実在するらしい。しかし文庫本などといったきちんとしたものではなく、何とネット上の個人サイトで公開されているらしい、ということだ。


そして、以下由乃さんの書類からの受け売りになるのだが。
ウェブ上にはそれこそ、星の数ほどの個人サイトが存在し、その中には、素人が趣味で書いた小説を、サイトスペースにアップして、訪問客に読んでもらったり、書き手同士で交流を深めたり、というような一種の創作活動も盛んに行われている。
 その小説のジャンルも、また多岐に渡り、学園を舞台にしたものやファンタジー、ミステリーなどの定番のものから、とある媒体(アニメやゲーム)のSS──ショートストーリというらしいのだが、そういった二次創作活動的なものもある。
 件の小説は、二次創作ではなく、オリジナルというカテゴリに属されるものだ。さらにジャンルとして分けると、恋愛ものということになる。 
あくまでもフィクションと定義されて書かれているわけだから、それこそ姉と弟の禁断の恋愛を描こうと、まったくの無問題というわけである──。


「ははははは」

 祐麒は、思わず大口を開けて爆笑してしまう。

「ちょ、ちょっと祐麒、どうしたのよ。頭打った?」
「ははは、だってさあ、俺たちがさんざん振り回されていたものの正体が、たかだかネット上の、しかも素人の小説だったなんてなあ。しかも俺と祐巳の恋愛ものだと? これを笑わずして何を笑えってんだ。そうだろ、祐巳」
「う、うん。そうかもね。笑うしかないよねっ。あははははーっ!」
「ははははは!」
「あははーっ」


「……って笑ってる場合かーっ!!」
「きゃあっ!?」


 祐麒は思わず、手に持っていた書類を床に投げつけてしまう。驚いた祐巳が飛びのいて、そして福沢姉弟の爆笑を、(おそらくは)醒めた目で見つめていたであろう由乃さんが、ゆっくりと近づいてくる。
 やばいな、書類を投げつけたのはマズかったかも知れん。
 しかし彼女は、別段恐ろしいまでの殺気などを纏うこともなく、床に落ちていた書類を拾うと、それを祐麒の胸に押し付けて、こう言った。
 “男の子なんだから、もう少ししゃきっとして、落ち着きなさい”
 と。

「……ま、ここまで調べて、ようやく事態は解決の見通しが立った、ってところかしらね。そのはた迷惑なサイトのURLもゲットしておいたから。あとは楽ちんでしょ?」

 と、一人落ち着いている由乃さん。今回一番の功労者だという自負があるのか、やけに自信満々な素振りを見せてくれる。

「そ、そだね。後はそのサイトを見て、管理人さんにメールを送ってみれば、いいのかな?」
「そうね。まあ、その管理人が、事情を知らないでユミ、ユウキという名を使ったなら、ある意味ではその管理人も災難だったわね。ネット上の噂なんてほんと、どこから広まるのか知れたものじゃないから。リリアンと花寺の人間が、そのサイトにたどり着いてしまったのが、運の尽きといったところかしら」

 ようやく現実味を帯びてきた解決の目処が、祐麒の心を軽くする。
 しかし、当面の問題としては、福沢の姉も弟も、ネット環境どころかパソコンすら持っていないことが挙げられる。
 事務所においてあるパソコンならば、恐らくはネットに繋がっているのだろうが、使用にあたっては親父の許可がどうしても必要になる。パスワードなどの設定もされているだろうから、こっそりと忍び込んで調べるのも、やや難しい。
 ここまで辿り着いたのならば、後はあせることも無い。明日学校のパソコンで調べればいいだろう、と恐らくは祐巳も同じことを考えていたに違いない。

 ──違いないのだが、福沢でない人は、そうは考えてはいなかったらしい。

「何姉弟して、まったりしてるのよ。ここからが盛り上がるところじゃない」

 さも心外だ、と言わんばかりの憮然とした表情で、由乃さんが言う。対して、思わず顔を見合わせた祐麒たちは、もしや、と或る可能性に思い当たる。
 もしかして、今から──?

「現在の時刻は、9時を少し回ったところね。正直言って、そろっと時間がヤバイんだけど、ここで引き下がるわけには行かないの。祐巳さん、近場に漫画喫茶とかある?」
「えっ? そ、そりゃ駅の近くまで出れば、漫画喫茶くらいはあるけど……まさか」
「今夜中に、その舐めた管理人を追い詰めるわよ。実はね、私も未だ、そのサイトを見てないのよね。是非拝見させて欲しいものだわ。ユミとユウキの、禁断のラブストーリーを」

 今から出る気など、更々無かった祐麒たちの、それぞれの腕を取り、強引に連れて行こうとする。
 夏ごろに起きた、辞書奪還に端を発した、あの夜の攻防戦の時にも思ったことだが、この人、祐麒たち姉弟をダシにして楽しんでないか?

「ふっふっふ。最後の最後で、『実は義理の姉弟でした!』、なんてのは許さないからね。きっちりと、祐巳さんと祐麒くんの恋愛を、最後まで、ゲンミツに描写してもらわなきゃ。最後の一線を越えて、果たしてそのとき、二人は何を思うのか。そして、どんな悲しい結末を迎えるのか。ふふふふふ……」

 この人がインセスタスに一体何の思い入れがあるのか知らないし、知りたくもないが、異常に乗り気な今の由乃さんに待ったを掛ける事など、祐麒たちには、到底出来そうもなかった。




 3

 限界だった。
 これ以上の我慢は、自我を狂わせてしまうかも知れない。
 それは、コップの容積ギリギリまで水を注がれて、零れる寸前の、表面張力でそれが抑えられている状態を喚起させる。
 そんな状態では、コップを持ち運ぶことなど出来ないし、しかし、このまま水を注がれては、いずれ決壊して溢れ出すのが、目に見えている。
 どうにかしなくてはならない。しかし、どうすることも出来ない。
 注がれる水──つまりは、原因を正さなければ、ずっと答えの無い二律背反に悩まされることになる。
 しかし、注がれる水は、つまり俺自身の感情だ。原因を正せとはいっても、ユミへの想いをせき止めることなど、今の俺には、到底出来そうもない。
 むしろ、日々強く、勢いを増しているようにも思える。
 手を伸ばせば、直ぐにでも届く位置に、彼女は居る。そう、手を伸ばせば。
 その髪に触れたい。白い肌を撫でたい。唇を、唇で塞ぎたい。
 ユミはすぐ傍に居る。だからいけないのだ。
 進むのか、戻るのか。その中間でいつまでも燻っていては、そう遠くないうちに俺はいかれてしまうだろう。
 進むのか。
 戻るのか。
 きっと、その時の俺は、本能に従った。
 …………。
 ……。



  *  *  *



 祐巳たち三人が、駅前の漫画喫茶まで 自転車を走らせて急ぎたどり着いたのは、既に時刻が9時半を回ったときだった。
 由乃さんには、母親の自転車を貸してあげた。
 足には困らなかったのだが、実に困ったのは、両親たちへの言い訳だった。
 明日も普通に、それぞれリリアンに、花寺にと登校しなければならない訳で。詰まり善良な高校生にとっては、既に常識外の時刻になっていたからだ。
 駅前の漫画喫茶は24時間営業だから、いつだって客を待ち受けている。それはいいのだが、問題は祐巳たちの時間の方である。
 福沢家を出て、10分やそこらで片のつく用事とも思えない。第一、駅前まで自転車で10分以上は掛かる。
 往復で20分強。漫画喫茶で過ごすであろう時間も考慮すれば、帰りは10時を大きく過ぎるだろう。
 両親の許可が得られるとは思えなかった。
 だから祐巳たちは、「由乃さんを駅まで送ってくる」、とだけ言い残して、自宅を出たのだった。
 帰ってくるのは夜中になるだろうが、後は野となれ山となれ、の心境である。

 それなりに規模も大きく、清潔で、いかにもお客の回りの良さそうな漫画喫茶の入り口をくぐった祐巳たち三人は、カウンターの中に居る女性店員の、好奇……というより疑惑のまなざしを、一身に浴びることになった。
 無理もないと思う。
 由乃さんと祐麒は、いまだ制服姿のままだ。しかも、割とポピュラーなタイプの花寺の制服とは異なり、時代錯誤に長いスカートに、鴉の濡れ羽色一色のデザインをしたリリアンの制服は、はっきり言って、店内で相当浮いていた。

 しかし、そのようなことを気にする、島津由乃ではなかったようだ。
 気さくに女性店員に話しかけ、一時間分の代金を支払う。
 二人も早くしなさいよ、と促され、福沢姉弟は、やれやれという心境で、同じように一時間分の代金を、店員に支払った。

「これが、例のサイトのアドレス。ぐだぐだ言っても始まらないから、先ずはその、近親相姦小説を読んでみましょう」

 由乃さんに手渡されたメモ紙には、細かい文字列が綴られていた。http//;www〜と見えるから、確かにアドレスっぽかった。アドレスを正確に入手する辺り、不確かな情報は売りたくない、という彼女の拘りに、説得力を感じてしまう。
 しかし、既に、“近親相姦”小説と思い込んでいるあたりは、どうにかならないものかなあ……。
 隣の弟の表情をちらと盗み見ると、あからさまにげんなりといった表情を浮かべていた。 


 三人とも三様に、所定の個室へと入る。
 実は祐巳は、漫画喫茶という施設を利用したのは、今回が初めてだった。
 たくさんの本棚があり、開けたスペースに大きな机が置かれていて、という学校の図書館のような佇まいを想定していたのだが、実際は大きく異なっていた。
 いくつもの個室があり、その中には高級そうに見えるソファに、テーブルの上には液晶モニターとパソコンの本体が、当然のように鎮座していた。
「はへぇ……すごいや」
 と、思わず感嘆の声を漏らしてしまう祐巳であった。
 
 しかし、のんびりとしている暇は無い。個室の中の小さな置時計を見ると、時刻は10時に指しかかろうかという頃だった。
 祐巳はパソコンの電源を入れ、放熱ファンの回る低い音を聞きながら、立ち上がるのをじっと待つ。
 やがてWindowsが正常に立ち上がると、祐巳は、たどたどしい手つきで、ネットワークの世界へと旅立って行った──。



  ◇



 それから、30分ほど経ち。

 件のウェブ小説を読み終え、個室から出てきた三人は、三人が三様に、様々な感慨を胸に抱いたような表情を浮かべていた。
 何だか夢見心地……という表情だったのは、一番最後に個室から出てきた、由乃さんだった。

「すごい。すごいすごい! 私今、かつて無いほど感動してるかも……今でもこう、目を瞑ると、ユミさんとユウキ君の最期のシーンが浮かび上がってくるようだわ……」
「そ、そうなんだ」
 祐麒は、感動しまくりの由乃さんに対して、明らかに引いていた。

 小説のあらましを挙げるならば、要は切なく悲しい系の物語なのだ。
 一組みの仲の良い姉弟がいた。
 弟はいつからか、実の姉に恋心を抱いており、次第に自分の正直な気持ちを、抑えきれなくなっていく。こんな気持ちを、姉に知られるわけにはいかない。だって自分たちは、血が繋がっているのだから、と。
 対して姉は、そんな弟の気持ちには、おぼろげに気づいていた。
 気づいていたが、気づかない振りをしていたのだ。気づいてしまえば、自分たちの関係が、気まずく、気恥ずかしいものに変わってしまう。
 姉は、現在の仲の良い姉弟という関係を維持したいと願いつつも、しかし弟を一人の男性としても、ほのかに意識していた。

「ユウキ君の姉を想い慕う気持ち。そして、その気持ちに答えてもいいのかと悩むユミさん。罪の意識に悩まされながらも、互いを想うことを止められない二人は、平成のロミオとジュリエットだわ……素敵」
「そ、そこまでかな?」
 相変わらず弟は引いている。

 物語は続く。
 一種の膠着状態を破ってしまったのは、弟の方だった。
 悩み迷い、さんざん葛藤した弟は、ついに最後の一線を越えてしまう。
 ベッドの上に姉を、力任せに組み敷いて、選んでくれ、という弟。
 俺のことを拒絶するか、あるいは、受け入れてくれるか、と。
 姉は拒絶した。
 しかし、拒絶し切れなかった。
 “一度きり”、という条件で、弟を受け入れたのである。今日だけは恋人同士でも、明日からはまた、普通の姉弟に戻りましょう、と。
 それは、過ちの選択だった。そして、誤って提示された選択肢を、弟は選んでしまったのだ。
 一度きりでもいいからと、姉の身体を求める弟。そして、受け入れてしまう姉。
 二人はその夜、決定的な過ちを、犯してしまったのだった。
 一度きりの繋がりは、互いを想う気持ちを、より一層増長させるものとなった。
 人の心は、機械仕掛けのからくりではない。
 一度きりの繋がりだったと理解していても、感情がそれを否定する。
 傍に居ても、離れていても、想い人の姿が頭から離れない。
 やがて、二人は──

「そうよ、そうなのよ。一度きりって決めても、そうそうスイッチを切り替えるみたいに上手くいくわけないのよ。一度きりと身体を許してしまう姉、それを拒絶出来ない弟。それが過ちだったと気づいた時には、既にお互い、どうしようもない程に、好き合っていたのよね。祐麒君だって、一度祐巳さんを抱いただけじゃ堪らないでしょ? だって、一つ屋根の下に居るんだもの。こう、何度も……」
「か、勘弁してくれよ」
 言うまでも無く、祐麒は引いている。

 由乃さんとしては、あのウェブ小説は、満足に足りるものだったかも知れないが、それは恐らく、多分に、“感情移入”、という概念が助けたのではないかと思う。
 彼女はきっと、作中のユミとユウキを、実際の福沢姉弟に当てはめて読んでいたに違いないのだ。
 だからこそ面白く読める。キャラクターの造詣を、読み手自らが広げて、魅力あるキャラクターへと補完する。
 例えるならそう、由乃さんにとっては、あのウェブ小説は、いわゆる好きな作品の二次創作なのだ。

 対して祐巳は、のっけから感情移入などという概念からは、ほど遠い位置に居た。
 自分と、自分の弟の恋愛小説に、感情移入しろという方が酷だと思う。
 そういった境地からそれを読めば、様々な問題点が浮き彫りにされ始めるのである。

 例えば文章は稚拙だし、語彙の乏しさも相まって、純粋に読み物としてのレベルが低い。
 書いているのは、何処かの素人さんなのだから、しょうがないと言えばじょうがないのだが、市販品と比べてしまえば、その落差は決定的だった。
 物語の構成は割りと練られていると感じたが、やはり展開の野暮ったさは拭い去ることは出来ない。
 プロは、自分の作品を客観視出来るのだろう。というか、それが当たり前なのだろうが、素人は自分の作品を、客観視出来ていない気がする。
 自分が面白いと思うものを、他人も面白いと思うとは限らない。 
 結局、一歩引いた(引かざるを得ない)境地から読んでしまえば、“まあ、良くも悪くも無い”、という評価が適当だ、と祐巳は思った。
 少なくとも、噂になるほどでもない、という正直な気持ちだ。

 盛り上がる由乃さんに、水をさすのも悪いと思ったから、祐巳は敢えて黙っていた。もしかすると彼女は、この小説を一刻も早く読みたいが為に、こうして漫画喫茶にやって来たのではないかな、とも思えなくもない。

 そんな風に、由乃さんと祐巳の心境は、対極と言って差し支えなかったが、果たして弟にとってはどうだったのだろう。
 普通に引いていたから、面白かったということも無いのだろう。というか、そうでなくては困る。
 「俺もこんな恋愛がしてみたい」、などと言われた日には、いろいろな意味で一巻の終わりである。
 しかし、当の祐麒が考えていたのは、全くの別の事のようであった。
 
「……二人とも気づいてると思うけど、あの小説、二人の書き手が、リレーで書いたものなんだよな。姉パートと弟パートで、交互に書かれている。注意して読めば、なるほど確かに文体が若干違う。そうだよな」
「みたいね。確かに冒頭にそういう記述があった。あのサイトの管理人と、相互リンクしてるサイトの管理人が、交互に書いたのね」
「そう。でもって小説は、全部あのサイトに展示されてたけどさ」

 続けて弟の言ったことは、祐巳たちを驚かすに足るものだった。
 何と祐麒は、あのサイトの管理人を、知っているかもしれないと言うのだ。

「ほ、ほんとなの祐麒」
「ああ。サイトの日記とか見るにな。余程近い人間にしか判らんだろうが、日記で書いてある本人や友人のネタとか、管理人のプロフィールとか、その辺りだよな。不思議なほどに、俺の知っている奴と符号する」

 誰!? と話を急ぐ女二人に対して、祐麒は氷のように、冷たく研ぎ澄まされた表情を浮かべるのみだった。
 十数秒ほど沈黙が続いただろうか、その後祐麒は、「今から行くぞ」、と短く言うと、有無を言わせぬ迫力で、つかつかと歩いて行った。カウンターで清算を済ませていた祐麒に追いついて、一体こんな時間から何処に行くのかと、由乃さんは問い詰める。
 由乃さんは、どうやら件の小説を読破できたことで、既に物欲は満たされてしまったらしい。先ほど福沢家を出る時とは、立場が逆転している。
 祐巳は、カウンターの向こうの壁に掛けられている時計を、ちらっと見やった。
 なんと既に、時刻は11時に近い。

「ち、ちょっと落ち着きなさいよ。当たりをつけたのは凄いけど、時間を考えてよ。もうね、普段なら私、寝てるのよ?」
 一時間前とは、うって変わって、弱気な由乃さんだった。
「ん? ああ、別に二人とも無理に付いてこなくても構わないよ。多分、俺一人の方が、何かとやりやすいだろうしな。祐巳も、家に帰っててくれよ。こんな時間だし、今日は由乃さんも、うちに泊まっていけば?」
「それは、凄くありがたいんだけどね」

 どうも先ほどから、祐麒の態度がおかしい。
 長いこと顔を突き合わせている仲だが、こんな態度にお目にかかったことは、果たしてあっただろうか。

「ねえ祐麒、一体何を考えているの?」
「うん、いやな、多分俺はきっと、怒っているんだと思う。怒りがピークに達すると、不思議と冷静になるとか、そういう境地なんだと思う」
「お、怒ってるんだ」
「ああ。犯人が特定出来てしまったからなんだけどな。だから、これからソイツの所に行って、締め上げてくる」
「し、締め上げるんだね」
「ああ。荒事になるかも知れないから、二人は先に帰っててくれよ。男の部屋に入ることになるしな。そういうの嫌だろ?」

 そう言って、祐麒は漫画喫茶から出て行く。
 一瞬顔を見合わせた後、祐巳たちも急ぎ後を追う。外に出てみれば、もう車も人影もまばらで、今が深夜であることを実感する。
 これは、家に一本の電話でも、入れておいた方が良さそうだ。
 しかし、その前にどうしても、弟に聞いておかねばならない事がある。

「結局犯人って誰だったのよ。私たちも知ってる人?」

 そう聞くと、「知らない仲じゃないと思う」、という答えが返ってきた。
 そのまま歩いて行こうとする祐麒に、今度は由乃さんが、強い口調で、「だから誰だって聞いてるんでしょ!」、と聞く。
 聞こえているのかいないのか、祐麒はそのまま一人歩いていこうとして、更に由乃さんは気を揉んだようだが、やがて祐麒は、ぽつりと風に消えそうな程に小さな声で、こう言った。
 「犯人は、高田鉄」、と。






 4

 私はきっと、更に罪を重ねてしまったのだろう。
 あの日の夜の、ユウキとの一度きりの繋がりが、重い十字架となって私たちに圧し掛かっていた。
 ユウキの気持ちを拒絶出来なかった私の弱さ。
 そして、恐らくは私の弱さに甘えてしまった、ユウキの弱さ。
 互いに、後戻りの出来ない過ちを、犯してしまった。
 私たちの罪は決定的なものへと変貌し、四六時中付きまとう罪の意識の中、お互いがお互いを想う気持ちだけが、綿飴のように膨れ上がっていった。
 一度、離れようと決意し、しかし出来なかった。
 運命なんてものが本当に存在するなら、それは随分と残酷なものなんだなあって、最近よく考える。
 私が初めて好きになった人は、本当は好きになってはいけない人で、ユウキが、きっと初めて好きになったのも、好きになってはいけない人だった。
 それでもこの気持ちを貫くなら、きっと私たちは、落ちてゆくしか道はないのだと思う。
 どこまでも、どこまでも。
 私たちが安息を得られる場所を目指し、寄り添うように、落ちてゆく。
 …………。
 ……。



  *  *  *



 “高田”、と表札が銘打たれた家の前に、祐麒たち三人がたどり着いた頃には、11時半を僅かに回っていた。
 駅から少し離れたこの住宅街の家々は、すでに殆どの家で照明が落とされており、闇夜に沈むように辺りは静まり返っている。
 日付が変わる前にたどり着けたのは、ある意味僥倖と言えるかもしれない。自転車をすっ飛ばして来たからこそ、二駅の距離をこれだけの短時間で走破出来たのだろう。
 しかし、この一連の行動は、後先を考えない片道切符だった。
 果たして、鉄の奴を締め上げて、それからどうすればいいのやら。
 だからこそ後ろの二人──祐巳と由乃さんには、むしろ漫画喫茶を出たら帰って欲しかったのだが、由乃さんとしては、あと最後の一歩という所でのリタイヤは、どうしても許し難かったらしい。
 祐麒としては、それでも7,8割のペースで自転車を走らせていたのだが、それに付いてきた二人は、道中ほぼ無言で、たどり着くや否や、自転車を降りて肩で息をしていた。

「さあて、行こうか。漫画喫茶から電話しといたから、起きてると思う。11時半頃に、玄関先で待ってろって言っておいたから、まあ、今頃あの扉の向こう側にいるだろうな」
「高田君はその、罪状を認めたの? あのサイトの管理人が自分だってこと」
「あいつは、力は強いが割りと気が小さいんだ。最初は否定したがな。奴は噂が広まってることすら知らなかったが、俺が花寺とリリアンで相当噂になってるって教えてやったら、あっさり吐いたよ」
「ねえ祐麒、高田君さ、反省してるなら許してあげようよ。締め上げるのなんて、かわいそうだよ」

 祐巳は相変わらず甘い。だがしかし、それが祐巳の魅力なんだろうなあと思う。

「力じゃ奴には敵わないからなあ。荒事になったら、ぶっちゃけこっちが困るし。それに、元来奴は、人に迷惑の掛かりそうな事には手を染めない、人畜無害な男なのさ。つまりな」
「……リレーで小説書いてた、もう一人の方こそ怪しいってところかしら」

 恐らくは眠気と疲労で、由乃さんの表情からは鋭さが失せていたが、それでも頭の鋭さが維持されてる辺り、さすがだ。
 そう。真に悪いのは、リレー小説での鉄の相方だ。それを調べるために、ここまで来た。
 祐麒は、高田邸の玄関の扉を、静かに薄く開く。今は、よそ様の家のチャイムを押すのすら躊躇われるほどに、非常識な時間帯なのだ。
 隙間から中をのぞくと、かすかに人影が見えた。思い切って扉を開くと、そこには、でかい身体を限界まで小さくした、高田鉄がいた。
 つまり、判りやすく言うと、土下座した姿勢の鉄がいた。

「スマン、祐麒っ。ほんと悪かった! しかも、あの18禁シーンを書いたのは何を隠そうこの俺で、いや今にして思えば、恥知らずもこのうえなく……」
「……おい、余計なことまで喋るんじゃない。自分で自分の首を絞めて、墓穴まで掘ることはないぞ」
「いやしかし、俺は自分の低俗さが憎い。お前と祐巳さんの絡みを想像したら、こう、書かざるを得ないという感情を抑え切れなくて……」

 そう言いながら、土下座して頭を床につけていた鉄は、ようやく上体を起こして顔を上げたが、祐麒の後ろに居た祐巳と目が合うと、瞬間冷凍されたかのように硬直した。
 どうもコイツは、祐麒だけがここにやって来たと、勘違いしていたらしい。
 そんな鉄に、女性二人の冷たい視線がぐさぐさと突き刺さったのは、言うまでもない。

 

  ◇



 鉄の部屋に入るのは、これが初めてではない。
 確か、一ヶ月ほど前にも遊びに来たことがあったはずだが、明らかにその当時とは異なる何かがあった。
 机の上に置かれている、液晶モニターとキーボード。椅子の足元あたりに覗いているのが、おそらくはパソコンの本体なのだろう。低く唸るような音を立てて稼動している。
 壁にK1の選手のポスターが貼られ、部屋の隅にはダンベルが転がっている。鉄は割りと綺麗好きで、整然とした部屋内において、突如出現したパソコンという現代機器が、不思議とマッチしていた。
 それは自分で買ったのか、と聞くと、実は人からのもらい物というか、お下がりだ、と鉄は答えた。

「なるほどな。それで最近、お前は寝不足だったのか」
 最近いつも遅刻ぎりぎりで、昨日の朝も眠そうな顔をしていた鉄の姿を思い出しながら、言った。
「ああ、まあ、な」
 どうも鉄の態度は硬い、というか浮き足立っている。
 まあ無理もないかと思う。
 近くのコンビニで待っていてくれ、と祐麒は打診したのだが、結局祐巳と由乃さん二人の女性人も、なんと今鉄の部屋内にいるのだ。
 二人ともどこに身を置いていいやら判らないらしく、結局二人とも畳の上に腰を下ろしている。この部屋には、クッションとか気の利いたものは、残念ながらなかった。
 鉄は同年代の女性が部屋に居ることに慣れなくて、さっきから口数が少ない。同じように女性二人も、よく知らない男の部屋に慣れないのだろう。さっきから二人でひそひそと小声で話してばかりだ。
 時間も時間だし、早めに事を片付ける必要がありそうだ。

「ちょっと、お前のホームページを見さしてくれよ」

 そう言うと、鉄は無言でマウスを操作する。ほどなくして、先ほど漫画喫茶で見たページと、同じものが画面に表示された。
 プロフィール、小説、掲示板、リンクと、素人っぽいデザインの中に、いくつかのメニューがある。
 鉄は、“小説”という所にカーソルを合わせてマウスをクリックする。やがて、『愛のカケラ』、という世にも恥ずかしいタイトルが出てきて、その下には先ほど読破した小説本編が続く。

「俺の……俺と祐巳の要望としては、この小説の公開停止だ。異存はないな」
「……ああ。でもな、俺の一存じゃ決められないんだ。公開停止が大前提というのは構わないけど、ちょっと許可をとらなきゃならん人がいるんだ」
「ああ、リレー小説の相方か、」

 と祐麒が言ったところで、なにやらパソコン画面に異変が起きた。
 ぴょこん、という軽快な音とともに、画面の右下あたりに、なにやら青っぽくて小さなウィンドウがせり出してきたのだ。

「お、おい鉄。何か来たぞ」
「やべ。オンラインのままだった。ちょっと待っててくれ」

 慣れた感じで鉄は、かちかちとマウスを操作する。すると、また見たことの無いウィンドウが、今度は画面中央あたりに開いた。
 よくわからないが、文章が勝手に表示されていく。これは、いわゆるチャットみたいなものだろうか。
 MSNメッセンジャーという奴だ、と鉄は短く言い、キーボードをカタカタと叩き始めた。


 /////////////////////////////////////////////////////////////////

月海 の発言:
 はろー。今時間いい?

アイアン の発言:
 うぇい。いいっすよ。

月海 の発言:
 こないだの小説さ、誤字が多かったから、修正版に差し替えてもらおうかと思って

月海 の発言:
 今から修正版送るから

アイアン の発言:
 実はその小説のことなんすけど。

アイアン の発言:
 残念ながら、公開停止することになりそうです。

アイアン の発言:
 僕はいったんサイトも閉じて、別のHNで出直すつもりなんで。リンク解除しといてください。

月海 の発言:
 ・・・何かあったの?

アイアン の発言:
 リアルのユウキ君とユミさんにばれました。

アイアン の発言:
 今二人とも、部屋にいまして。噂になって迷惑だ、ということなので。


>月海 が会話から退席しました。
>月海 はオフラインなので、返信できないことがあります。

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「お、おい。一体どうなったんだ。月海って奴はどこに行ったんだ?」
「……わかんね。もしかして、回線がトラブったのかも知れない」

 鉄はその、メッセンジャーとかいう奴を端の方にどかすと、またマウスをカチカチと操作する。すると、程なくしてまた、別のサイトが画面に表示された。

「さっきの、月海という人のサイトだ。プロフィール見るに、高校三年生で、女子高に通っているそうだ」
「お前プロフィールに惹かれたクチだろ」
「んなことねえよ。俺は、この人の書く小説に惹かれたんだ」

 鉄がこの月海という人のサイトを見つけたのは、本当に偶然だったらしい。
 パソコンを手に入れて、かねてより興味のあったネットを開通させ、ネットの混沌とした世界に慣れないままにたどり着いたのが、このサイトだったということなのだ。
 ウェブ上のオリジナル小説、というカテゴリでは、かなりの大御所らしく、カウンターは百万の王台に到達していた。
 学園を舞台にしたラブコメから、異世界ファンタジー。新本格的なミステリーと、置かれているオリジナル小説は多彩を極め、中でも、女子高を舞台にしたコメディタッチな小説は、この世界で知らぬものは居ない、というほどに有名なのだそうだ。

「とある女子高に通う二年生の女の子が主人公なんだがな。その子は新聞部に所属していて、ワンマンで自分勝手ではた迷惑な記事ばかり書く部長とことごとく対立したり、個性的な友人たちに振り回されながらも、ジャーナリズムの本質を見据えて、まじめに記事を書いている。友情をとるか記事をとるかで悩んだり迷ったりしながら、一歩一歩成長していくというストーリーだ。この人とは、その小説に俺が感想を書いてからの付き合いなんだ。俺にも小説を書いてみないかって薦めてくれてな、文章のイロハを教えてもらったんだ。今回の愛のカケラも、もともとはこの月海さんの発想なんだ」
「そ、そうか。それは良かった」

 何と答えてみようもない祐麒が当たり障りの無い返事をすると、「どこかで聞いたような話ねえ……」、という何とものんびりとした声が聞こえてきた。
 振り返ると、祐巳と由乃さんが、肩を寄り添いあうようにして、うつらうつらと夢と現実の間をさまよっていた。今にも彼女たちの唇と唇がくっつきそうで、見てると無意味にどきどきしてしまう。

「ねー鉄君。ちょっと聞きたいんだけど……」
「な、なんでしょう」
「その月海って人、名前はなんてーの?」
「え? ええと、月海ミナコさんと仰るようです」

 鉄がそう答えると、祐巳と由乃さんは、同時に崩れ落ちた。もう眠くて眠くて仕方が無いらしい。寄り添って、抱き合うようにして畳の上に寝転がり、ぶつぶつぶつぶつと目を閉じながら彼女たちは何やらつぶやいている。

「奴よ奴、やっぱりあの、はた迷惑女の仕業だったんだわ……祐巳さん、今度こそどうしてくれようか」
「許すまじ……おのれワンマン元新聞部部長」
「もうね、今度という今度はね……」
「島流しだよね……」

 祐麒たちに先駆けて真相に辿り着いたらしい祐巳たち二人は、真相を二人じめしながら、そのまま眠ってしまった
 いや、ここで眠ったらダメだろ。
 日付は既に変わり、今は夜中の1時。詳細は明日祐巳に聞くとして。

「さて。取り合えず俺達は、どうやって帰ればいいんだ?」
「さあ……」

 そんな感じで、振り回されるだけ振り回された、姉弟小説騒動は、ようやく幕を下ろしたのである。




 エピローグ

 翌日の放課後、祐巳は新聞部の部室に、山口真美さんを訪ねやって来ていた。
 夕べのうちに、鉄君のサイトは正式に閉鎖したらしい。祐麒の見ている前で鉄君は、例の小説を破棄して、彼の手元からは、『愛のカケラ』、は消失した。
 しかし、それだけでは解決にはならない。
 月海ミナコ──正体は恐らく、あの築山三奈子さまなのだろうが、あの方の手元にも、同様のデータがある筈だからだ。
 三奈子さまに直談判しようとも思ったが、しかし、しらばっくれられたらそれまでである。
 油断のならない人だから、結局祐巳は、あの方の妹である真美さんを頼る事にしたのである。
 ちなみに今日、由乃さんは欠席した。疲労困憊で、目覚めたのは昼過ぎだったらしい。祐巳も寝不足と疲労で全身だるいが、そこは根性でカバーしていた。

「……姉が随分と迷惑を掛けたようね。代わって謝罪させていただくわ」
「うん、いや、まだ三奈子さまが企んだっていう確証はないんだけど」
「いや、確証は得てるから。本人に問い詰めたら吐いた」

 真美さんによると、こういう話らしい。
 月海ミナコという管理人が管理するあのサイトはやはり、築山三奈子さまの手によるものらしい。
 恐るべき事に真美さんは、かなり昔から月海ミナコの運営するサイトを見ていたらしい。
 無論リアルでの三奈子さまには内緒で、こっそりと常連を装って掲示板へ書き込みなどしたり、メールを送ったりしていたとのことだ。

 昨日、月海ミナコとアイアン──三奈子さまと鉄君のことだが、二人のリレー小説が置かれていた鉄君のサイトが突如閉鎖したことで、真美さんはピンと来たらしい。

「昨日月海ミナコ宛にメール送ってね。普段は勿論名前偽ってメール送ってたりしたんだけどね。今回は、『実は私は、貴女の妹です』、って」
「うわあ……それ、きっついなあ」
「あの方も驚いたでしょうね。サイト立ち上がった頃からの常連が、実は自分の妹だったっていうんだから。ついさっきまでここに居たんだけど、相当テンパってらっしゃったわ」
「な、何か可哀相な気がしてきた」
「だめだめ。あの方は甘やかすと付け上がるんだから。あくまでも厳しく、ね」

 そう言いながら真美さんは、部室内で稼動していたパソコンから、一枚のフロッピーディスクを取り出した。

「これが例の小説の収められたフロッピー。みんなに月海ミナコの正体は築山三奈子ですってばらしちゃいますよって言ったら、あっさり渡してくれた。自分の手元のデータも、破棄してくれるんですって」
「ま、真美さんったら厳しい」
「いいのよ。所詮お姉さまのあのサイトも、お姉さまが受験勉強の現実逃避から始めたものだし。偶然見つけて、日記とか見たら、何と私のこととか書いてあるんですもの。まあ、笑えたからこっそり日記にコメントつけたり、小説の感想送ったりもしたけど」

 真美さんは語った。
 何ヶ月か、月海ミナコと、常連の一人としてやりとりをしてきたが、つまり、”それはそれ”、ということらしい。
 そのやりとりは、あくまでも現実の山口真美と築山三奈子には、何ら影響が無くて。
 アイアン──高田鉄君も、月海ミナコが、よもやリリアンの生徒だとは予想だにしなかった。
 リリアンの生徒も花寺の生徒も、まさかそんな自分達にとって身近な人間が、件の小説を書いているとは思っていなかっただろう。

「だからね、ネットって難しいなあ、って思っちゃうの。祐巳さんはネットやってないよね?」
「……うん。というか、パソコン持ってないし」
「やらない方がいいかもね。祐巳さんは。まあ、それは兎も角としてね」

 真美さんは、自分の前に置いてあったノート型のパソコンから、また別のフロッピーを取り出した。
 そのフロッピーには、鉛筆で直接、何かの文字が書いてある。

 『愛のカケラ -完全版-』

 と、素っ気無く一行、綴られていた。

「……あの、真美さん。完全版って、つまりどういう事?」
「ん? だってほら、お姉さまと高田鉄君が書いた小説は、ユミとユウキが最後に心中しちゃうっていう、ひどいお話だったじゃない」
「う、うん。由乃さんは、その辺りが受けてたみたいだけどね。私は、ちょっとあんまりだと思った、かな」
「私もそう思ったの。だって、お話の中でくらい、ハッピーエンドが見たいじゃない。愛のカケラを読んで、そう思った旨を伝えたら、月海ミナコはムキになって反論してくるし。だからね、個人的にあの小説を、書き直してみたの。さっきお姉さまにも読んでもらったら、『崇高さが無くなった! 貴女は何も判ってない!!』、とか言って、怒ってどっか行っちゃうし」
「は、はあ」
「もう、どんだけ月海ミナコと議論したことか。顔が見えないから、そういうのって大変なのよね。しかも普段は普通に顔合わせてるのにね。ネットって難しいわ、本当に」

 ネットって計り知れない。祐巳は、そんなことを漠然と思った。
 

 了






▲マリア様がみてる