■STAYセカンド
「ええ? 志摩子さんの、お父様が?」
「……そうなのよ。以前祐巳さんの家に泊めてもらったでしょう? お世話になってるばかりじゃ悪いから、って。挨拶とお礼をしたいから、今度はぜひ家に、と」
秋も深まってきたここ最近。
薔薇の館への道すがら、雑談に興じていた祐巳と志摩子さん。
「ちょっといいかしら」 と、志摩子さんの方から話題を切り出してきたことを珍しく思いつつも、友の話に耳を傾ける。
それは、以前突発的に敢行された、我が福沢邸でのお泊り会に関してのことであった。
──紆余曲折あり、祐巳の家に一泊することになった親友二人。志摩子さんと、由乃さん。
普段とはまた違う雰囲気での食事やお喋り。祐巳たち以外が留守だったから、まるでちょっとした修学旅行のような雰囲気だった。
かわりばんこでお風呂に入り、そろそろ夜もふけてきて寝ましょうか、という頃になって。
小林君の家に泊まりがけで出掛けていた弟の祐麒が、いろいろと複雑な事情があり帰って来てしまい。
一つ屋根の下、年頃の少年と少女たちが一晩を明かすという展開に。
まあ、こちらもあちらも良識をわきまえている人間だから、特にこれといった事件も起きず。言うまでもなく、『まちがい』 など起きる筈もなく。
祐巳が、あまり面白くない夢を見てしまっただけで、いたって健全なものだった。
振り返ってみれば、中々に楽しめたイベントだったと思う。
「別にそんな、気にしなくても。ましてお礼なんて」
「ええ……まあ、お礼というのは話半分に聞いてもらっても構わないけど、どうやら父は、祐巳さんと由乃さんに、一目会ってみたいらしくて」
それで、どうせなら家に一拍していってはどうかね? というのが、志摩子さんのお父様の提案というわけだ。
なるほど志摩子パパは積極性あふれる人だと思う。体育祭の時のコメントで、どういう方なのかおおよそ知ってはいたのだけれど。
「……別に、無理にというわけではないのよ。もしあれならば、断ってもらっても構わないし」
対して志摩子さんは消極的。
理由は明白、志摩子さんが、そういう人だからだ。
率先して、『お泊り会』 など、開くような人ではないのは承知している。
けれど、
「うん。じゃあ、志摩子さんのお父様のお言葉に、甘えちゃおうかな?」
「え、ええ? ほ、本気祐巳さん」
「本気ほんき。今度は一緒にお風呂入ろっか?」
茹で上がったタコのように真っ赤になる志摩子さん。
まあそれは冗談だとしても。
志摩子さんとは親友だ。少なくとも祐巳はそのつもりでいる。
親しくなったのは、祐巳が山百合会入りしてからだ。去年の学園祭の頃からこっち、たくさんの時間を共有してきた彼女を、親友と呼ばず何と呼ぶ。
けれど、こと志摩子さんの事について何を知っているのか? というと、結構、というかかなり知らないことが多い。
志摩子さんが、あまり自分のことを話さない人だという理由もある。
だから、志摩子さんを知ることの出来るチャンスは、出来れば逃したくないなあと、祐巳は思うのである。
「じゃあ、由乃さんも」
「うん。きっと来る、って言うと思う」
ていうか私だけ内緒で、志摩子さんの家にお泊りに行った事がバレたりなんかした日には……
”きーッ! なによなによなによ二人とも! 私のこと仲間外れにしてぇー! いいもん、いいもんいいもん。志摩子さんも祐巳さんも知らないっ。大ッ嫌いっ……!!”
祐巳は、激怒した由乃さんの幻影を見た。きっと、志摩子さんも。
ぶんぶんと頭を振って、そのイメージには、ちょっと向こうの方へ退去していていただく。
「……ええ、当然由乃さんも誘うわよ」
「……うんうん。そうだねそうしようね」
気を取り直して二人、薔薇の館へと急いだ。
◇
──そして土曜日、夕暮れ時。
祐巳と由乃さんは、四時にM駅で待ち合わせをしていた。
電車に乗り、途中一度乗り換える。さらに電車に揺られ、その頃には窓から見える風景に、緑色のものが多く含まれるようになってくる。
志摩子さんの住むH市は、東京の郊外にある。祐巳にとっては、このあたりは活動範囲の外側に当たる。
やがて、降りるべき駅名のアナウンスが流れ始める。
「さて、降りよう祐巳さん。志摩子さんは、もういるかな?」
駅には、気を利かせてくれた志摩子さんが、この時間なら待ちかねているはずである。このあたりの地理を知らない二人のために。
何故なら、祐巳も由乃さんも、志摩子さんの家を訪ねるのは、今日が初めてだからなのである。
「あ、志摩子さん」
改札を抜けて駅を出たところで志摩子さんを発見。あちらも同時に気付いて、小さく手を振ってくれる。
「ごきげんよう」 とお決まりの挨拶を三者交わす。
「二人とも、遠いところわざわざ有り難う」
「確かに遠いわね。私だったら、通うのちょっと、考えちゃうかも」
由乃さんは正直に言うが、志摩子さんには、『リリアン女学園に通う理由』 が存在した。
そのあたりに関しては、消極的無神論者である祐巳や由乃さんの、考えの及ぶところではないのだろう。
「それじゃ、行きましょうか」
駅近辺の比較的人口密度の高い場所を通り抜けて、そのあいだも雑談に興じながら、三人でのんびりと歩く。
「そういえば、さっきはほっとしたわ」
「何が? 由乃さん」
「いやね、志摩子さんが、和服に髪アップで駅で待ってたらどう対処しようかな、ってね」
すると、志摩子さんはころころと笑った。
「由乃さんったら。お友達と会うのに和服では、いくらなんでも堅苦しいでしょう?」
楽しげに言う志摩子さんは、上は白いパーカーに、下はなんと、それなりに履き慣れた感のあるジーンズだ。すらっとした志摩子さんの足が強調されてて、ある意味スカートよりも色っぽい。
すると由乃さんは、少し憮然としたような表情で、
「違うわよ。そういう意味じゃなくて、和服姿の志摩子さんを想定して、それに対抗できるべく恰好をしてくるか否か、というところで対処に困ったのよ」
「対抗、って……」
「まあ」
祐巳も志摩子さんも、二の句が続けない。
祐巳も、おそらくは由乃さんも、『余所行きの服』 というのは所有しているだろう。けれどそれでさえ。結局高校生レベルだ。
日本文化の伝統の上にある和服とは、比べるべくもない。
「なら、あとは中身を磨くしかないわね」
と、由乃さんは言うけれど。
じー、と志摩子さんの顔を見つめる。正直、祐巳は勝てる気がしない。
「……まあ、客観的に見て志摩子さんが、この中では一番見てくれはいいわよ。でもね、それだけじゃないはずよ」
そう豪語すると、由乃さんは一人でずかずかと歩いていってしまう。おーい、あんたはこの辺りの道を知っているのか。
「由乃さん?」
「こういう時は、ナンパされてみるのが手っ取り早いわ。女三人で歩いてれば、オトコ共の目も引くでしょう。声かけられたら、誰が一番魅力的か聞いてみればいいわ」
祐巳と志摩子さんは顔を見合わせた。
都心ならともかく、この辺りは微妙に片田舎。しかも時間帯がこれまた微妙だ。その手の男性がいる確率は、限りなく低い気がする。
結局,──
藤堂家までの道すがら、『男性』 と関わること二回。
道に迷ったおじいちゃんが志摩子さんに道を尋ね、それに対して志摩子さんは、親切懇意に目的地までの道順を教えて差し上げた。
もう一人、母親に連れられた三歳くらいの男の子が、由乃さんの長い三つ編みに興味を惹かれたらしく、しきりに由乃さんに寄って来ようとしていた。
結局母親に手を引かれて行ってしまった男の子をぼんやりと眺める由乃さんの表情は、どうにも形容しがたいものであった。
◇
「やや、ようこそ我が家へ。遠路はるばるよく来ていただけた」
小山を背負った風格のあるお寺──志摩子さんの実家、小寓寺。裏手に回ると、よく目にするような和風な造りをした、けれど平均より1.5倍ほどの大きさの家屋が建てられていた。
軒先を抜けて玄関の格子戸を開けると、そこには、体育祭のときの 『あの方』 が。 志摩子さんのお父様が、待ちかねたようにしていらっしゃった。
「ごきげんよう。今日は、私たちを招待していただいて、どうもありがとうございます」
よそ行きモードで由乃さんが挨拶を。祐巳もそれに続いて、その後お互いに簡単に自己紹介をする。
「申し訳ない。私はもうしばらく本堂のほうへいなければなりません。夕飯のときにでも、いろいろとお話を聞かせていただきたい。いやあ、この歳になると、若い娘さんとおしゃべりする機会なぞ、なかなか得られないものでしてな。はっはっは」
志摩子さんのお父様は、豪快に笑う。
「そんなこと言って。祐巳さんと由乃さんを、あまり困らせないで、お父様」
対して志摩子さんは、困惑顔。
お父様の迫力にやや気圧されながらも、本堂の方へと向かうお父様を、祐巳と由乃さんは、なんとか笑顔で送る。
袈裟を翻して豪快に笑いながら、志摩子さんのお父様は行ってしまわれた。
本当、すごく明るくて陽気で、豪快なお父様だと思う。
こうしてお話してみると、なおさら志摩子さんのお父様だとは、にわかに信じられなくなってしまう。まあ、そんなことはないわけだけど。
わざわざそれを志摩子さんに言うのは悪い気がするし、話題を変えようかと思案していると、
「全然、志摩子さんのお父様、って感じがしないわね」
そんな由乃さん、わざわざ指摘しなくても。せっかく祐巳が遠慮したのに。
けれど志摩子さんは、別段気にした風もなく。
「ええ。うちを訪れる人は、必ずそう思うらしいわ」
そのとき、お父様と入れ替わるようにして、和服の女性の方が、玄関に出ていらっしゃった。
「志摩子の母です。このたびは、主人の我が侭に付き合っていただいて、本当、ありがとうございます」
ていねいに、お辞儀される。
一連の動作はとても洗練されていて、すごく上品に思えた。なにより志摩子さんのお母様は、凄くお若くて、なおかつスゴイ美人さんだった。
「ごきげんよう」 という挨拶が、祐巳も由乃さんもちょっとどもってしまったのは、多分そのせい。
「何もない家ですけど、ゆっくりしていってくださいね」
お母様は、微笑みながらそうおっしゃって、奥のほうへ戻られた。清楚さの余韻が、いつまでも祐巳の心に残る。
「……いいなあ志摩子さん。将来、志摩子さんのお母様みたいに……あんなふうになれるんだ……。なんか、ズルイ」
由乃さんは、ちょっとぼうっとしながら言った。よほど志摩子さんのお母様が印象的であったらしい。
これもまた言われ慣れたことなのか、志摩子さんは、相変わらずにこにことしたままだった。
けれどその表情は、すごく幸せそうに、嬉しそうに見えた。
志摩子さんの部屋に通される。
予想していた通り、床は畳。窓には障子で、家と同じくとにかく和風。けれども置かれている机や家具は、祐巳の部屋のそれと、大差ないものだった。
本棚の中身など、わりと知っている本も多くて、なぜか祐巳はほっとする。
志摩子さんも、ごく普通の十代の女の子なんだな、って実感できたから。
けれど、「存外に普通だった」 なんて言うのも失礼な気がするので黙っておく。
「意外に普通なのね。CDとか漫画とかあるし。普通っていうか、俗っぽいというか」
「いやだ由乃さん。漫画くらい読ませてちょうだいな」
志摩子さんにいれてもらったお茶を飲みながら、由乃さんは無遠慮にじろじろと、祐巳は遠慮がちに、部屋の中を眺める。
そんなさなかに、この部屋において妙に不釣合いな、浮いたような存在感を持つものが目に入った。
「人形……?」
すると志摩子さんは、「ああ、あれ?」 と、ちょっと気まずそうに言う。
「昔からうちにあったものなの。私も良く覚えてないのだけれど、昔はあれを玩具にして遊んでたらしいわ、私」
祐巳はその人形をじっと見つめた。
やや蒼みがかった瞳。金髪のウェーブヘア。そして抜けるように白い肌。
子供の遊び道具というより、アンティークドールと呼ぶほうがしっくりくるその人形は、なにか祐巳の心に訴えてくるものを持っていた。
着せられている服は随分とぼろぼろで、ところどころ補修した形跡が見られる。随分と年代ものだ。
──と、ふいに人形と目が合った。
「!!?」
「どうしたの祐巳さん? そんな、いきなり肩を震わせて」
人形と目が合うのは道理だ。なぜなら、祐巳と人形は、位置的にちょうど向かい合っているのだから。人形の向いた方向に、祐巳がいたに過ぎない。
「はは……な、なんでもない」
人形は人形だ。
今見ても、それ以上でもそれ以下でもない雰囲気をかもし出している。
「へんなの」
「気にしないで」
きっとこの人形が、どことなく志摩子さんを連想させるから。
金髪だから分かりづらいが、これでやや茶味がかった髪だったならばきっと、一目瞭然だっただろう。
人形遊びをする志摩子さんというのは、妙に絵になるイメージだった。
祐巳だって小さい頃は、人形遊びなる遊戯に興じたこともある。それはまあ、リカちゃん人形とかそういうものだけど。
小さい女の子のお人形遊びと言うのは、極めて普通なことのはずだ。誰でもそう思うだろう。
けれど志摩子さんの場合、どこか異なる想像を喚起させる。
人形を愛でるように、無二のものとしてあつかう。
誰もいない静かな部屋で一人、キレイな人形と戯れる綺麗な志摩子さん、という想像は、どこか神聖で、厳かで、そして孤独だった。
禁忌じみたそのイメージは、祐巳の思い込みに他ならない。人形遊びにふける志摩子さんが孤独だ、なんて言えない。
「広い部屋で一人、人形遊び? 志摩子さんの場合、妙に絵になるわね」
……だから由乃さん、どうしてあなたはそう、あけすけなことを言うのか。
けれど志摩子さんは気にした風もなく……いや。
「志摩子さん……?」
彼女は俯いていた。俯いて、かすかに肩が震えている。まるで何かに耐えるように。
「……そうよ。私には昔から、人形だけだった。人形しか、友達はいなかった」
「ちょ、ちょっと」
由乃さんがうろたえている。
「だってしょうがないじゃない。私は、あなたたちみたいに明るく振る舞えない。友達なんて、一人もいなかった……!」
「志摩子さん、落ち着いてっ」
「昔からそう。昔から私はいつも、一人で、孤独で……そんな自分が、どうしようもなく嫌いで……」
そこから先は、声にならなかった。ただ嗚咽と、すすり泣く声だけ。
「志摩子さんっ」
由乃さんが、俯き座り込む志摩子さんにすがりついた。
「ごめんなさいっ。私、調子に乗ってひどいこと言った。志摩子さんの気持ち、なんにも考えてなかったっ」
志摩子さんは俯いたまま。けれど由乃さんは続ける。
「でも、でも今は志摩子さんは一人じゃないっ。私がいる。私も祐巳さんもいる! 一人で寂しい思いなんかさせない。もう絶対に、あなたにお人形あそびなんてさせないからっ……!」
「そうだよっ。私たちがいる。私たちが、ずっとそばにいるからっ」
涙ながらに訴えかける由乃さん。
志摩子さんは顔を上げてくれない。
二人の訴えは彼女に届かないのか。彼女の寂しさを埋めてあげられないのか、そう思ったとき。
「……?」
志摩子さんの両腕が、由乃さんの肩を抱いた。もたれかかるような仕草で、由乃さんを抱き寄せた。
そうして俯いていた志摩子さんは、ゆっくりと顔を上げて──とても幸せそうで、そして、とてもわざとらしい笑顔を浮かべた。
志摩子さんと由乃さんは、鼻先がくっついてしまいそうなほど密着している。
「……嬉しい。由乃さん、そんなに私のことを、好いていてくれたのね……。あなたのその想いに、答えてあげる……」
肩から首に回されていた手が、後頭部へと寄せられる。徐々に力が込められて、由乃さんと志摩子さんの顔と顔、唇と唇が、まるで吸い寄せられるかのごとく、磁石のNとSの如く惹かれあい──
「みゃっ!?」
由乃さんは、意味不明の奇声を上げて仰け反る。
そして志摩子さんの手を振り解いて、そのままごろごろと部屋の隅まで転がっていくという奇行におよんだ。
志摩子さんはきょとんとしたまま。
やおら立ち上がった由乃さんは、やかんでお湯を沸かせそうなほどに顔を紅潮させて、
「こっ……こっこっこっこっ……」
「ニワトリ?」
「この……! どっ、どーして私たちがきっ、キスしなけりゃならんのよっ! そういうことするのは乃梨子ちゃんだけにしとけっ……!」
「うふふ……あのままだったらどうしようかと、私もちょっとドキドキしたわ」
志摩子さんはあくまで笑顔。
さっきの涙や憂いは、今やみじんも感じられない。
「まさか……」
「ごめんなさい、由乃さん、祐巳さん。ちょっと、悪ふざけが過ぎたかしら?」
志摩子さんは上品に笑う。
天使のような双眸で、子悪魔のように笑う志摩子さんは、なかなかに演技派であることが本日判明した。
◇
居間というか、お座敷と呼ぶにふさわしいリビングに通されて、
「さ、どうぞ由乃さん、祐巳さん」
すでにお父様とお母様がおり、志摩子さんにうながされるままに、祐巳たちは腰をおろした。
畳の上で座布団に腰掛けるのって、随分久し振りな気がする。
「ささ、ま、遠慮なさらずに。大した物はありませんが。というか、最近のお若い方にはなじみのない食べ物が多いかもしれませんな」
テーブルの上には、お母様の作られた料理がたくさん。
なるほど祐巳には馴染みの薄い食材が多いみたい。一見して山の幸が多いというのは分かるけれど、それが何なのかさっぱりわからない。
「いただきます」 と揃って挨拶して、料理に手をつける。というか、他の家庭でご飯を頂くというのが久し振りで、ちょっと緊張。
ちょっと由乃さんを盗み見ると、こちらは緊張した風もなく、料理に手をつけている。
と、由乃さんが動きを止める。
「これは……なんという食べ物ですか?」
由乃さんの指すそれは、なんだろう、花のつぼみのような形で、そのまま色がくすんだようなものだった。サイズは小さい。
「それは、ミョウガと言いましてね。家の裏手で取れたものなんです」
「ショウガ?」
「いいえ、ショウガではなくて、ミョウガっていうんです。分かりづらいわね。味は……そうね、ネギに近いのかしら。結構クセのある味だから、ダメな人はダメかもしれないわ」
志摩子さんのお母様の、親切な説明。
それを受けて由乃さんは、ちょっと緊張気味に、ミョウガと呼ばれるそれを口に運んだ。
「……あ、おいしい」
「ふむ。由乃さん、なかなかイケる口じゃな」
そんな感じで食事は進む。
どちらかというと洋食系の多い福沢家。だから、完全に和食計オンリーというのは新鮮で、どれも美味しく感じられた。
お父様は、志摩子さんがリリアンで全うしている仕事(山百合会のこと) を結構気になされていたらしく、
「しかしその、山百合会のメンバーというのは、とても人気があるらしいとのこと。雑誌なんかの取材も殺到するとか」
などと、薔薇さま方のリリアンにおける人気を曲解されていたり、
「薔薇さまという人間は、たくさんの妹を持たなければならないらしいですな。いやはや大変だ」
などと、スールシステムに関して曲解されていたりして。
その都度、志摩子さんは困ったように、祐巳と由乃さんは遠慮がちに、リリアン女学園の基礎を、教えて差し上げたりした。
そうして夕食の時間は過ぎていき。
志摩子さんとお母様が、台所で洗い物をしているときのこと。
「そういえばお二人とも、知ってなさるか」
「え? 何をです?」
お茶の入った湯飲みを置いて、お父様はそんなことを祐巳たちに言った。
「このあたりの人間は、あまり夜、ないしは夜中に出歩かんのですわ。お二人も、コンビニなどに行かれるのなら、今のうちに済ませてしまいなされ」
「はあ……用事は今のところありませんが。その、どうして夜中に出歩かないのですか?」
由乃さんはなんとなしに聞く。
するとお父様は、急に声のトーンを落とし、
「……実はな、出るのですじゃこの辺りには。夜中になると、人ならざるもののけ共が」
かつて──まだ、水道も電気もなかった時代に、このあたりで神隠しが起きた。
神隠しとは、人が煙のように忽然と姿を消す現象のことで、長い人類の歴史の中で、何度もその単語は出没している。
現代科学で解明できない不可思議な現象、それが神隠しだ。
このあたり一帯で起きた、大規模な神隠し。消えたのは、周辺に住む家族の、子供たちばかりであった。
ある日、子供がふらふらと外へ向かった。遊びに行ったのだろうと思い、家の人間はさほど気にしなかった。
けれど夕食の時間になっても、子供は戻らない。不安を感じ始めた家の人間──親たちは付近を調べ始めた。すると驚くことに、全ての家で、同じように子供たちが消えてしまっていたのだ。
ふらりと出て行って、そのまま戻らない。
捜索は、夜通し続けられた。村人総出で、夜の山、川沿い、池のほとり、隣の村まで捜索の手は伸ばされた。
けれど手がかりは一切発見されず。消えた子供たちは、ゆうに十人以上に及ぶ。
村人たちは、眠れぬ夜を過ごした。
そして翌朝。
子供たちは還って来た。
親たちは手を取り合って喜んだ。けれど帰ってきたのは、消えた子供たちでありながら、そうではなかった。
子供たちはみな、別人のように変貌を遂げていた。明るかった子、負けん気の強かった子、優しかった子、思慮深かった子、そんな子供たちが、おしなべて『感情』というものをごっそりと失っていたのだ。
笑いもせず、怒りもせず。あれほど情緒豊かだった子供たちは、たった一晩で、感情らしい感情を失ってしまった。
神隠し──。
誰が言い出したのかは分からない。けれど噂は確実に広まった。
人ならざる化け物共が子供たちをかどわかして、さらった。そして化け物共は、子供たちの『感情』を食べてしまったのだと。
一晩のうちに起きた悲劇。
人はそれを化け物のせいにし、それを忌み嫌った。
「……そんなことがあったと伝えられておりましてな。ですからこの辺りの人間、特に子供たちは、夜中に出歩かんのですじゃ」
祐巳と由乃さんは、固まったまま二の句が続けない。
怪談……なのだろうか。語り手たる志摩子さんのお父様の語り口が、あまりにも上手で、会談としては比較的ポピュラーなそれに、妙なリアリティを与えていた。
知らず、背筋が寒くなる。
由乃さんも、心なしか顔を青ざめさせていた。
「どうしたの? 祐巳さんも由乃さんも。なんだか顔色が悪いわ……ってお父様、もしかして」
「む、どうした志摩子よ。父をそのような疑いに満ちた目で見るのはやめなさい。わしは、このあたりの伝承を二人に語って差し上げただけじゃ」
「ひとはそれを、怪談と言うんです」
「……さて、風呂に入って父は眠るぞ。志摩子、おまえも今日は腹を出して眠るのではないぞ」
「いつもおなかを出して寝てるみたいに、言わないで下さい」
志摩子さんのお父様は、いそいそと居間を出て行ってしまわれた。
「ごめんなさいね、父が、その、悪ノリしてしまって。家に客人があると、いつも父は怪談を語ってお客様を恐がらせるの」
「……別に、恐くなんてなかったわ。単なる御伽噺、単なる言い伝えじゃない」
負けず嫌いの島津由乃。
しかし。
「由乃さん、その、あんまりくっつかないで欲しいんだけど」
由乃さんは、さっきから祐巳の手を握り締めている。話を聞いてるときから、ずっと。
いい加減汗ばんできて、じっとりとした感触が、手の平から伝わってくる。
「う、うるさいわね。離れればいいんでしょう離れれば」
そう言って身体を離す。けれど手はがっちりと繋がれたままであった。
◇
順繰りにお風呂を頂いて、今は志摩子さんの部屋で、三人は寝間着姿。
ヒマを持て余している祐巳と志摩子さんは、お互いの髪をいじって遊んだりしている。
由乃さんは、さっきからずっと、漫画を読みふけっている。「まっぽの手先がどうのこうの」という、随分と古い少女漫画だった。
「ずっと読んでるね、由乃さん」
「このまま読破するつもりかしら」
「朝になるよ」
「きっと頭の中から怪談を追い出そうと必死なのね」
由乃さんは、読みかけの漫画をパタンと閉じて、
「ええそうよ、悪い? くだらない怪談にこの身を震わせるのが私、島津由乃よ。何か文句ある?」
そして開き直った。
「由乃さーん、いい加減寝ようよ。もう、夜中だよ」
「……そうね、あまり遅くまで起きてるのも迷惑か。お布団、敷きましょう」
テーブルをどかして、畳の上に志摩子さんの布団と、用意してもらった二人分の布団を敷く。
「並びはどうしよう」
「私が由乃さんの隣になるわ」
「なんか意味あんの」
「添い寝が必要でしょう」
「いらん」
そんなやりとりをしているうちに、寝床は完成する。
結局、志摩子さん-由乃さん-祐巳 という並びになった。
「じゃ、消すわよ。由乃さん、コンビニに用事はないかしら?」
「アンタ、わざと言ってるでしょう」
「まあまあ。由乃さんも、そうとんがらないで。志摩子さんも、からかっちゃダメ」
そして、志摩子さんの手により電気が消された。あたり一面、真の闇。
三者三様に、「おやすみなさい」 と交し合い、そうして一日が終わる。
瞼を閉じようとしたそのとき、部屋の隅に飾られたあの人形──アンティークドールのようなそれが、なぜか目に止まった。
闇の中でも、その人形の青い瞳が──なぜか、とても、──キレイに、見えた。
それから一時間が経過した頃。
(眠れない……)
祐巳は、いまだ眠りにつけずにいた。
枕が替わるとあまり安眠できない性質ではあるが、それだけが理由ではなかった。
志摩子さんのお父さんが語った、あの怪談。
消えてしまった子供たち。失ってしまった感情。『食われてしまった』とされる、感情を失った子供たち。
何故だかとても、その話が志摩子さんとダブる。
例えば由乃さんに比べれば、志摩子さんの感情表現は希薄で凹凸に乏しい。けれどそれは生まれつきの性質であり、何が悪いというわけでもない。
何故なら祐巳は、二人のことが等しく大好きだからだ。
ならばどうして、こんなにも自分は気にかけているのだろう。単なる言い伝えに過ぎないあの話を。
しかも
(おトイレ行きたい……)
眠る前にお手洗いに行かなかったのが悔やまれる。あんな話を聞いた後に、一人で寝床を出るのははっきり言って気が進まない。
布団のなかは安心、けれど一歩外には魑魅魍魎。そんな、子供じみた妄想に囚われる。
と、そのとき、隣に眠る由乃さんが寝返りを打った。
(しめた)
起きかけた由乃さんに、申し訳ないけど完全覚醒してもらって、お手洗いに付き合ってもらおう。祐巳は親友の肩を揺すろうと手を伸ばして、
「由乃さん……?」
そして異変に気付いた。
「……ん、ぅ…」
寝返りを打ってこちらを向いた由乃さんの表情は、苦悶そのものだった。こんな季節なのに額には汗が浮かび、とっさに祐巳は、あの修学旅行の時の発作を思い出した。
「由乃さん……! しっかりして、由乃さん!」
「う、うん……?」
うっすらと目を開けた由乃さんは、あのときほど苦しそうではなかった。額に手を当ててみるも、熱があるという感じでもなかった。
「ちがうの。ちょっと、ヘンな夢見ちゃって。うなされてた? 私」
祐巳は頷いた。由乃さんは、ちょっと気まずそうに
「……予想以上に、あの怪談がキてるみたい、私。起こしてくれてありがと。あれ、ていうか祐巳さん、どうして私のこと起こしたの?」
かくかくしかじか、概要を伝えると、由乃さんは逆に安心したようになった。
「よかった。私だけじゃなかったんだ、恐がってるのは。ええ、行きましょう。二人なら恐くないわ」
そうして二人、さっきのように手に手を取って布団から抜け出そうとする。立ち上がって、無意識に顔を見合わせると、いい年して二人でお手洗いに行く、というのが妙に気恥ずかしく感じられる。
照れたように笑い、さあいこうかという所で、
「──!!!?」
由乃さんの表情が凍った。
赤から青、天から地、そんな変貌だった。
「どうしたの由乃さんっ」
「……祐巳さん、私たち親友よね?」
「あたりまえじゃないっ。どうして、そんなこと……?」
「今から、何があってもこの手を離さないで。その決心が出来たら、私の足首を見て……」
由乃さんの言うことは意味不明だった。けれどその表情があまりに真撃だったから、祐巳はそれなりに気を落ち着けて、そして視線を下に向けた──
「ぃ……!!!」
絶句する。
由乃さんの右足首が、青白い手に、がっしりと捕まれていた──!
「あ、ああ……」
「助けて祐巳さん……神隠しに、あっちゃう……。心を、奪われちゃうよぉ……!」
泣き出しそうな……いや、すでに涙を流して訴えかける親友を前に、しかし祐巳は凍りついたまま動けなかった。
こんな怪奇現象を相手にどうすればいい。祐巳には何の力もない。
けれどこの手だけは、例え死んでも、神隠しに巻き込まれようと絶対に離すまい。そう思うだけで精一杯だった。
「……?」
がさごそと、何か音がする。布団のずれる音のような、そんな感じの、こんな状況に不釣合いな音。
突然、志摩子さんの被っていた布団が剥がされた。
何事かと思い、由乃さんの足首を掴んでいる腕を目で辿っていくと、その先には──。
寝ぼけ眼で、にっこりと笑う、志摩子さんの姿が。
「私だけ仲間外れなんて、イヤよ」
◇
「さっきは、申し訳なかったわ。あんなに驚かせるつもりはなかったのだけれど」
「う、うん」
本当になかったのかな? なんて邪なことを考えてしまう。普段の志摩子さんとは、今日はちょっと違う。
思うに、自宅ということで安心感があるのではないかと思う。
けれど、こんな志摩子さんも嫌いではない。
お手洗いの前で祐巳と志摩子さんは、小声で会話していた。今、お手洗いの中には由乃さんが入っている。
二人は静かに待つ。
ふと祐巳は、志摩子さんの横顔を見つめた。
同い年とは思えないほどにキレイで、神秘的で、強くて、そして内罰的な少女。その微かに青みがかった瞳は、リリアン女学園において何を映し出しているのだろうか。
「……あ、れ?」
ふいに、眠気に襲われた。あれほど布団の中で渇望していた睡魔が、いまさら祐巳の中で芽生え始めていた。
それは急激に膨れ上がり祐巳の意識を圧迫し、刈り取ろうとする。
「どうしたの祐巳さん? こんなところで、寝てしまってはダメよ」
「うん……大丈夫……」
そう言ったはずの自分の声が、遠くに聞こえた。
祐巳は、志摩子さんの肩にもたれ、そして意識を失ってしまった。
”あれ……?”
何かがおかしい。
何がおかしいのかは判らないけど、とにかくおかしいことだけは分かる。
がらんどうの世界。
妙に白くて、妙にまぶしい。
手足の感覚があいまいで、クリアなのは視界だけ。
そんな世界で、女の子がじっと、こちらを見つめていた。
”えっと……”
誰だろう。
青みがかった瞳に、綿毛のような髪の毛に見覚えはあった。
けれど、それらの特徴の持ち主は、こんなにも幼くはない。
不明瞭な意識の中で、ふと何かを聞いたような気がした。
──お友達って、どうやって作ればいいの?
私には、わからないよ。
”え?”
目の前の幼い少女は、確かに、そう、『思って』 いた。
声に出されたわけではない。
なぜか、少女の考えが頭の中に流れ込んできたのだ。
なにもかも、理解できなかった。
この世界における時間とは、ひどくあいまいで不安定で。
時間の流れが速いこともあれば、遅いこともあった。
いくつか分かったことがある。
この視点は、人形か、あるいはそれに近いものであるということ。
少女の仕草などによってそれが理解できた。
少女は時折現れて、この身に触れて、時として持ち上げて。
そして何かを思う。
──リリアン女学園という所に行くことになった。
私が望んだこと。
けれどその場所でもきっと、私は一人。
少女はどうやら、リリアンと呼ばれる学園に行くことになったらしい。
少女は少し成長して、ドキリとするほど綺麗になった。
けれど、それに反して少女の心は、空虚だった。
──寂しい。
私の世界には誰もいない。
誰か、この寂しさを埋めて欲しい。
少女は、あたたかな空気に憧れていた。
人と人とが触れ合うことで形成される、暖かな空間。
それを形容する言葉は見つからない。
人形には、その言葉は見つけられない。
──高等部に上がった。
きっとこれから三年間も、私は孤独を抱えたまま。
少女の面差しは、見慣れたものであった、
何故だかは知らないが、何の疑問もなくそう思える。
いよいよ少女は、近寄りがたいほどの美貌を獲得しつつあった。
──最近、誰かと話すことが多い。
なんでかな。
こんな私と話したって、面白くないのにね。
でも、ちょっと、嬉しいかな……。
この頃から少女は、あまり目にすることはなくなっていた。
と同時に、彼女の心の中が、暖かなもので満たされていることに気付く。
けれど、人形の心は。
人形の心は、少女の心とは反比例するかのように。
徐々に、冷たく凍っていった。
覚醒は唐突だった。
祐巳が目を覚ましたとき、身体は廊下に横たわっており、隣にいたはずの志摩子さんの姿は、影も形もない。
「あ、目を覚ましたわね。祐巳さん、どうしてこんなところで寝られるのよ」
目の前にあるのは、由乃さんの呆れ顔。
「志摩子さんは?」
祐巳は、半ば無意識に首を横に振る。
正直、頭が回らない。
今さっき見てしまった夢──と呼んでいいのかどうか判別つきかねるが、あの光景が頭の中で渦巻いて。
あれは、アレはきっと、あれだ。
自信はないし確信もない。けれどこれは理屈じゃない。そう、きっとあれは──
「!!!?」
由乃さんの手が、祐巳の腕を取る。今度は身体全身を押し付けてくる彼女は、あきらかに震えていた。
顔面は蒼白で、というより色が抜け落ちたように真っ白で、瞳はとある方向に向けられて固まったまま。カチカチと、奥歯のなる音がする。そんな由乃さんを見て、祐巳も背筋といわず全身が水をかけられたように冷えきった。
「……どうしたの、由乃さん」
由乃さんは答えずに、ただ何かを指し示した。その方向には大きな庭が。廊下からすぐに出られるようになっているその庭の先に
青白く薄ぼんやりと光る
『何か』 が
じっと、こちらを凝視していた──。
「ひ……」
「ぁ……あっ……」
二人とも、縫い付けられたかのように動けない。
否、事実、『縫い付けられて』 いる。
カラダの自由が、利かない──!
「ゆ、祐巳さんっ」
「な、なにあれ……なんなの……!?」
全身が震えている。けれどそのせいで、一歩もカラダを動かせない。
『何か』 は、少しずつ近寄ってくる。
ずりずり ずりずり と。
ぼろぼろの布きれを纏ったソレは、無慈悲に近付いてくる。
「あ、あれって……まさか、志摩子さんの部屋にあった人形!?」
「そ、そんなっ。こ、このままじゃあ……」
けれどあれは、志摩子さんの部屋にあったそれではない。
着せられている服はボロボロで、ブロンドの髪の毛は所々炭のようなもので黒ずんでいる。肌も色褪せて、同じモノには見えない。
けれど瞳が、瞳だけが。
青みがかったその瞳だけが、月明かりを受けて、妖艶に光る。
すでに 『人形』 は目の前にいる。
祐巳も由乃さんも、一歩も動けずに、ただ未知の恐怖に震えるばかりだ。
そして、
人形の瞳が、真っ青に発光した。
「──!!!!」
誰が何を叫んだか、もはや分からない。そもそも叫んだのかどうかさえ定かではない。
ただ祐巳と由乃さんは寄り添いあって、そうすればこの恐怖から逃れられるのだとばかりに、二人、怯えていた。
直後。
「──ックシッ!」
志摩子さんのお父様のくしゃみが、鳴り響いた。
「ッ!」
ガクンと、カラダが動いた。あれほど動かなかった身体が、憑き物が落ちたかのように、自由に動かせるようになった。それは、由乃さんも同じだったらしい。
脱兎の如くその場から離脱して、恥もプライドもかなぐり捨てて、転がるようにして志摩子さんの部屋に逃げ込んだ。
志摩子さんの姿はなかった、けれどそこまで気は回せなかった。由乃さんの布団の中に二人、殆ど抱き合ったままもぐりこんで、布団を頭から被った。
泣いていたかもしれない。けれど良く判らない。思考が追いつかない。あのときに見た夢にさえ、意識をやることが出来ない。
布団の中でがくがくと震えながら二人、ただ朝が来ることをひたすらに待ち望んでいた。
◇
気付いたら翌朝だった。
大変なことがあったような気がするが、不明瞭な頭のままではどうにも思い出せない。
二人はもう起きたかなと、布団をはごうとすると、
「!」
すぐ隣に、すやすやと寝息をたてる由乃さんの姿を見つけて、舌を噛みそうなほどに驚いた。
そして、何故一緒に寝ているのかと言うところになって、昨夜のことを思い出す。
「……」
一つ、身震いをする。
眠れないからと二人を伴いお手洗いに行き、そこで祐巳は意識が途切れた。
そして夢をみて、目を覚ましたら──あの人形……。
反射的に、祐巳は部屋の中、人形のあった場所を見やる。けれどそこには、人形どころか何一つ置かれていなかった。
呆然とする祐巳の隣で、ごそごそと動く気配が。
「……おはよう、由乃さん」
「あれ、どうして? 一緒に寝ようって言ったの、私だったっけ?」
正確にはどちらでもない。恐怖に支配されて、それどころではなかった気がする。
「……って、どうして志摩子さんまで一緒に寝てるのッ!? なんで、どうして……!」
「由乃さん、昨日の夜のこと……」
「昨日の夜……? あ!?」
と、多分祐巳と同じことに思い当たった由乃さんは、部屋の中をぐるぐると見回す。しかし目的のものは発見できなかったはずだ。
「ない……あの人形が」
同じく呆然とする由乃さんの脇で、今度は志摩子さんの起きる気配。昨日の夜、彼女はどこで、何をしていたのだろう。
「あら、早いのね二人とも」
「おはよ。ところでそうして志摩子さんまで私たちと一緒に寝てるの? ていうか何だかもう、ワケわかんないんだけど」
本当にワケのわからなそうな表情を浮かべて、由乃さんは半ばやけっぱち気味に言った。それを受けて志摩子さんは、
「だって、お手洗いから戻ったら、二人で抱き合って一つの布団で眠ってるんですもの」
にっこりと笑いながら、
「仲間外れは、寂しいわ」
なんてことを、言った。
「どうも、ありがとうございました」
「お世話になりました」
「いえいえ。またいつでも、来てくだされ。歓迎しますぞ」
「それじゃあ、また月曜日に。ごきげんよう、祐巳さん、由乃さん」
藤堂家の人々に挨拶をして、祐巳と由乃さんは、いろいろと事件の多かった家を後にした。
帰りの電車の中、二人はほぼ無言だった。
祐巳は、いくつかのことを、とりとめもなく考えていた。
廊下で眠ってしまい見た夢、あれはきっと、人形が見た光景だ。それを、なんらかの理由で祐巳が見ることになった。
理由はわからない。
けれど、夢の中に出てきた少女。あの少女に関わりがあるのは事実だろう。
自分のことを孤独だと、一人ぼっちだと。友達の作り方が、分からないと。あの少女に、祐巳は確信にも似た思いがあった。
あれはきっと──
そして、あの庭に現れた人形。
何が目的で、何のために現れたのか。
恐らくは、祐巳と由乃さんを、「見に来た」 のではないかと思う。
夢の中の少女を託すのにふさわしいかどうか──
「志摩子さん……」
「え? なあに祐巳さん。志摩子さんがどうかした?」
「いや、志摩子さんのこと」
「許せないよね」
……………………なんですと?
「え? そ、それって」
「だから、あれは全部志摩子さんの仕掛けたトリックだったってことよ。そうでなきゃ説明がつかないわ」
「え? え? えええ?」
「お手洗いで突然消えたのも、人形のことで泣いたりしたのも、全部計算のうちだったってことよ。きっと私たちを恐がらせて、その様子を監視カメラで眺めて楽しんでたんだわ!」
いや、あの、出来れば電車の中で大声張り上げないで欲しい。ていうか監視カメラって、一体。
(そうか、由乃さんはきっと、あの夢を見てないんじゃあ……)
だとすれば無理もない。
祐巳だって、その可能性はなきにしもあらず、そう思っているのだから。
けれど。
(志摩子さん……か)
孤独だった少女。
一人寂しがっていた少女。
たまらなく、愛おしく感じる。
どうしてだかはよく分からない。祐巳の、勝手な押し付けがましい感情なのかもしれない。
けど、人と人との温もりを、ろくに享受できなかった少女に、今現在、近しい存在である自分が感情移入するのは、決して悪いことではないと思う。
祐巳の心の中は、志摩子さんへの想いでいっぱいだった。
「見てなさいよ藤堂志摩子。この私をコケにした罪は決して軽くないわ……。次に恐怖に打ち震えるのは志摩子さん、あなたの番よ。ふふふふ……」
そして由乃さんは、志摩子さんへの復讐に、めらめらと燃えていた。
了
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