■fragile


「あの……志摩子さん……?」
 自分を呼ぶ、やや躊躇いがちな声に、志摩子は学級日誌を書き綴っていた手を止めて、机から顔を上げた。
 そうして目の前にあったのは、先年度から引き続き同じクラスになった、級友、桂さんの姿であった。
 こうして真正面から見ると、ボブカットが妙に似合ってて可愛い、などと、志摩子は返事をしながら何となく思った。
「どうしたの? 何か御用?」
「い、いや、用ってほどのものでも、ないんだけどね……」
 口篭もりながら、桂さんは言う。
 記憶の中の彼女は、もっとはきはきとした、自分とは正反対なものの言い方をする少女ではなかったか、と、志摩子は考え、同時に、目の前の少女と、殆ど会話を交わしたことがないことに気付く。
 この春に二年生となり、はや二ヶ月。
 桂さんとは一年生の時も同じクラスだったが、今年もまた、同じ教室で、机を並べて一年間を過ごすことになった。
 挨拶や、なんでもない雑談を交わしたことはあるが、今年は異なるクラスとなった福沢祐巳さんや、島津由乃さんと話すような、突っ込んだ話題を交わしたことは、一度もない。
 それは去年一年間、ずっと。
 そして、二年にあがり二ヶ月が経った今でも、変わらずに。
 つまるところ、志摩子と桂さんの関係は、ただの、『クラスメイト』 であり、それ以上でもそれ以下でもないのだった。
 その彼女が、何故。
 放課後、教室に残って日誌をつけていた志摩子は、目の前の少女の意図を読み取れずに、自然、居住まいを直した。
「あのね、今日は薔薇の館には行くの? もし、行かないんだったら……」
「今日は集まりはないから、薔薇の館には行かないわ」
 瞬間、緊張の面持ちだった彼女のそれが、花が開くようにほころんだ。どことなく、志摩子のよく知ってる人間を思い起こさせる仕草だ。
「じゃ、じゃあ志摩子さん、今日、私と──」



 ”……そう。あの時私、すごく緊張してたんだ。頭の中、真っ白って感じ。あんなに緊張したの、生まれて初めて。え、今? うん、今でも。あなたのことを考えるだけで、ドキドキする。ほら、よくあるよね、漫画なんかのお話で。女の子が、そういうドキドキ感の正体に気付いてない、って奴。ちょっと古いけどね。あの時の私は、正真正銘、そういう状態だった。動悸が激しくなる原因が判らなくて、何かの病気なんじゃないかって、本気で思い込んでた。若かったなあ……私。あ、ちょっと、笑わないでよ〜。”


 
 一週間ほど前に、志摩子は桂さんに誘われて、一緒に帰路についた。
 それ以来、彼女とは、毎日、数はそれ程多くないまでも、会話を交わすようになった。ただ挨拶だけではなく、顔を合わせれば、軽く雑談を交わす。
 元々、全く知らない仲というわけではない。
 志摩子の友人である福沢祐巳さんの、友達という立場だ。つまりは、友達の友達。
 決して遠い人間ではないが、かといって近い人間でもない。
 そして自分は、そういった人間に、率先して声をかけ関係を築こうとする気質は、残念ながら持ち合わせていなかった。
 たった一週間で他者と親しくなれる人間ではない。痛切に、そう自覚はしている。
 だからこそ、彼女に対して、申し訳ない気がする。
 きっと彼女は、クラスに溶け込むのが得意でない志摩子のために、無理をして合わせてくれているのだ。理由はそう──
 理由はきっと、今、志摩子の隣にいる 少女。
 志摩子が、この少女の友達だと、桂さんは知っているから、気を遣ってくれているのではなかろうか。
「???」
 志摩子の視線に気付き、小首を傾げ、こちらを見つめてくる友人、福沢祐巳さん。
 現在二人、薔薇の館の物置部屋の中で、資料探しに悪戦苦闘中。
 さしもの祐巳さんといえど、疲労の色が濃い。
 正直言って、梅雨時にほこりっぽく、風通しのよくない部屋での作業と言うのは、苦行以外の何者でもなかった。
「大丈夫祐巳さん。乃梨子も、連れて来た方がいいかしら?」
「あ、ううん、大丈夫。これぐらい何てことないよ。それに、乃梨子ちゃん、薔薇の館の住人になって早々だし、あんまりこき使うわけにはいかないよ」
 ついこの間、志摩子は、一年生の二条乃梨子を妹として向かい入れた。つい先月のことだ。
 あの頃は、薔薇の館の住人たちはそれぞれに大変な状況で、まったく予断を許さない状況だった。
 なかでも特に苦しかったのは、紛れもなく祐巳さんだったであろう。が、それを乗り越えた目の前の少女の表情には、今までにない地に足のついた頼もしさが見え隠れしている。
 それは、志摩子のもう一人の友人、島津由乃さんにしても同じだった。
 ──なのに、こうしてまた、自分は、人間関係で悩んでる。おそらくは、祐巳さんや由乃さんならば、悩むべくもない当たり前なことで。

「志摩子さんこそ、平気? 何か、考え込んでたみたいに見えたけど」
 はっと我に返って、志摩子は答える。
「……全然、平気よ。こう見えても私、薔薇さまなんだから」
 そう。今の肩書きは、ロサ・ギガンティア。
 お姉さま──佐藤聖という、志摩子にとって遠く、あるいは自身よりも近い存在より受け継いだ、薔薇の称号だ。
 桂さんのことは、祐巳さんに相談すれば、何かしらの助言、あるいは人の好い彼女のことだ、解答すらも与えてくれるかもしれない。
 けれど、人間関係に悩む自分は、正直言って嫌いだ。
 おそらくは、この世の誰よりも。
 だからこそ、そんな自分を祐巳さんに晒したくはなかった。この程度のこと、一人で乗り越えられなくて、どうする、と。
「うん。じゃ、続き、頑張ろっか」
 志摩子は頷く。
 そうして、決意も新たに、親友と供に、目の前の資料の山に向かっていったのだった。



 ”……なんか、ごめんなさい。あの頃のあなた、何か考え込んでた風だったものね、今思い返すと。うん……そう。私、あんまり難しいこと、考えられない体質みたい。人間関係で悩んだことなんて、一度も──なくはないね、一度だけ。え? 誰とのことって? そりゃ、もう……えーと、内緒。”


 翌日、快晴。
 いまだ日本は梅雨時と言える季節。ここまでからっと晴れ渡るのも、珍しい。
 それにあやかったわけでは、ないのだけれど。
「お待たせ。珍しいよね、志摩子さんの方から、私のこと誘ってくれるなんて。いつもは私が押しかけるばかりなのに」
「……ごめんなさい。急に、こんなこと」
「あ、あ、全然おっけー。志摩子さんと、青空の下でお昼なんて、何だか夢みたい」
 目の前の少女は、はにかむように笑った。
 ここはリリアン女学園の憩いの場、新緑の芝生と木々が眩しい、中庭だ。
 今はお昼休み。志摩子は、桂さんを誘い、ここでお昼を摂ることにした。
 手近なベンチに並んで腰掛け、いただきます、と、二人、手を合わせる。そうして、箸を持つ──と、志摩子は違和感に気付いた。
 その違和感の元を、つい、見やってしまう。
「ん? ああ、これ。あんまり気にしないでいいよ。私は、よくあることだから」
 何でもないように言う桂さんの右手には、割り箸が握られていた。
 そうして左手には、志摩子にとってはあまり見慣れたものではない、コンビニエンスストアの、お弁当が。
 ぺりぺりと、慣れた手つきでラッピングをはがして、桂さんは、それに箸をつけた。
「うちね、お母さんが、すごく忙しい人だから。たまにね、私のお弁当を作ってる暇もないほど、忙しい時もあるの。そういうときは、これ」
 お箸でコンビニのお弁当を、ちょいちょいと差す。
「朝、起きたらお母さんはいなくて、これがテーブルの上に乗っかってる。勿論、お母さんの作ったお弁当が置いてある時も、あるけどね。すっごく忙しい時は、お金だけテーブルの上に置いてある」
 淡々と語る桂さん。事実、今の彼女は実に淡々としている。
 きっと、そう、幼い頃から、「そういう生活」 だったのだろうと。だからこそ彼女は、既に、「慣れて」 いる。
 コンビニのお弁当にも。
 他者から向けられる、奇異の視線にも。
「……そんなことよりさ、今日ってすごくいい天気だよね。もしかして、私たちのため、とかね」
 そして、今の志摩子の心情だってきっと、彼女には、全てお見通しなのだろう。
「ええ。昨日までじめじめしてたから、特にそう思えるわ」
 一度だけ空を見やって、志摩子は、余計な雑念を振り払って、答えた。今日ここへ彼女と供に赴いたのは、何を隠そう、彼女と向き合って、二人だけで話したいことがあったからだった。
 これだけ良い空気に触れながらの食事、そして談笑となれば、あまり人と話すのを得意としない志摩子でも、それなりに饒舌にはなる。
 桂さんは、もとより社交性のある人だし、二人だけのお昼ご飯は、とても楽しいものとなった。
 弾む会話と、絶え間ない笑顔のさなか、ふいにやりとりを断えさせて、志摩子は切り出した。
「一つだけ、質問があるの」
 混じりけのない笑顔で、桂さんはこちらを覗きこんでくる。
「……私に優しくしてくれるのって、もしかして……私が、祐巳さんの友達だから? だから、気を遣ってくれるの?」
 彼女は、あくまでも笑顔。けれど、きっと、この時、その裏側に在った感情に、気付いてはいなかった。
 一瞬だけ、風が、そして時が止まる。
「や、やだなあ志摩子さんったら。私は、そんなに気の利く人間じゃないよう」
 一瞬だけ冷たくなった空気を、桂さんは、ことさら明るい声で吹き飛ばした。
「私が志摩子さんに声をかけたのは、祐巳さんは関係ないよ。去年は一緒のクラスだったけど全然話せなくて、けれどずっと気になってた。気になって、でも手が届かなくて、なにをどうすればいいのか判らなくて、ようやく気付いた今の私は、ただ志摩子さんのことが、志摩子さんのことが──」
 ほんの一瞬、何も考えられなくなった。
 だから、後に取った行動は、志摩子にとっては無意識のもので、そして、最も正直なものだった。
「つッ……!?」
 彼女の手を掴む。拍子に、志摩子の箸は地面に落ちた。
 かつん、と、音がして、我に還った時には、志摩子の手は、振り払われていた。
「あっ……ご、ごめ……」
 桂さんはきっと、反射的に謝ろうとした。自分の表情がどんなものか、確認は出来ないけれど、きっと、彼女を傷つけてしまうような顔を、していたのだと思う。
 けれど、自分がどうして、掴まれた手を振り払ったのか、それに、気付いてしまったのだろう。
 行き場を無くした、手と、言葉と、思い。
 そんなものに志摩子が捕らえられているうちに、大切なものは、手の届かないところに、離れていってしまう。
「桂……さん……」
 志摩子がぐずぐずとしているうちに、桂さんは、走り去って行ってしまった。
 気付いた時には、もう遅い。どうして、こう。
 ──どうして、こう、私は……いつもいつも、恐がってばかりで……。
 誰かとぶつかりたくない。心に、踏み込まれたくない。そして、踏み込みたくない。
 そうしていつも、誰かを傷つける。
 大切な友人たちのように振る舞えない自分が。他者との接触を恐がる自分が、たまらなく、嫌だった。



 ”……そう、だね。あの時は少しだけ、ショックだった、かも。ううん大丈夫。私ってば、ほら、とっても鈍感さんだから。それよりも、あなたをたくさん悩ませちゃったみたいで……バカみたい、私。あんな風に、逃げ出したって、何にもならないのにね……”



「志摩子さん、最近、また何か悩んでるね」
 放課後、薔薇の館への道すがら、志摩子の妹──二条乃梨子が、首だけをこちらに向けて言った。並んで歩いているから、必然的に、そうなる。
 出会ってまだ三ヶ月。密度の濃い時間を共有してきたとはいえ、そんな相手に、「また」 と形容されるような性格、性質は、隣を歩く強気な下級生を妹に迎え入れても、そう簡単には是正されるものではない。
「そうね……相変わらず、頼りない姉で」
「私のために悩んでくれるのは、正直、嬉しいというか、妹冥利に尽きるけど、今度はちょっと、違うみたいだね」
 どこかかみ合わない会話を続けながら歩く姉妹。原因は勿論、姉の方にある。

 あれから──数日前のあの出来事以来、志摩子は、桂さんと会話を交わしていない。
 もともと、明確なつながりのない関係だったから、ひとたびすれ違うと、あとはただ、流れるように、離れていくばかり。
「……」
 いや、違う。原因は九分九厘、志摩子の側にある。
 彼女の好意を、無にするようなことを言ってしまった。だから彼女は、藤堂志摩子という存在を、拒んだ。
 ──拒絶されるのが恐い。彼女の心に踏み込むのが、恐い。
    けれど、しかし、それでも、どうしても、私は。
 悩んでいる暇はない。今悩むのは、明日悩むのと同義だ。
 今、この瞬間に動き始めなければ、未来永劫、前には進めない。
 だからもう、迷わない。
 彼女のために。そして、自分のために。
「がんばってね、志摩子さん」
 その問いに、何と答えたのか、正直、よくは覚えていない。
 ただ、そこに在った微かな微笑みは、志摩子にとって、なにより心の励みになったのだった。


 朝から、天気の良くない一日だった。
 梅雨明けはまだだから、仕方ないのかもしれないが、道行く、同じ制服に身を包んだ少女たちも、どことなく緩慢とした動きに見える。
 今日、志摩子は、いつもより早い時間に登校した。
 理由は、たった一つ。
 そのために、校門付近で、朝からずっと、彼の人を待ち続けているのであった。マリア像の近くでも良かったのだが、あまりに目立ちすぎるので、見送った。
 しかし、こんなことをせずとも、志摩子は彼女と同じクラス。机を並べて、同じ場所で授業を受けているのだから、何もここまでする理由は、どこにもない。
 自分自身を炊き付けるための、自己暗示のようなものだ、と、思う。
 そして、志摩子の目の前で、一つの足音が、唐突に途切れた。
「あ……」
 驚きの声は、はたして、どちらのものだったろう。
 目の前に現れた少女──桂さんは、志摩子の姿を一目見て、そして硬直していた。
 直後──
「ッ……!」
 ふいに魔法が解けたように、弾けたように、地面を蹴って、飛び出そうとする。
「待って、桂さんっ!」
 なりふり構わず、志摩子は、彼女の腕にしがみついた。持っていた鞄が、地面の上に落ちる。付近の生徒たちの視線が、二人に集まる。けれどそんなことは、実に瑣末なことだ。
 自分はいい。けれど、彼女をこれ以上、好奇の視線に、晒す訳にはいかない。
 簡潔に、用件だけを伝える。
「……今日の放課後、温室で、待ってる」
「え、え? 温室ってあの、ぼろぼろの?」
 志摩子は頷く。頷いて、そのまま、はと豆な表情を浮かべたままの桂さんを、半ば強引に、引きずって歩き出した。
「ちょ、ちょっと志摩子さん……!」
「いいから、いいから。早くしないと、遅刻してしまうわ」
 始業までは、まだ間はある。急ぐ必要なんてどこにもないし、今日は、マリア様への挨拶は、思い切って省略してしまった。
 けれど、まあ、こういうことは、一年に一度くらいなら、許してもらえるだろう。
 今日は。今日だけは、全てを、自分と、今、隣で困惑顔を浮かべている、少女のために。
 時間は瞬く間に過ぎて、あっという間に、放課後を迎えた。
 待つ時間は長いと聞くが、どうやらそれも、限度を超えると、例外も生まれるらしい。
 ともかく──
「来たよ、志摩子さん」
「ありがとう。私の我が侭に、わざわざ付き合ってもらって」
 待ち合わせ、といっても、二人とも同じクラスである。しかも、ここまでの道すがらは、彼女と一緒だった。
 意図的に、入り口付近で、互いに距離を取ったのである。
「……うん、判ってる。志摩子さんが、どうして私を、ここに呼び出したのか。最近私、志摩子さんから逃げ回ってたから。理由は……」
「理由は私。私が、あなたを傷つけるようなことを」
「ちがうよっ。志摩子さんは悪くない。私が、勝手に志摩子さんの傍に、まとわりついてただけで」
「そんなことないわ!」
 桂さんの言葉を遮って、志摩子は彼女の手を取った。伝わらないのなら、伝えればいい。距離が遠くて、届かないならば、どこまでも近付けばいい。
「私、あなたと離れたくない」
「え……?」
「もっと、あなたと親しくなりたい。たくさんのことを、お話したい。私、バカだから。人の心が、判らないから。けど、この間、あなたに拒まれてようやく気づいたの。私はこんなにも、あなたのことが、好きだ、っていうことに」
 刹那か、或いは永劫か。
 彼女は言葉をなくし、志摩子は、ただ彼女を見つめるのみ。
「……知らなかった。志摩子さんって、すごく強引な人だったんだね。私の気持ち、気付いてたんでしょ……? それなのに、気付かない振りしてた。なのに今日は、そんな、自分勝手なこと、言うし」
 俯いた彼女の表情は、判らない。
「でもね、私はね、そんな志摩子さんのことが──」
 


 ”……うん、びっくりした。腰が抜けるかと思った。何にびっくりしたって、勿論、あなたの滅茶苦茶な強引さに。ううん、怒ってなんかなかったよ。昔も、今も。だって、あなたのあんな姿、きっと、知ってるのは私だけだろうし。それを思うと、すごく嬉しい。だからね、どこまでも、引っ張っていってくれて構わない。
 よく誤解されるんだけどね、私、人と話すのが苦手なの……ええ、そう? ん、いや、そういう意味じゃなくて、なんていうのかな……本当に、人と向き合って話すことが、出来ないの。知り合いや友達はたくさん居るけど、そんな人たちと話せることって結局、どうでもいいような噂話や、はやりもののこととか、そんなことばかりだったりするの。
 誰かと、本心で話したことがない。
 そんなだから、誰かを求めることが恐くて、誰かに求められることが、恐かった。
 どうしてこんな風になったのか判んないの。でもね、昔から私、いっつも忙しそうにしてるお母さんの、邪魔だけはしないようにって、それだけを気にかけて生きてきた。今よりもっと、子供の頃からね。
 だからかもしれない……って、そんな深刻そうな顔しないでよ〜。私、お母さんのこと、好きだよ。若くて、かっこいいし。まあ、最近またお母さん忙しいから、あまり顔合わせてないけどね……むむ、だからそんなに心配そうな顔しなくてもいいってば。
 私のそばには、あなたがいてくれる。
 一年生のころはね、恐くて、あなたに話し掛けられなかったの。だって、いつも祐巳さんと楽しそうにお話してるんだもの。邪魔したら、嫌われちゃいそうで、恐かった……。
 多分私は、生まれて初めて、『欲しい』 っていう感情を、抱いたんじゃないかって思う。あなたを、初めて見たときに。でも、どうすればいいのか判らなかった。だから、恐かった。
 でも今は、あなたは、私の隣に居てくれる。すごく嬉しい。幸せ。
 だからね、何度も言ったけど、いつまでも、ずっと、言いたい。
 ──大好きだよ、志摩子さん。”



  ◇



 季節は一回りして、また、桜の季節がやって来た。
 リリアン女学園高等部の春は、今年で、都合三回目。今日、晴れて三年生となる志摩子は、空の青さと、太陽の明るさに、目を細めた。
 ふと昔のことに、思いを馳せる。
 志摩子の、隣を歩く少女。彼女との思い出を浮かべれば、それはもう、きりがないほどである。
 夏休み、体育祭、そして、修学旅行。
 イタリアへの修学旅行中、同室となった志摩子たち二人。何故だか知らないけど、お互いの存在を思い切り意識してしまい、結局初日の夜、二人して眠れなかった、なんてこともあった。翌日、二人とも寝不足でふらふらで、お互い、笑ってしまった。
 その後は、学園祭、クリスマス、山百合会役員選挙に、バレンタインデー。
 どんなときでも、傍に居てくれた。影に日向に、志摩子のことを、支えてくれた、彼女──。
「三年連続、狙おうね」
「?」
 志摩子の隣を歩く桂さんは、唐突に、そんなことを言った。
「クラス分け。今年も一緒だったら、三年連続でしょ? そうなったら結構、珍しいと思うよ」
 春休みが明けて、今日は一学期最初の登校日。今頃は、すでに学園には、クラス分けの紙が貼り出されていることだろう。
「そうね、そうなったら──」
 人と人との絆は、存外に壊れやすいもの。
 例え近くに居たとしても、心は、どこまでも遠い、ということもあるかもしれない。なにしろ、志摩子自身の、性格が性格だ。人に近付くのが苦手で、恐い。それは誰に対しても、同じなのだから。
 だからこそ、この絆を大切に。壊れ物を扱うように、そっと。
「桂さん」
 志摩子は、隣の少女の手を、そっと握った。一瞬彼女はびくっとしたものの、すぐに、静に握り返してくれる。
「大丈夫。私はずっと、志摩子さんの隣に居るよ」
 そう言って桂さんは、にっこりと笑った。
 その笑顔を、失わぬように。
 繋いだ手を、離さぬように。


 了






▲マリア様がみてる