×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。




■December


 -Scene 1-

 12月も終盤に差し掛かったこの街は、至る所に色とりどりのイルミネーションが飾り付けられて、安っぽいながらも幻想的な雰囲気を醸し出している。
 消極的無神論者が大多数を占めるこの国でも、クリスマス・イヴという特別な一日を間近に控えたこの頃では、道行く人々の足取りも、どこか浮き足立って、それでいて楽しげな風に見える。
 比較的無神論とは遠い位置に在るこのリリアン女学園においても、それは決して例外ではなく。
 マリア様に見守られし子羊たちも、きたるべき聖なる一日を、どう過ごそうか、誰と過ごそうかと。そんな煌びやかな乙女の夢を胸に、日々を営んでいた。
 ごく少数の例外を除いて。

 鳥居江利子に、「妹を紹介しなさい」 とせっつかれていた島津由乃だったが、試行錯誤の挙句辿り付いた結論は、無い物は出せない、のただ一点だった。
 親しい下級生もおらず、いきなり妹を作れと言われたところで、頭の回る由乃でさえ対応など出来はしない。結局由乃は、江利子には勝てなかったのだ。十二月に入っても未だ、彼女の周りに妹の影さえ見えない事実、それが何よりの証拠。
 福沢祐巳には妹が出来たというのに。
 その当時は悔しさと情けなさに苛まれた由乃だったが、一ヶ月も経つ頃にはそんな感情は忘れていた。はっきりと言ってしまえば、由乃は自分の妹のことに関してなどさしたる興味などなかった。ただ江利子に負けたくない一心で、あれこれと知恵を巡らせていたに過ぎない。
 過ぎ去ってしまえばそう、単なるつまらない思い出である。
 今年の冬も去年と同じ。来年も再来年もきっと、同じ。友人と過ごす取るに足りない他愛もない時間と、姉と過ごす変わり映えのしない時間。変わることのない十二月。

 休み時間を迎えていた二年松組の教室は、雑然とした空気に包まれていた。普段の由乃ならば、さっさと次の授業の準備を終えて、福沢祐巳と、あるいは武嶋蔦子などを交えて雑談に興じているのが常だった筈だが。
「……いないわね祐巳さん。全く仲がよろしいことで」
 先ごろ妹を持った祐巳は、どうやらそちらへ掛かり切りのようだった。短い休み時間でさえ顔を合わせようという心意気は立派で、誉められて然るべきことだと思うが。自分には到底真似出来そうもない、真似したくないという、冷めた感情を抱くのもまた事実。どのみち由乃にとっては面白くない。

 そう、由乃は退屈を実感していた。今この瞬間、休み時間のことばかりではない。いつも同じ目線で他愛ないながらも楽しい時間を過ごしていた、由乃と祐巳。もう一人、山百合会の仲間で、同学年の友人、藤堂志摩子を交え三人で、屈託のない時間を共有していたのだったが。
 祐巳の意識と目線が彼女の妹へと向けられたことにより、様々な場面で悉く、祐巳とは疎遠になっていた。先を越された、先に妹を持たれたという負い目も、それを後押ししたのかもしれない。
 そうして、仲の良かった三人の少女たちの輪から、福沢祐巳は自然、遠ざかった。取り残されたのは由乃と志摩子。
 するとどうだろう。楽しかった筈の時間は虚しさにすり替わり。自分たち二人だけでは共有する時間に何ら意義を見出せない。俗っぽく言えば、しらけてしまうのだ。
 二人だけでは噛み合わない会話。繋がらないテンポは苛立ちを呼ぶ。祐巳一人が抜け落ちただけで、あんなにも滑らかだった歯車は錆び付き、軋み声を上げるしか能のないガラクタに成り果ててしまう。
 由乃にとって、志摩子は嫌いな人間というわけではない。得がたい友人だとは思っているのだが、性格も性質も異なる二人は、福沢祐巳という潤滑剤を失えば、単なる水と油だった。
 志摩子と居ても面白くない。それが由乃の、正直偽らざる思いだった。
 ”あの二人、本当は仲が悪いんじゃない?”
 唐突に、そんな声が聞こえた。
 いくつかのグループに分かれて交わされる、教室という直方体の中で放たれた、そのグループ以外の人間にとって。そして勿論由乃にとっても、拾い上げる価値などない単なるノイズ。
 なのに、杭を打ち込まれたかの如く、由乃の思考は停止する。その言葉は、勿論由乃に向けられたものではない。クラスメイトの誰かが、何処かの誰かに向けた噂話の類だろう。あるいは由乃を揶揄するものである可能性も、ゼロではないが。
(私と、志摩子さんのこと……?)
 タイミングよく志摩子のことを考えていたからこそ、由乃は直感的に思った。
 繰り返すが、クラスメイトの誰かが発したその言葉は、誰に向けられたものなのか由乃にとっては知るべくもない事実。なのに由乃は、背筋を氷で撫でられているかのような寒気に襲われる。自分と志摩子の関係を、的確に突かれたような気がして。
 祐巳が教室に戻ってきたことにも気付かずに、由乃の思考はただ硬直したままだった。


 薔薇の館の会議室は、ストーブのお陰で暖かな空気を保っていた。
 すでに今日の山百合会の仕事は終了しており、メンバーたちは今頃、それぞれに帰路についている筈であったが。人の気配があらかた消え失せたこの場所には、いまだ二つの人影が存在していた。
「……由乃さん」
 やや困惑気味なその声は、藤堂志摩子のものだった。
 今日も山百合会の集まりは、つつがなく始まりそして、つつがなく終わった。皆が帰り支度を始めている最中、由乃が志摩子を呼び止めたのだ。話があるから、と。
 誰もが驚きの色を隠せなかった。これが姉妹同士ならば誰も、不思議には思わないのだろうが。何故この二人がと、由乃以外の全員が。そう、当事者である志摩子をも含めて、そう思っていた。それがひどく、由乃にとって勘に障った。
 何がおかしいのだと声を荒げたくなる衝動を必死に飲み込んで、皆には先に帰るよう促した由乃に、最後まで何か言いたげな視線を送る者がいた。福沢祐巳だ。何故自分を混ぜてくれないのかと、その視線は語っていたが、由乃はそれを無言で遮断した。
 罪悪感は無かった。
 きっと今の島津由乃が、福沢祐巳を遠い存在だと思っているから。
「意外だった?」
「いいえ……でも、私に話というのが、全然思い当たらなくて」
「安心してよ。別に大した用事じゃないんだから」
 軽口にも似た言葉を吐きつつも、存外に自分が緊張していることを由乃は自覚していた。けれど、ここで責めあぐねていても仕方ない。悩むのはガラじゃないと、由乃は自分を奮い立たせる。まずは、確認事項から。
「志摩子さん、あなたは私と祐巳さん、どちらかを選べと問われたなら、どうする?」


 由乃たち三人の関係は、綺麗な正三角形を描いているわけでは決してなかった。
 福沢祐巳と島津由乃、あるいは福沢祐巳と藤堂志摩子を結ぶ辺の長さはほぼ同じ。けれど島津由乃と藤堂志摩子を結ぶ辺はきっと、祐巳との間に架けられた辺の倍以上の長さがあるはずだった。
 歪な二等辺三角形。
 その事実から、由乃と志摩子は故意に目を逸らしていた。そのツケが今、祐巳が妹を持ったことにより露呈しただけの話。
 俯き黙り込んでしまった志摩子を見て、自嘲気味に由乃は思う。答えられないのはきっと、そういう事だろうと。
「別に落ち込むことも後ろめたく思うこともないわ。私だって、あなたと祐巳さんのどちらかを選べと問われたなら、きっと祐巳さんを選ぶだろうし」
 弾かれたように、俯いていた顔を上げる志摩子。微かな驚きの表情の下に隠されている諦めの色。辛辣な言葉だったとは思うが、同情心などは沸いてこない。どうせ二人とも同じようなことを考えていたのだろうからお互い、等しく罪人である筈。遠慮など無用だ。
「……それを言いたかったの? そんなつまらない事をわざわざ、私に」
 志摩子の声は苛立っていた。暗黙の了承だった筈の事をほじくり返してまで何を言いたいのだと、その声色が語っていた。
 実際私は何が言いたいのだろうかと由乃は逡巡する。共感でもない。友情でもない。同情でもない。どこにも属さない感情は曖昧で。
(……執着?)
 ひどく、しっくりと嵌る気がした。
 福沢祐巳に負けたくないのか。志摩子と心を通わせることは祐巳には出来て自分には出来ないのか。妹の問題について先を越された劣等感。多くの下級生たちに慕われる天使のような存在に。たった一つでもいいから勝りたかったのか。
「志摩子さん」
 例えそれが、志摩子を身勝手なエゴに巻き込むことになったとしても。志摩子を貶めることになったとしても。志摩子を傷つけることになったとしても──。


「……軽蔑する? 私を」
 既に外には夜の帳が落ち始めている。下校時刻はとうに過ぎ去り、部活動を終えた生徒たちも今頃はバスの中か、あるいは暖かな家か。校舎内にもグラウンドにも体育館にも人の姿はなく。照明の落とされた薄暗いこの空間に、二人の少女が息を潜めているのみ。
 呆然とした面持ちのまま志摩子は友人を見上げた。白い指先で自分の唇に触れながら。容赦なく吹き付け窓ガラスを揺らす風の音を、志摩子はどこか遠くに聞いていた。
 今しがた志摩子の唇に触れた、もう一つの唇。それが何かの言葉を紡ぐ。
「蔑んでくれて構わないわ。それでも私はあなたに近付きたいと思った。誰よりも近くに。祐巳さんや乃梨子ちゃんよりも。少しでも志摩子さん、あなたとの隙間を埋めたいの」
 椅子に腰を下ろしたままの志摩子。その前に立ち尽くす由乃の面差しは儚げで。
「つまらない執着なの。だから、お願い。私のことを拒絶して。突き放して。でないと私は、これ以上にあなたを欲してしまう……」
 ひどく矛盾した言葉が志摩子の脳裏を打つ。祐巳を含めて非常に近しい距離に居たからこそ感じていた由乃への遠すぎる距離。夜空の星と星ほどに隔たりのある性質は決して交わることも無く。
 それでも由乃は求めた。退屈と共に何時しか心を支配していた寂しさを、少しでも塗り潰したいと。最も遠く離れた存在を。それが低俗な代替行為であると自覚しながらも。
「あなたと、一つに、なりたいの……」
 拒絶の言葉も肯定の言葉も、志摩子の口から紡がれることはなかった。


 本気の愛ではないし傷を舐め合う愛でもない。例えば愛が高尚なものだと定義すれば、今、志摩子の身体を貪ろうとしている由乃の想いは、それに対極を成す物だ。乱暴に志摩子を木張りの床に汲み伏した由乃は、それでも最後の理性は失ってはいなかった。
「……嫌だったら言って。私のことをひっぱたいて、力づくにでも止めて。だってもう、私は自分ひとりの力では、止まれないんだから」
 互いの吐息が掛かるほどの距離で由乃は囁く。
 志摩子はそれでも、抵抗を試みようとは思わなかった。望まぬ暴力にも関わらず、そこには壊れ物を扱うような繊細さが潜められていたから。
 ひんやりとした床の現実感と、そこに押し倒されているという非現実。目の前に居る見慣れた友人の姿はありふれた日常で。けれどその友人に唇を奪われ、身体を弄られるという非日常。
 だんだんと熱を帯びていく身体が、志摩子の中から矛盾する感覚を殺ぎ落としていく。さながら、漣が砂浜に創られた砂の城を削り取っていくかのように。
「ぁ……」
 それは、誰の声だったろうか。制服越しに、何かを確かめるかのように触れていく、冷たくて熱い愛撫は、志摩子の拙い性感を徐々に引き出していく。倒錯したこの風景がそれを後押しする。

 二人は唯無言で、薔薇の館の会議室には、衣擦れの音ばかりが響いていく。窓の外には暗い暗い闇が広がり、そこにアクセントを加える白く輝くもの。初雪だった。けれど由乃の瞳には映らない。志摩子はそれを見ても何の感慨も沸いてこない。
 広がったスカートの中に由乃の手が忍び寄ってくる。志摩子は反射的に身体を硬直させ、投げ出された足を閉じてしまおうとするが、それを受けて由乃の表情がはっきりと解るほどに変わる。失望と絶望と、悲しみの色に。
「由乃……さん」
 志摩子は、緊張し竦み上がった身体を意識して緩めた。由乃の手とその想いを、導くように。
「ふ……っ」
 声が漏れる。初めての他者の指の侵犯に見舞われたその部分は、控えめに、しっとりと濡れていた。由乃の指が、濡れて貼り付いた下着をかい潜る。指先で感じ取った熱く濡れた感触は由乃の理性を融かし、控えめに動き始めた指先が、志摩子の意識を融かす。
「は、あっ……ああっ!」
 微かだった喘ぎはやがて其れとはっきり解るものとなり、由乃の指を濡らす暖かな液体もまた同じだった。下着を、スカートを。そして無機質な床へと徐々に広がっていく。
「──っ!」
 最後に一際大きく跳ねて、志摩子は頂きに達した。激しかった指の動きはゆるゆるとしたものに変わり、志摩子の荒かった息が落ち着いていくのに合わせるようにして、名残惜しげに引き抜かれた。
 少女二人の交わりは、静かに幕を下ろす。
 絶頂の余韻に浸る切なげな表情の志摩子と、壊れたテープレコーダーのようにごめんなさいとばかり繰り返す、涙を瞳いっぱいに溜めた由乃を残して。




 -Scene 2-

「あの……由乃さん?」
 ホームルームを終えたばかりの二年松組。途端に騒がしくなるクラスメイトたちを尻目に、鞄を引っ掴んで帰ろうかという時に、由乃は横から声をかけられた。由乃がそちらへ顔を向けると、視界に飛び込んできたのは、見慣れた友人の姿。
 面と向かって話すのが随分久し振りだと思わされる友人を前にしても、由乃の心に、特別な感慨は沸いては来なかった。
 明らかに冷たすぎる由乃の態度に、けれど祐巳はめげることもなく続けた。おそらくは、福沢祐巳がここ最近、神経を磨り減らしていた事について。
「最近、由乃さんと志摩子さんが、その……ううん。違う」
 沈黙を持って由乃は言葉の続きを促した。ある程度は予測できてしまうことであったが。
「……由乃さんと志摩子さん、何か、あったの?」

 
 ──薔薇の館での、あの狂おしいひととき。
 あの日から数日が過ぎていた。
 年の瀬が多忙を極めるのは世間では至極真っ当なことだが、それは山百合会にも当てはまる。師走という言葉に急き立てられるように仕事は押し寄せて、そして過ぎて行く。
 そんな忙しない日常の中で、ひっそりと変化を遂げたものが在った。
 二人を良く知る者が見れば、明らかにその距離が近付いたと解る、島津由乃と藤堂志摩子、二人の関係。友情が深まった、絆がより深まったと解釈する者も居るだろうが、あくまでも二人の間に漂う空気は冷たい。吐息すら凍えさせてしまうのではないか、という程に。
 それでも、自分の預かり知らぬところで二人の関係が変貌を遂げたと知った福沢祐巳が味わうのは、焦燥にも似た疎外感ばかりだった。


「別に」
 由乃の言葉はにべもない。祐巳に話せることなど欠片もないから。
 未練がましく腕を掴まれ、反射的にそれを払う。それは掛け値なしに祐巳の友人に対する気遣いだったが、今の由乃にとっては煩わしいだけ。
 投げかけられる言葉を意識してシャットアウトして、由乃は祐巳に背を向ける。悲しげに力を無くした視線を感じる。備え付けのストーブにより温まった教室内と、友人の暖かな気遣いは、胸の中を掻き回される程に気分が悪い。
 振り返ってしまえば立ち止まりたくなってしまう。由乃と志摩子の間に交わされた行為は、いわば暖かさを求め相手の肌を掻き切って、溢れる血液を浴びて暖かさを享受するかのようなもの。けれどそんな愚行とは違い、祐巳の暖かさは誰も傷つけることのない聖母の微笑みのようなもの。
 それは、今の由乃には、重い。
 逃げるように教室を飛び出すと、教室の中とはうって変わって寒々しい空気に支配された廊下が由乃を迎え入れる。
 これでいい。凍えるような空気が今の私にはお似合いだ。卑しく低俗な感情に支配されたこの身など、真冬の冷気で千々に引き裂かれてしまえばいい。冷たい校舎と共に心まで時を止めてしまえばいい。誰か私を氷漬けにして欲しい。そうすれば誰も傷つけずに済むのだから。


 排他的な毎日は、徐々に埋没していく自意識を自覚させる。他者との繋がりが希薄になっていくのを認識させる。身も心も暗く冷たい欲望に溺れ沈んでいく。
 それでも十二月は唯無慈悲に、足早に過ぎ去ってゆく。
 真冬の空の下ひっそりと咲いた雪の華は、冷たい風にその身を揺らす。


 通行人の眼から逃れるように。人々の影を縫うように雪の街を歩くのは、まだ十代も半ばの二人。大罪を犯した者たちが歩む逃避行のその先は、しんしんと降り積もる雪。宵の闇は二人を歓迎することなく、拒絶することもなく。マリアの加護から外れた二人の世界に唯静かに横たわる。
「寒いね」
「……うん」
 交わされる言葉は少ない。白い吐息となりやがて儚く霞み消ゆ。
 言葉など要らないのだ。手を結べる場所にさえ居てくれたなら、髪の毛が触れ合う距離にさえ、居てくれたなら。依存している由乃と、その状況に依存している志摩子。
 あれから二人は、どれほど肌を重ねただろうか。
 散り散りに乱れた由乃の心は渇きに飢え、寒さに震えていた。
 藤堂志摩子と島津由乃。
 リリアン女学園の高等部で出会った二人は、白薔薇さまと黄薔薇のつぼみという肩書きを越えて。唯一無二の姉妹の契りという絆を越えて。同性同士という絶対的な境界すら越えて。
 そして、美しく残酷な対比を見せる、魂の色と、個人としての在り方すらも越えて──あるいは逸脱して、混じり合い融け合って一輪の華となっていた。恋人同士という名の、蜜月の華。
「志摩子……」
 呼び捨てるのはもっと志摩子に近付きたかったから。恋人同士なのだから呼び捨てだろうが何だろうが構わないだろう。
 だが、それでも。
「どうして?」
 涙が溢れてくるのはどうしてだろう。こんなにも近くにその存在を感じることが出来るのに、どうしてこんなに悲しいのだろう。
 その名を呼び捨てても言葉は虚しく響くだけ。
 二人だけの世界は寂しさと悲しさのモノトーンに支配されていて。
 どんなに熱く激しいセックスでさえ、繋がらない心と満たされない想いを自覚するだけの愚劣で低俗な行為に成り下がる。
 刹那の寂しさは妹の一人すら満足に作ることの出来ない自分の矮小さと、福沢祐巳という足掛かりがなければ友人と心を通わせることすら不可能だという劣等感、挫折感が生み出したもの。
 姉はそれでも、由乃が望まずとも傍に居てくれるだろう。しかし彼女とて今年で卒業を迎える。リリアン女学園高等部という場所にただ一人、置き去りにされる。
 マリア様の導きの様にして真正面から心を通わせ、絆を紡ぐことの出来た彼女──福沢祐巳という存在を失ってしまえば、あっけなく一人きりになる。
 志摩子は、そんな由乃を拒絶しなかった。嫌悪もなく抵抗もなく。
 ただ、受け入れてくれることもなかった。状況に流されるようにして由乃の傍らに居るだけで、ひとかけらの想いすら伝わってはこなかった。
 それが悲しくて。寂しさを埋める為にまた、由乃は志摩子を求めてしまう。
「……私、志摩子が欲しい」
 由乃は、隣を歩く少女の手をそっと掴んだ。冷たく、ほっそりとしたその手を。
 志摩子の返事はなく、頷きの仕草もない。ただ僅かに俯いて、繋がれた手に力を込めるだけで。暗黙の了承のように取り決められていたそれは、二人だけの合図。これから拙い恋人ごっこに埋没していくであろう二人は、それだけで心が通い合っているかのように錯覚することが出来る。寂しさが産んだ隙間を寂しさで埋めるという矛盾連鎖。何処にたどり着くことも出来ない螺旋。寒いのは十二月という時期のせいだと言い訳して。
 ──そして今日もまた、ひとひらの花弁が舞い落ちる。




 -Scene 3-

 12月22日。
 クリスマス・イヴを明後日に控えたここ、リリアン女学園。カトリック系の女子高ということで、午前中で終業式とホームルームを済ませて、午後からは自由参加のミサがある。
 率先してそれに参加する者もいれば、友人への付き合いや、あるいは何となくで参加する生徒も多々存在している。
 藤堂志摩子は前者で、島津由乃は後者。去年の同時期に照らし合わせるならば。ただ、今年は──。


 誰も居ない薔薇の館で蠢く二つの影がある。事実上今日で仕事納めとなった山百合会。部活動もあらかた終了するような時刻である今、この場所に誰かが居る理由はない。
 だから、居るとすればそれは、純然たる非日常である。
「ん……ふっ」
「んんん……ん……」
 漏れてくる声は平穏な日常を彩るような其れではない。山百合会のメンバーたちが交わす雑談でも仕事の話でもない。熱くて湿った性的な其れ。
 どちらからともなく薔薇の館に残った二人は、お互いを求めた。初めて繋がったこの場所で。それは身体だけの繋がりでしかなかったが、少なくともひとときの寒さは凌げたから。
 ついばむようにして唇を貪り合い、空いた手は制服の上から何かを探るように動く。
 由乃は、志摩子の胸の辺りに顔を近付けた。耳を澄ませば鼓動が聞こえる。志摩子の吐息が、聞こえる。この瞬間だけは全てが自分のものだ。という錯覚は、倒錯した酩酊感に繋がる。由乃は、志摩子に溺れていた。
 カタン、という不自然な音を聞いたのは、その時だった。
 志摩子の制服に顔をうずめていた由乃は、反射的に音の響いてきた方を見やる。
「あ……」
 視線と視線が絡まり合う。信じられないものを見つめるような瞳がそこに在った。信じたくないものを見つめるような瞳が、そこに在った。
 福沢祐巳がそこに居た。
 驚きの表情はきっとこの瞬間だけ。すぐに友人二人が神聖な薔薇の館で淫らな行為に及んでいたと理解するだろう。かけがえのない友人である筈の福沢祐巳が自分に向ける、嫌悪の表情。軽蔑の表情。それらを予測してしまい由乃の胸は、吐き気を催すほどの苦しさに襲われる。
 しかし祐巳の表情は変わらない。態度を崩してしまえば終わってしまう。平時から逸脱した表情を浮かべてしまえば、この非日常を認めてしまうことになる。
「あ……その。私、ちょっと忘れ物、しちゃって……」
 あくまでも平静を取り繕うとした祐巳は、忘れ物を捜す振りをしようとする。あるいは忘れ物というのは事実だったのかもしれないが。
 それでも、十五の少女が、乱れた服装と上気した顔をした友人二人を前にして、保てる理性などありはしない。支離滅裂な言い訳を吐いて、祐巳は踵を返した。半開きだった扉を蹴飛ばすようにして会議室を飛び出す。階段を下りる音は不規則で、祐巳の掻き乱れた心そのものだった。文字通り、現実からの逃避行為。
 その間、永劫のような刹那の時間。由乃の心は空白だった。罵ってくれた方が解りやすい。気持ち悪い。不潔。そんな風に罵ってくれた方がまだ、解りやすかった。
 同性同士での交わりと言う禁忌を犯した自分たちと。
 それに対し、感情を露にして批難する祐巳。
 そんな解りやすい構図を期待していた。所詮、批難する者もされる者も同じ穴のムジナだ。由乃は、自分と同じく、祐巳が低俗な感情に支配されることを望んでいた。
 しかし結果はこのザマだ。福沢祐巳は相変わらず天使のままだった。天使のような綺麗さを崩さずに、私たち二人を拒絶はしなかったのだ。
 志摩子の制服を、鬱血して手の色が変わるほどに強く握り締めながら由乃は、漠然とした終わりの予感を感じていた。


 一人で居る時間は長い。幼い頃──それこそ生まれた直後から入退院を繰り返していた由のにとって、一人の時間というのは馴染み深いもの。一人で居る時のじりじりする程の長さは、もう一人の自分のようなものだ。
 では、三人で居る時間は、果たしてどういうものだったろうか。仲間たちと過ごしていたこの一年間。思い返してみれば、ただ楽しかった記憶しか存在しない。
 どちらにしろ、今の由乃にとっては、遠過ぎる記憶だった。
 あの後──薔薇の館で志摩子との情事を祐巳に見られてしまった後。
 由乃と志摩子の間には、言い訳じみたものもなく。かといってお互いを庇い合うような言葉もなく。それでも、異分子の侵入の直後に情事に及べるほどには、二人とも擦れてはいなかった。さりとて無言で別れるという選択肢も無く。
 二人は今、由乃の部屋に居た。
 表向きには友人同士のお泊り会である。翌日が祝日であることにかこつけての。ただ、そこにありがちなあらゆる要素が排除されているだけ。
 ただぼんやりと過ごしていた。退廃した時間は感覚を麻痺させて、志摩子が島津家を訪れた時から既に、数時間が経過しようとしていた。日付が変わる。今は12月23日。深夜と呼んで差し支えない時間。
 志摩子がここ、由乃の部屋を訪れるのは初めてではない。十二月だけで、そろそろ片手では足りないほどの回数、訪れている。
「ねえ、由乃」
「……?」
「しないの?」
 山百合会の仲間たちは当然として、高等部の人間が聞けば、卒倒しそうな志摩子の言葉である。志摩子がここを訪れるのは、身体を重ねる為だけ。少なくとも昨日まではそうだった。そのどれもが、由乃の方から求めてのことだったから、今日に限ってセックスに及ぼうとしない由乃は、志摩子にとって不自然だ。
 だが、しかし──。
「……平気なの?」
「何が?」
 噛み合わない会話。繋がらない心。縮まらない距離。届かない言葉。理解できない想い。
 志摩子の様子は、いつも通りだった。祐巳に情事を見られた事を、気にも止めてないような態度で。祐巳が今何を思ってるのか。祐巳は、自分たち二人のことを誰かに話すだろうか。そんな事ばかりが頭の中をちらつく由乃であったが、志摩子はまるで気にしていない様子。
 わけが、解らなかった。


 いつしか由乃は眠りについており、目が醒めた時、辺りは薄暗かった。数分間、眠気で意識が飛んでいたのだろうかと思ったが、時計を見るにそうではなかった。時計の針は、現在が六時過ぎであることを主張していた。だが窓の外を見やるに、早朝と言う雰囲気では決してなかった。
「もしかして、夕方……。っ、志摩子は」
「ここに居るわ」
 結局昨日、由乃は知らぬ間に寝入ってしまっていたらしい。寝間着に着替えることもしないままに。二人ともベッドの上に居た筈だが、果たして志摩子はどうしていたのだろうか。
「由乃が先に寝ちゃったから、私も。ごめんなさい。隣で眠らせてもらったわ。お昼ぐらいに一度、お母様が来られたわ」
「私のこと、何て言ったの?」
「疲れてるみたいですから、って」
 既に志摩子と由乃の母は顔見知りだったから、母親も特に訝しがらなかったのだろうか。志摩子は昼前には起きたらしいが、それから何をしていたのかと問えば、「色々考えてた」 とだけ淡々と答える。
 解らない。志摩子のことが理解できない。どうして由乃のことを受け入れたのか。どうして、こんな無為の時間を共にしてくれるのだろうか。
「ねぇ……」
 しかし、かける言葉などない。眠りから醒めたままの混濁した意識のままに、志摩子に寄り添う。志摩子を求めたのは、身体を重ね合わせたかったからだ。それに答えてくれた理由など、重要ではなかった筈だ。そう、二人の関係に、意味などない。
 結局二人、また熱くて冷たい時間に埋没していく。


 階下からの自分を呼ぶ母親の声で、由乃は我に帰る。ベッドから這い出て、居ずまいを直し部屋を出て行く。気だるげに出て行った由乃は、戻ってきた時には何かを手に持っていた。コードレスフォンの子機だった。
「……祐巳さんから電話、だって」
 嬉しさとも悲しさともつかぬ表情で由乃は言う。志摩子は、そんな由乃を、乱れた服のままに唯、見つめるのみ。由乃はゆっくりと受話器に耳をつける。
『あ……由乃、さん?』
「……うん。どうしたの? こんな時間に」
『その、昨日は御免ね。何か私、慌てちゃってて……。よく、覚えてないんだよね私。馬鹿みたい私……。はは、馬鹿だよねやっぱり、私って』
「……」
『でさ……。明日、クリスマスじゃない。もし由乃さんの都合が良ければ、クリスマスパーティーなんてしたいな、って。志摩子さんも、都合つけば。あ、でも志摩子さんはちょっと、難しいかな? クリスマス・イヴだもんね。さっき志摩子さんにも電話したんだけど、留守だったから……』
「……」
『実はお姉さまにも誘われたんだけど、何となく今年は、三人で過ごしたいかな、って思って。ほら、来年の四月からは私たちも薔薇さまだし。その……三人で。先代の薔薇さま方や、祥子さまと令さまに負けないくらいの関係を、築けたらな、って。そのために……』
 何か、硬質なものが壁にぶつかって床に落ちる。由乃の投げつけた子機だった。微かに電子音が聞こえる。衝撃で切れてしまったのだろうか。どちらにしろ祐巳との繋がりは断たれた。
「……クリスマスパーティー、だってさ……。おかしいよね祐巳さん。私たちのこと、知ってるくせに。私たちが薔薇の館で何してたか、知ってるクセに……!」
 嗚咽のように言葉を搾り出す由乃を、やはり志摩子は淡々とした表情で見つめるばかりだった。ある種の諦観にも似たそれは、けれど以前より遥かに力ないものに見えた。
「……もう、終わりにしよう? 初めから私たちの関係に意味が無いことなんて、解り切ってたのに……。辛いの。志摩子だってそうでしょう? 嫌なら嫌って言ってよ。嫌だって、私のこと拒絶してよ!」
「……」
「言ってくれないと、解らないよ……。あなたの考えてることが、解らないの……」
 項垂れて、泣き喚くように言う。まるで年端の行かぬ子供のように。
「……前に、由乃は私に言ったよね。『あなたは私と祐巳さん、どちらかを選べと問われたなら、どうする?』 って」
 唐突な問い掛け。いや、確認事項だろうか。全ての始まりの問いだったそれを、由乃は半分忘れかけていた。初めて身体を重ねたあの日、由乃が志摩子に問うた言葉である。
「……それが、どうしたの」
 志摩子の口がゆっくりと動く。声はか細く、全くの飾りっ気もなかったから、由乃は初め気付かなかった。
 その唇が、『あなた』 と呟いたことに。
「私は、祐巳さんと由乃を選べと問われたら……あなたを、由乃を選ぶわ」
「ウソ!」
 反射的に由乃は叫んでいた。ある筈がないと思っていた現実。志摩子は必ず、祐巳を選ぶものだと思い込んでいた、由乃が祐巳を選ぶであろう事実と同じように。こうして由乃が志摩子と時間を共にしているのは、祐巳への劣等感の現れ。自分への下らない執着だと思っていたのに。志摩子も同じだと思っていたのに、彼女の口をついて出た言葉は、それに100%相反するものだった。
「……きっと、信じてくれないだろうって、思ってた」
 信じてもらえないであろう事実が、辛かった。そう、志摩子は吐露する。


 憧れていた。
 志摩子が由乃に対して抱いた気持ちはそう、憧れと呼ばれるものに似ていた。
 誰に対しても、そう、上級生にだって一歩も引かないという気勢を崩さない由乃の姿は、志摩子にとっては眩しすぎる存在だった。福沢祐巳という存在を支点にして、対極に位置していた存在、それが島津由乃だった。
 自分にないものを持ち、自分に自身を持って生きる。そんな彼女の人としての在り方に、志摩子は憧れていた。その実他者に対して壁を作りがちで、滅多なことでは本心を露にしない。自身の弱さを強さで覆い隠し、颯爽と生きている島津由乃に、藤堂志摩子は憧れていた。
 そんな存在が、自分を求めてきた時。求めているのは自分ではなくて、寂しさを紛らわしてくれる誰かだと知りつつも、志摩子は由乃を拒絶しなかった。どうせ叶わぬ想いだと自覚していたから。志摩子の恋慕にも似た憧れの気持ちなど、気付いてくれないと思っていたから。由乃が真に求めているのは福沢祐巳であって藤堂志摩子ではない。そんなことは、解りきっていた。だから──せめて、傍に居られるだけで。


 結局二人とも、似たもの同士だったのかもしれない。その在り方が異なるだけで、本質的にはきっと、同じものを抱えていたのだろう。
 初めて島津由乃が知ることの出来た藤堂志摩子の心の奥底。そこで知ることになったのは、自分に対する好意の他なかった。
 けれどそれを、由乃は否定していた。二人の関係が始まった瞬間から、完全に否定していたのだ。だから、どんなに理屈をこねてみたところで、志摩子を理解できなかったのはきっと、必然だったのだろう。壁を築いていたのは、他ならぬ自分だったのだから。
 それでも、最後にたった一つだけ知ることの出来た想いがあるから。それを無駄にしたくないから。
「……今日で、お終いにしよう? 恋人ごっこは、もうお終い。もうすぐ私も薔薇さまなんだから。このままじゃ、ずっとあなたに頼りっぱなしになっちゃうから、きっと」
「私は、構わないのよ? 気に病む必要なんて、あなたにはないんだから」
 二人とも、正直になるのも、嘘をつくのもきっと、下手だっただけ。
 由乃は志摩子の言葉を受けて、首を横に振る。謝罪の言葉など、きっと志摩子にとっての侮辱と化すだけだろう。かといって、真意を知ってしまった今、十二月を終えて冬が過ぎ去り、やがて春へと続いていくこれからの時間を、今のままに続けていくことなど許されないだろう。
 たった一つだけ知ることの出来た志摩子の想いに、精一杯に答えたいから。
「……ありがとう、志摩子さ──んっ」
 志摩子さん、そうかつての呼び名で呼ぼうとした由乃の唇が、志摩子のそれによって塞がれる。最初で最後の、志摩子からのキス。由乃はそれを、目を閉じて静かに受け入れた。
 月明かりが部屋をぼんやりと部屋を青白く染め上げて、窓からの薄く降り積もった雪と共に、青と白のコントラストを織り成す。二つの影は一つとなりやがて、微かに名残惜しげなままにそっと離れる。時計の針は頂点で重なって、そして今はほんの少しだけ離れていた。12月24日。聖なる夜に、二人の関係は静かに幕を下ろした
 十二月の寒空の下にひっそりと咲いた雪の華は、誰に祝福されることもなく、誰に愛されることもなく。始まりと同じ様にひっそりと萎れ、儚くも散りゆく。
 たった一つの想いの残滓を煌めかせながら。


 了






▲マリア様がみてる